『100億円はゴミ同然』/神話的な女

Posted at 07/09/19

FMからプロコフィエフのピアノ。今朝はこの単音のメロディが気持ちいい。いわゆる現代音楽だが、こういうものが気持ちい時というのは明らかに存在する。部屋の下にはコスモスが咲き乱れている。先週いたときにはまだちらほらという感じだったが、一気に満開になった。今年は猛暑のせいか、コスモスが咲き始めるのが遅くてちょっとものたりない感じがしていたのだけど、今朝は本当に勢いよく咲いていて清々しい。

昨日帰郷。午前中に家を出て丸の内丸善に寄る。『カラマーゾフの兄弟』の第4巻を買い、『ガンボ』をもらう。そのあと新書のコーナーで立ち読みしていたら、面白い本があって買ってしまった。坪井信行『100億円はゴミ同然 アナリスト、トレーダーの24時間』(幻冬舎新書、2007)。金融業界、特に外資系証券会社のアナリスト、トレーダーの仕事の紹介、という感じの本。章立ては、1 投資関連業界の構造、2 証券アナリストの実態、3 投資関連業界のさまざまな職種、4 アナリストの生活、5 トレーダーの生活、6 要求されるスキルセット、7 デイトレとファンダメンタル・アナリスト、8 感覚的な違いで生み出される世界観、となっている。証券業界に就職を目指す人はもちろん、株式取引を実際にやっている人、興味がある人、あるいは全然関係なくても知らない世界を除いてみたい人、にはお勧め。「プロ」がどんな仕事をしているのか、よくわかる。

100億円はゴミ同然―アナリスト、トレーダーの24時間 (幻冬舎新書 つ 1-1)
坪井 信行
幻冬舎

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現在90ページまで読んだが、印象に残ったのは、多くのアナリストが株式の評価の最終的な判断を経営者の評価で決めることが多い、ということ。私もそれはそうなんじゃないかと思う。企業も結局は人だから、経営者の能力を含めた信頼度で判断するのがいちばん妥当なのではないかと思う。なんと言うか、特に素人としては、この人になら賭けられる、という相手に賭けるのが、一番迷わなくて済むのではないかと思う。そういう素人の判断とプロの考えが通底するものがあるというのが面白いと思った。

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『コミックガンボ』。今回特に凄く面白い、というのがあったわけではないが、連載されている『朧』の絵をどこかで見たことがあったなあ…と思って考えていたら『コミック乱TWINS』に連載されていた『天涯の武士』と同じ作者(木村直巳)だった。『天涯の武士』は幕末の幕臣、小栗上野介を主人公にした時代マンガ(乱は時代マンガ雑誌だから)なので、『朧』は現代を舞台にしたホラーマンガだから、最初は同じ作者だと気がつかなかった。しかし座った女の人がさっと身を引く動作にどこか見覚えがある(笑)と思って記憶をたどっていったら小栗だったというわけだ。乱で連載しているとつい時代漫画家かと思ってしまうが、必ずしもそうではないんだ。で、ちょっと調べたら実はビックコミックに連載されていてけっこう好きだった『ダンデ・ライオン』の作者でもあることがわかった。ビックリ。

ダンデ・ライオン 8 (8)
若桑 一人,木村 直巳
小学館

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『カラマーゾフの兄弟』は第3巻、118ページ。第3部第7編『アリョーシャ』の、「腐臭」の話が面白い。期待した奇蹟が起こらないとき人はどのような反応を示すか。期待した総理大臣がみっともない辞め方をしたときの人々の反応と合わせて考えてみると面白い。

カラマーゾフの兄弟3
ドストエフスキー,亀山 郁夫
光文社

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p.78-9、一本の葱の話。意地の悪い女が死んで、死後(地獄の)火の湖で苦しむ女性の守護天使が神さまに、「この人は生前に一本の葱を乞食女に上げた」、と話すと、神様は「葱を取ってきて女に差し出してあげなさい。もし湖から岸に上がれれば、天国に上げてあげよう」という。そうしてみると引っ張り上げられる女の多くの罪びとがしがみついて一緒に上げてもらおうとするが、女は他の罪びとをけり落し、「これは私の葱で、あんたタチのじゃない」と言った。すると葱は千切れ、ふたたび湖に落ちた、という。これだけ読めば明らかだが、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』と全く同じ構造だ。芥川がドストエフスキーを読んでいたことは当然考えられるので、この説話を元に話を膨らませて「蜘蛛の糸」を書いたのだろう。「蜘蛛の糸」という話はその幻想性が際立っているところが芥川っぽくなくて不思議だなあと思っていたのだけど、「一本の葱」の幻想性をさらに際立たせていくことによって作品化したんだなあと思う。同じ芥川の『杜子春』とか中島敦の『山月記』などは基本的に支那古典に原型があるわけだが、こういうところから引っ張ってきて舞台も国も変えると思わぬ幻想性が生まれるのだなあと思う。

山月記(三木眞一郎、小西克幸朗読CD)

Beepa

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p.91グルーシェニカのセリフ。「アリョーシャ、わたしって、烈しくて凶暴な女なの。この服をちぎって、自分のきれいさをだめにしたっていいし、顔を焼いたりナイフで傷つけたっていい、乞食になって物乞いだってできる。」この激しさは、唐十郎の芝居の主人公、李礼仙の演じる女のようだ。言葉を変えていえば、非常に神話的な、「神」に近い激しさを持っている。『嵐が丘』でもそう思ったが、「偉大な文学」の登場人物というのは、やはり「神話的」なのだ、と思った。考えてみれば、カフカの『変身』だってもろに神話的だ。バタイユの『眼球譚』の主人公も、やや弱いがある意味神話的だ。(その弱さはフランス的な部分にあるんだろう)そういうものを書く力が日本の作家にあるか。光源氏などは神話的な人間だと言うことができるし、私がはじめて(谷崎訳だが)読んだときも、その部分に非常に感動した。グルーシェニカがそういう存在だと言うのは予想外だったが、先が楽しみだ。

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帰郷する特急は、前の電車が阿佐ヶ谷で人身事故に巻き込まれ、45分ほど遅れた。直接職場に行き、夜まで仕事。まあまあ忙しく。夜はプロフェッショナルを見ながら夕食、その後父に愉気、入浴。疲れが出てわりあい早く寝た。プロフェッショナルは生物学者で、「上手くいかないときに原点に戻る、その原点を持っている人がプロ」という言葉が印象的。私にとって、原点は「作家の真の仕事は書くこと」だな。書くことが原点だし、それは自分自身に何度確認してもいいことだと思う。

今朝は目がさめたら7時。山の中腹まで歩いて墓参り。朝は雨っぽかったけど、だんだん晴れてきた。

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