なんじの妻を扱うこと弱き器の如くせよ

Posted at 07/12/13

川端康成『掌の小説』を読む。まだ最初の6編だが、面白い。この文庫には111編が収められているそうだ。111通りの川端ワールド。『雪国』もよいが、長編では川端ワールドは一つしか描かれない。こうした超短篇は、短いのにそれぞれが川端ワールドで、じっくり味わえるのがいいな、と思う。

掌の小説
川端 康成
新潮社

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この6編の中で一番鮮やかな印象なのが「男と女の荷車」。男と女、といっても12~3歳の多感な子どもたちが荷車でシーソーをして遊んでいる場面。子どもっぽい言葉のやり取りと共に、恥じらいや意地の張り合いなど、この年代特有の心理を映し出して巧みで、それでいて絵のような美しさ。

「日向」。女の子が軽い当てこすりを言うときの、「狡そうな眼をして見せて」という描写が凄い、と思った。こういう表現をしてもいいんだ、とぱあっと解放されたような感じ。

「弱き器」。聖書の言葉、「爾等も妻をあつかうこと弱き器の如くせよ」からの引用だというが、弱き器という表現自体に感心する。「若い娘は毀れ易い。恋をすると言うことそれ自身が、一つの見方では、若い女が毀れることである。」という表現はいいなあと思う。そして確かにそうだと思うのだが、毀れてしまうとなんだか別の得体の知れないものに変化してしまう感じがなんだか川端ワールドだと思った。

***

『コミックガンボ』を発行していた株式会社デジマが事業停止、事実上倒産したらしい。漫画家さん達のギャラも凍結されているようで、年の瀬を控えてお気の毒なことだと思う。どなたか太っ腹な債権者が営業権を継承して、マンガ家さん達の窮状を救い、発行を継続してもらえないものかと思う。

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