寒い日のストーブの力/職業に選ばれるということ

Posted at 08/02/01 Comment(2)»

温かくても寒くても、ストーブの火力は同じはずなのに、寒い日はストーブの力が弱く感じるのはなぜだろう。

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松本の仕事は最近はもう行き帰りタクシーを使っている。寒いのと腰の調子が悪いのと道が悪いのと荷物が重いのといろいろ理由はあるが、昨日などはタクシーで行き帰りしたのに結構疲れた。この仕事は結構肉体労働だとは思うが、省力化してもしなくても同じように疲れるならある程度は体を使ったほうが体のためだという考え方もある。

携帯小説を読んでいる人をはじめて実際に確認した。『世界の中心で愛を叫ぶ』を読んでいる人も。想像の埒外にあっても確かに存在する。世の中の広がりに比べて自分の想像力が歪に不足しているという気もするし、世の中が歪に広がっているという気もしなくはないが、まあそりゃ世界の中心でバカを言っているに過ぎないだろう。

世界の中心で、愛をさけぶ
片山 恭一
小学館

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『週刊人間国宝』というグラフィック誌を読んでいて、能楽・宝生流の三川泉氏のインタビューで、「プロフェッショナルとは、自分が職業を選ぶのではなく、職業に選ばれた人だと思う、だから住宅を手がけるときは自分の好みではなく依頼者の生活スタイルや好みを検討し、最終的には『家』のために作る」という建築家の言葉に対して、「それが本当だと思う、たとえば絵描きというのは自分を出したいのだと思うが、舞台の松を書くときでも、背景になりきってそれでいて力があって存在感がある、自己主張が強いのは否定されるものなのじゃないか」というような話があった。

インタビュアーは多分、三川氏が能楽に選ばれた人なのではないか、と聞きたかったのだろうけど三川氏はその先のことを言っている。「地味ですが、本質を極め、不易、永遠なものを求める宝生流の精神だと思います。『何もするんじゃない』という、てらった芸を許さない行き方。」とも後で言っていて、なるほど伝統芸能というものに対する考え方の一つの極北だと思った。またそれは「情念があからさまでなく、控えめに出てくるのが似合う、シテの感情や自分の位置がどこにいればいいかわかりやすい」という芸の、あるいは人間としての三川氏の性質にもよるものなのだろうと思った。

それにしても、「職業に選ばれる」というのはどういう感じなんだろう。分ったようで分らないようで、でも本当は分っているような気もしないではない。

"寒い日のストーブの力/職業に選ばれるということ"へのコメント

CommentData » Posted by Y. Horiuchi at 08/02/01

英語で職業、それも「天職」のことを、「calling」といいますよね。神様が呼んでその職についたから。職業招命説から来た表現なんだと、昔の高校の英語教師が授業で言ったのを思い出しました。

CommentData » Posted by kous37 at 08/02/02

コメントありがとうございます。
そう、わたしもそれを思い出しました。

『職業に選ばれた』という言い方は一神教的に「神に呼ばれた」、というよりもっと汎神論的な気がしなくはありませんけどね。(笑)

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