春一番/川上未映子『乳と卵』
Posted at 08/02/23
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春一番が吹いた。
昼過ぎに友達からメールが来た。メールを打ちながら出かけて近くのイタ飯屋でアラビアータを食す。川上未映子の話など。そのまま団地の中を歩いて駅のほうに歩いていくと、突然強風に吹き付けられて足をとられそうになった。急に吹き出した風で、スーパーの前に止めてあった自転車は次々となぎ倒されて、風の音、何かが吹き飛ばされる音であたりが騒然とする。団地を抜けると強い西風。西のほうの空は茶色く濁った色。あまりの強風で、アスファルトの東京でも砂塵が上がっているのだろうか。
駅前の書店にようやく避難し、店内を回る。そういえば、『乳と卵』の単行本が出た、ということを思い出して書棚を探すと平積みになっていた。
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『文学界』の三月号に掲載されていた「受賞後第一作」の「あなたたちの恋愛は瀕死」も収録されている。数日前に買った文藝春秋は950円、単行本は1200円。まあ単行本が出てたら単行本を買ったほうがお得だっただろう。しかし発売がずいぶん遅くなったのは、「あなたたちの恋愛は瀕死」を載せるためだったのだろうか。
外に出ると強風やまず。日本橋かどこかに出かけようと思っていたが、これは家にいるほうが正解と思い、団地の伊勢屋でおはぎを買って帰宅。強風いまだやまず。天気晴朗なれど波高し。
***
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知り合いから紹介された本。添付ファイルで写真がいくつか送られてきたが、古い時代の真空管などを使った昔のコンピュータが紹介されている。美しい、というか懐かしい。子供のころ見た真空管アンプやまだ大きくて使い勝手が悪かったころの計算機を思い出させる。全体に、子どもの頃見たSF映画に出てくる機械のような感じ。昔のSF映画には、現代のパソコン使いの風景などどこにも出てこなかった。未来を予想することは斯くも難しい。
***
昨日帰京。車中の時間を使って、『乳と卵』を最後まで読む。結論から言えば、好感を持った。これ、割と好きかも知れない。主人公の私(夏ちゃん)と、姉の巻子、その娘の緑子。話の中にしか出てこないが巻子の別れた夫、緑子の父。ストーリーはそのあたりをググれば出てくることだから省略する。
書き方は完全に工夫されていて、母と口を利かないと誓いを立てた娘のノートに記された文章と、語り手である私の一人称の独白で構成されている。私が面白いと思ったのは、つくりが演劇的だと感じたからだ。これを舞台で構成しようとすれば多分あっという間にできる。で、多分かなり面白い芝居になるだろう。基本的に三人だけ出して、地の文と私の台詞を言う主人公、ノートの内容と終わりのほうの少しの台詞だけ喋る娘、奇態なことを喋り続ける姉、の三人。「姉」の役者が一番大変だ。でもかなり変な役なので男がやってもいいかもしれない。ある意味女性性の象徴のような役なので男がやるとそれがまた一つの批判とかパロディの意味合いを持つが、それもそれで面白いのではないかと思う。
途中で頭の中でのフェミニズム論争が繰り広げられるところがある。この小説どうも読みにくいなとずっと思っていたのだけど、この理屈っぽいやり取りのあたりまできてようやく面白くなってきた。つまり、読み方が分かってきたというべきか。この作者は無意識の世界を描写しようとは全くしていない。徹底的に意識の世界と現実の世界のみを描くことで無意識の世界の不気味さを暗示しようというやり方で、多分こういう行きかたの方が地に足がついているし評価されやすいだろうなと思った。
選評を読んでいると作者が施した仕掛けをみんな嬉々として解明しようとしていて面白い。そのあたりを指摘するのは無粋なので遠慮するが、まあそのうちブログや書評サイトなどにどんどん出てくるだろうからあえて書くこともないだろう。少したってから実はこういう仕掛けも見つけたぞ、みたいなことを書いてえばって見るのも面白いけど、そのころには多分私自身が忘れているだろう。
石原慎太郎が酷評しているのはなんかむしろ微笑ましいのだが、逆に石原慎太郎も川上未映子も同じジャンルの中に包摂してしまう小説というジャンルの包容力というか寛容性というかの方にむしろ面白みを感じるというべきだろうか。石原は、この人何を書いているのか自分でどこまで分かってるんだろうという感じの、江藤淳が言うところの「無意識過剰」な部分が面白いのだが、川上は徹底的に自覚的に書いている。石原は多分そこに広がりのなさを感じて不愉快に感じてるんじゃないか。「乳房のメタファとしての意味が伝わってこない」というけど、誰がどう見たってそれは「女性性」以外にありえるか?なんというか、フェミニズムという特異な現代思想と衝突した経験のある人なら思わず笑わずにはいられないようなやりとりがおかしいのだが、多分その思想経験を彼は持ってないんだろうし、必要もないんだろう。縁なき衆生とはこのことだ。で、それは石原の作品の文学的価値を下げるものではない。ガルシア・マルケスが科学小説を書く必要がないのと同じように。もし川上未映子が都知事になっても「東京マラソン」は企画できないだろうと思う。
広がりのある作品というのは、読んでいるうちに「ここのくだりは○○の△△の場面を思い出させるな」というところがでてくるのだけど、緑子のノートの内容を読んでいるうちに村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』第3部の「笠原メイの手紙」を思い出した。緑子と笠原メイに共通するところは両者とも若い、ほとんど子どもの女の子という以外ほぼ何もないのだけど、言うならばその挿入の仕方、前後の文脈に及ぼす影響の形のようなものが似ているという感じがする。その影響の仕方もそこで何かが明かされるとか何かの鍵が隠されているとかそういうことではなくて、地の文が黄色の紙であるとしたらそこに赤い神の断片を置いたら周りの黄色がどう見えるかというような、極めて演出的なおき方といえばいいのか、デザイン的な置き方といえばいいのか、そういう感じがする。そういうセンスは詩とか演劇とか散文的な文脈以外のものからの輸入品だというべきだろう。私はもともとそっちのほうから来ているから、ああこういうことやってるんだなと思うけど、ずっと小説畑の人にとっては私などとは感じ方が違うだろうなという気がする。
ただ、村上のほうがはるかに石原に近くて、ねじまき鳥の第三部なんていうのは本当に8割無意識で書いてるんじゃないかという感じなのだけど、チチトランは全く意識によってコントロールされている。そのあたりのところが多分、知的な部分に反応する人にとっては非常に魅力的なんだろうと思う。
ただ、一つ感覚的に同意できないところがある。「体は心のいれもの」という、心身二元論。つまり川上未映子は完璧な近代人であって、選評でそのことに共感している山田詠美もまた完全近代人なんだなと改めて思った。自分以外の人がそういう問題についてどう考えようと勝手なのだけど、「体はいれもので物に過ぎない」という感覚と豊胸手術とか子どもを生むことへの少女らしい嫌悪とかいわゆる「女性性」の思想、つまりフェミニズムというものそのものとは深く関わりあってるんだなと思った。
「からだ」は「親から貰った私自身」であるから「傷つけるのは人の道に背く」という素朴な伝統思想を大切にしたいと思う私の感覚とそこは明らかに違うのだが、何というかとにかく明るくあっけらかんとそういうことを語ることによって私などでも読む気にさせるというところが川上の才能なんだと思う。よってたつところは違えど同じ人間なんだなと思うことが出来るから。今まで極端な話、フェミニストっておんなじ人間なんだろうかという感覚がないではなかったし。少なくともこの人にははっきりとした人間肯定みたいな思想があって、そういうところにでんとした安心感が感じられるのだ。
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from カイゾーのブログ at 08/03/14
本作はチチトランと読むらしい。間違ってもチチトタマゴとは読まないでくださいとのことだが、むしろ読者が牛乳と卵を連想することを狙った感さえあるように思われ...
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