「コローほど上手には誰も描けない」

Posted at 08/06/15

昨日。早めに昼食を取り、午後から夕方にかけて仕事。わりあい忙しく。7時前の特急で上京。この時期、7時ごろはまだ日があるんだなあ。特急の中から見た夕方の景色は美しかった。10時ごろ帰宅。洗濯物を畳んだりしているうちに、10時半に両親来。少し話をして就寝。少し暑かったせいか、二人ともあまりよく寝られなかったようだ。私はそうでもなかったが、疲れが出たのか少し調子が悪かった。父に愉気をし、朝食。8時前に両親発。

私も10時前に家を出る。上野の西洋美術館にコロー展を見に行く。昨日はじまったばかりだが、午前中とはいえかなり客が多かった。この時間に行ったのは正解だっただろう。

内容は、少々驚いた。何か期待していたものと違うというか、期待以上のものを見られた感じだ。コローという画家の位置づけは自分の中ではっきりしたものがなかったのだが、赤瀬川原平が「コローの絵は美味しい」ということを言っていて、それがどういう意味なんだろうなあという漠然とした気持ちがあった。

最初の方の風景画は、とにかくいちいち驚かされた。何というか、こんな風に描けるといいな、という感じのその通りの絵がそこにある。とにかく上手いのだ。構図も何を目指しているのかよくわかるし、モチーフの選び方にも共感できる。色使いも明るすぎず、暗すぎず、それでいて深い。他の画家の作品が比較のため横に展示されているという趣向の展覧会なのだが、正直言って他の画家の作品など見る気がしない。ルノアールやマチス、ピカソでさえもだ。もちろん他の画家の作品は「代表作」と呼べるようなものではないということもあるが、とにかくコローの作品のすごさに圧倒されてしまい、ほかのものはむしろ邪魔だと思われた。

「コローほど上手には誰も描けない」というのが私の感想。1840年代ごろまでの作品は特に、写真以上に真に迫っている感じ。絵がまだ「見たままに描く」ことの意義が十分にあった時代なんだなあと思う。印象派などが出て来るのは、写真が出て「見たまま」に描くことの意義が低下したせいがあるのだろうと思う。コローは写真出現の前後にまたがって絵を描いているわけだが、出現前の作品はとりわけ写真的な正確さが本当に卓越した技量によって描かれていてすごいものを感じた。

中期の脂ののった時期の作品もどれもこれも上手い。森の中を描いた柄の前に立っていると、本当に吸い込まれていって自分も森の中にいるような、大げさでなくそんな感じがする。どれもこれもある意味絵葉書のような作品なのに、作品そのものの厚みがすごい。何枚か持って帰ってうちに飾りたいと思う、そんなことを考えさせられる画家はそうはいない。

人物画は修道僧を描いた作品が上品で驚いた。『真珠の女』はモナリザへのオマージュだと思うが、油彩の油が照明に反射してきらきら光っていた。コロー自身もこの作品を非常に大事にしたらしいが、その死後もみなによって大事にされてきたのだなと思う。幸運な作品というか、そんな気がした。

そして後期の作品。こういう大作家が、なんだか違う世界に行ってしまった、という感じ。目に見えない世界を描き出すこと、目の前にないものを描くことを目指している感じで、どう評価していいのか分からないところがあった。イリュージョンというか、ヴィジョンというか。コローは本当に卓越した技量と無数の引き出しを持っていて、どんな絵でも描ける人だったんだなと思う。印象派の画家たちと比べると日本では印象が薄いけれども、コローは間違いなく19世紀美術の巨人だ。印象派の画家たちのようなドラマはなく、アカデミーや官展に順調に出展して大過なく一生を終えた、ある意味波乱のない人生を送った体制派の画家と言えなくもないが、芸境の深まりはそれが故の凄さというものもあるのだと思う。ロココや古典主義、ロマン主義を受け、印象派や20世紀芸術につながる磐石の19世紀芸術というものを体現した存在、というと大げさだが、いややはり大げさではないのかもしれないと思った。

喫茶室で休憩し、ハーブティーとモンブラン。常設展をざっと見る。帰りに地元の西友によって昼食の買い物をし、帰宅後昼食。疲れが出て休んでいたら3時を過ぎた。

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by Luke Peterson

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