前近代と近代:山本周五郎『さぶ』

Posted at 08/03/27

昨日は時間がない中で図書館に出かけ、『長編小説のかたち』で取り上げられていた山本周五郎『さぶ』(新潮文庫、1965)を借りてきた。これが面白く、空いている時間はとにかく読みつづけ、先ほど読了した。

さぶ (新潮文庫)
山本 周五郎
新潮社

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江戸時代末頃、とは言っても幕末の動乱にかかる前の、1830年代ぐらいだろうか、の江戸が舞台。表具・経師屋「芳古堂」に奉公するさぶと栄二の二人の、少年期から青年期にかけての物語である。そのほか主な登場人物は居酒屋「すみよし」に勤めるのぶと、両替商「綿文」の中働きのすえである。

ストーリーはネタバレなので読む予定のある方はこの段落は飛ばしていただきたいが、綿文で無実の罪を着せられ芳古堂の仕事もはずされた栄二は綿文に抗議に出かけて目明しに引っ立てられ、結局は石川島の人足寄せ場に入れられてしまう。そこで心を閉ざしたまま復讐を誓う栄二の凍った心が石川島の人足や役人たちの上に触れることで徐々に融けて行く、というストーリーだ。

ここで終わりそうだ、というところで終わらず世の中は甘くない、ということがかなり語られた後でラストにとんでもないどんでん返しがある。このどんでん返しはちょっと全体のストーリーそのものを崩壊させかねない感じがあるが、まあクレームを言うのはやめておこう。

まず語り口が非常に巧みだと言うことに感心させられた。石川島での人足たちのさまざまな個性はよくこんな多様な人物像が書けるなという感じだが、万吉という男がまず最初におかしかった。

万吉はあらゆる物事を、金銭の高で評価する癖があった。
「才次をやっつけたときのよ」と万吉は云う、「あにいの勾配の速さってものは、まず小判一枚の値打ちってとこだな」
 今日の天気は十三文だとか、次郎吉の野郎はびた銭一文の値打ちもねえとか、その話には一分払うぜ、などという類で、栄二もわれ知らず笑わされることがあった。

これはちょっと感心した。ほんとうになんでも値段がつける男がいたらこれはすごく可笑しいだろう。

石川島がいわばはみ出しものの楽園、のような描かれ方をしているのもへえ、と思った。世間ではみ出してしまうものたちが幕府の資金で厳しいながらもしっかりした生活が送れる様子。もう外に出たくない、という男たちがたくさんいるのは、まるで現代の年寄りがたくさん収監されている刑務所のありさまを思い出させた。いつの時代でも、世間で満足にやっていけない人間が、かえって過酷に思える場所の方が生きやすい、ということはあるのだなと思った。ある種のアジールでさえあるかもしれない。もちろんこれは創作だから実情がどんなものかはちゃんと調べなければいけないが。

石川島に収容されて心を閉ざす栄二にさぶやすえやのぶが繰り返し訪れて差し入れをしたり意見したりしていく場面は本当に心の交流とはこんなものだと思わされる。

瑣末なことだが、紙問屋として栄二が使う大和屋とは別に「榛原」が出てくるのが個人的にはほう、と思った。知っている人も多いと思うが、榛原はいまでも日本橋のど真ん中に店を構えていて、私も習字の紙や祝儀袋などをよく買いに行っているからだ。

山本周五郎が描いている栄二の心の動きを読んでいて、一番思ったのは栄二というのは近代人だな、ということだ。本当の江戸時代人、すなわち近世人ならこういう考え方はしないのじゃないかと思う。しかしよく考えてみたら、時代小説やテレビや映画の時代劇の登場人物というのは、ほとんど間違いなく近代人なのだ。

例外は岡本綺堂の「半七捕物帳」くらいで、これはかなり厳密な考証に基づいているが、野村胡堂の「銭形平次」などは最初っから新聞社のデスクと新入社員の掛け合いのつもりで書いていると本人が言っているらしい。もちろん綺堂の時代資料としても一級といわれる書き方も本格だが、近代人が近代人のような江戸時代人を描く時代劇と言うのもそれはそれで意味があるのではないかと「さぶ」を読みながら思った。

一つには、日本人の前近代、すなわち江戸時代に対する郷愁だ。近代の資本主義社会に誰もが適応しているわけではないから、それが始まる前の江戸時代がある種の楽園に思えるということはあっただろう。そして近代人にとっての理想を近世に投影して、理想的な登場人物が出てくる、というパターンがあるように思う。ドラマの時代劇と歌舞伎との違いは、時代劇が近代人の見た江戸時代であり、歌舞伎が同時代人のみた江戸時代であるということだ。

山本周五郎自身も、「自分の小説が読者の共感を呼び起こすことができれば、それはまさしく現代小説であり、背景になっている時代の新旧は問うところではない」と言っていたという。江戸時代人が近代的思考をしていて、ポストモダン以後に生きる私たちから見るとやはりアナクロニスティックな感じはするのだが、昭和30~40年代なら違和感なく自分たちの価値観と合致して読めたのではないかと思う。現代を舞台にした現代小説ではかけないことが時代小説なら書ける、ということはあるなあと思ったので、(たとえば石川島の人足寄場でしか起こりえないことなどは、舞台を現代にするわけにはいかない)こういうものも意味があるのだと思うわけだ。

もう一つは少しややこしい話になるが、近代がいかに前近代を保存したかと言うことである。江戸時代の日本にあって今は失われてしまったものはたくさんある。職人の技術や生活習慣などで。甲野善紀が追究する古武術も、明治維新以降失われてしまったものを取り戻そうと言う試みだ。そういう文脈で語ると明治と言うのは単に伝統の断絶のみを意味するマイナスな時代と言うことになってしまうし、伝統ということに関して言えばそういう時代だったと私もずっと思ってきた。

しかし、明治になって形を変えて生き残ったものもたくさんある。歌舞伎や能・狂言などの芸能もそうだし、和風建築も残った。作庭技術なども。柔術が形を変えて柔道になるなど、新しい時代に生き残り易い形でいわく云い難かったものにその時代なりの理論が与えられて生き残ったものもたくさんあるわけだ。たとえば「武士道」なども、近世の武士道と近代になって語られている武士道とは違うものだ、と何か悪事でも働いたような言われ方をすることが多いが、近代人は近代人なりに武士道の必要を認め、それを近代の論理に合致するような形に整理し理論化することで近代的な武士道観念を再編成したのであって、形を変えながらも生き残らせたところに意味があるのだと思う。

そうした観念や武道などの技術、体に関する江戸時代からの技術など、いわば「前近代の暗黙知」をなるべく近代の間尺にあうように再整理して保存することに、彼らは必死であったに違いなく、その努力を「江戸時代のものと違う」としてにべに否定することはあまり生産的ではないし、もしそういう努力がなければ今日そうしたものが生き残ることはなかったと言うことは言えるのではないかと思う。

小説などにおいても、考証がおかしいとか心理がありえないとかいうのはまあ簡単なのだけど、部分的にでも江戸時代の空気を残そうという膨大な営為が今にそれを伝えているのだと言うことは忘れるべきでないなと思うわけである。

それにしても面白かった。理屈抜きで。

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