詩の書き方/ナルシシズムという死に至る病い

Posted at 08/06/13

詩にかかわる
入沢 康夫
思潮社

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入沢康夫『詩にかかわる』(思潮社、2002)読書中。現在194/281ページ。読みきってから日記を書こうと思っていたら時間がなくなった。詩を書く上でのいろいろ鍵になるような言葉、発言がたくさんある。読み飛ばしてしまうところも多いが、詩を書く姿勢、詩の書き方を問題にしたところは非常に参考になる。考えてみれば私は同人誌などで作品を批評しあい、磨きあった経験がない。類似しているのは劇団で自分の書いた台本を読んでもらったり批評してもらったりあるいは上演に向けて足したり削ったりしたことだけど、同じ書き手としてのポジションを持つ人が他にいたわけではない。それはそれで読み手に徹した側からの批評というのも意味はあるのだが、書き手の同志としての関係のようなものを結んだことは実は今までないのだということに気づいた。入沢のそうしたいろいろなコメントは、先達としてのアドバイスに満ちていて、私のような後生にとっては貴重な言葉たちだと思う。

詩を書くものとしての考え方の問題はまた別の機会に譲るとして、ひとつ時事的なものとの関連を書くとしたら、ナルシスの話だろうと思う。ナルシスの神話は私にとって昔から心をひかれるもののひとつだ。ナルシスという美少年が水に映る自分の姿に恋してしまい、痩せ衰えて死んでしまう。そこに自分では声を出せない妖精エコーのが絡む。ナルシスは水仙の花になり、エコーはこだまになった。

ナルシシズムという病い―文化・心理・身体の病理
A・ローウェン,森下 伸也
新曜社

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ナルシシズムとは自分を愛してしまうことだが、他者を愛することによって生が引き継がれていく生物の世界にあって、自分を愛して自己完結してしまうことはある種の病と言うべきだろう。以前、『ナルシシズムという病い』という本を読んで非常に心を動かされた、あるいは衝撃を受けたことがあったが、その病は自分の中にも巣食っていることを感じている。

秋葉原の犯人もかなり自己愛の強い性格であることは分析家によって指摘されているが、私もそうだと思う。どこかで自己愛や自己憐憫から脱け出してそういう自分を相対的に見つめないと危ういことになってしまうことはどこかで書いたけれども、この本を読んでいてナルシスが結局死んでしまうことを思い出し、ナルシシズムとはギリシャの最初から死に至る病であることに気づいてはっとした。犯人が誰かに止めてほしかった、といっているのは、結局は自殺をするとほのめかして誰かにとめられることを求める心理と同じだろう。自己憐憫の典型だ。彼はその回路を自ら絶ってしまっていたようだが、それでもそのことに気づかないまま誰かに救われることを求めていたのだろう。

正直言って、自己愛型のパーソナリティーというのは現代はどんどん増えていると思う。普通ならもしそうであってもある程度は自分を見つめる客観性のようなものがあるわけだが、彼は成長過程の中でそういう機会がない方にない方にと周りによっても自分自身によっても方向付けられていってしまったように思う。彼自身にとっての悲劇を社会への復讐と言う形で爆発させるのは人として許される行為ではないが、そうした最後の一線に行く前の段階でうろうろしている人はそんなに少なくはないと思う。その一線に行く前に、自分をもう一度見つめなおす機会が現れることが望まれる。

波紋はまだまだ収まるまい。彼が日本人の心に与えたざわめきが、よい方向に収斂していくことを願うしかない。

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