間宮林蔵の絵と『月に吠える』の挿絵

Posted at 08/06/12

昨日。これをした、というわけでもないうちに時間が経過して行った感じがある。午後から夜にかけて仕事。比較的暇だったのだが、なぜかどっと疲れが出て、何もできない感じだった。夜は『そのとき歴史が動いた』で間宮林蔵の回を見ながら夕食、入浴、早めに就寝。間宮林蔵はあんなにたくさんの絵(報告のための)を残しているということは知らなかった。19世紀中ごろの北樺太からアムール川流域というのはあんな感じだったのだということは、以前読んだことがなかったわけではないのだけど、これだけ鮮明に認識できたのは収穫だった。当時はまだ外興安嶺が清とロシアの国境の時代なのだ。清の支配は間接的で、デレンに役所が置かれるのも夏の間だけ、多くの狩猟採集民族が自由に行き交っていた時代なんだなと思った。

萩原朔太郎『月に吠える』復刻版読了。やはりこの詩集は朔太郎の最高傑作だ。詩というとどうしても文庫に集められた文字だけのものを読んでしまいがちだが、復刻版とはいえひとつの完成した作品として読むことが詩のような芸術にとっては大切なことだと再認識した。詩の作品一つ一つを取り出して論じることももちろん意味があるけれども、一冊の本としての詩集をひとつの作品として評価するべきなのだ。いろいろな未完成性はあるにしても、トータルなものとしてこの詩集は詩の歴史の上にたち現れている。

詩の一つ一つが優れたものが多いのは言うまでもないが、北原白秋の序文に始まり室生犀星の跋文に終わる全体構成、「竹とその哀傷」「雲雀料理」「悲しい月夜」「くさった蛤」「さびしい情慾」「見知らぬ犬」「長詩二編」と、それぞれ同系統の作品を集めた章題の構成もくっきりとした輪郭をこの詩集に持たせている。

今回特に意識したのは、挿画についてだ。基本的に田中恭吉の作品が載せられているのだが、田中は朔太郎から挿画の依頼を受けたときに既に重病の床に付しており、詩集発行前に帰らぬ人になったため、恩地孝四郎がそれを引き継ぎ、田中の遺作を中心に装丁を行ったようだ。田中の作品集から取ったもの、また田中が劇薬の赤い包み紙に赤のインクで書いた画稿とがあり、なぜ背景がピンクの絵がいくつもあるのかなあと思っていたが、そういう事情なのだと知るとこの詩集全体の鬼気迫る作品を作り上げようとする意志がさらに強く感じられる。詩作品のみでもその価値が揺らぐことはもちろんないにしても、これらの絵があることでさらにこの詩集のひとつの作品としての価値が高まることは疑いない。そうしたことには我ながらもっと早く気がつくべきだったなあと今更ながらに思う。

逆に言えばそれだけ私は、現在発行されている詩集の作品としての迫力というものを今まで感じたことがなかったということなんだなと思う。やはりよいものに触れるということは根本的に大事なことなのだ。自分が作品集を作る際にはそれだけのものを作りたいなと思う。

また、初版時の全体像を知ることが作品としての詩集を知る上では非常に重要だという認識を持ったので、復刻版でもいいので朔太郎に限らず初版時を偲べる作品集を極力集めていきたいと思った。

今朝は朝からずいぶん雨が降っていたのだが、10時半を過ぎた頃から上がってきた。雲の合間から青空も見える。朝は寒かったが、午後はまた梅雨の中休みになるのだろうか。

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by Luke Peterson

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