毎日を倦怠の泥沼に沈ませないための血の出るような努力

Posted at 07/08/12

友人と話していて思ったこと。

経済的安定を得るまでの日本人は、「経済的安定」が最大の目標で、それを得るための緊張感の中に、日々の喜びや悲しみや充実があったのだけど、「経済的安定」を得てしまった後、同じように生の充実が感じられなくなってしまっている。

で、結局、ただ「金を儲ける」だけでは満足できなくなってきていて、「楽しむ」ということをハングリーな生の営みとは別にどのように実現していくかということが課題になっているわけだ。贅沢な悩みなんだけど。

ハングリーさが基盤にない「楽しみ」というのはある意味危険でもあるが、経済的必要に囚われないで済むだけにハングリーさからは生まれないとんでもないものが生まれる可能性もある。

「働かざるもの食うべからず」というが、それは要するにフランス革命以後の市民社会論理なわけで、アンシャンレジームの貴族たちは退屈な日々をどう過ごすかが一番の関心事だった、というのと同じだろう。その中から百科全書のような啓蒙的な動きが起こってきたりしたのだし、まああれはある意味生活の必要に直結しないひ弱なものという感じもするのだが、それは今の「良心」的市民運動の脆弱さと何か似ているところもある。

以前、今西錦司の本を読んでて、動物には進化する能力があるが、進化の行き止まりに達したとき、たとえば無意味に複雑な羽の模様を持つ蝶が生まれたりする、ということが書いてあったけど、まあそういうデコラティブな文化になっていくんだろう。ゴスロリとか腐女子とか、結局毎日を倦怠の泥沼に沈ませないための血の出るような努力なんだろうと思う。

そういう日本のちょっと畸形的な文化が世界で受けるというのも、その面で日本が相当先進国だということなんだろう。それでいいかどうかはともかく、そのようにしか生きられない人間の業のようなものが、日本でもっとも噴出していて、それが世界に流れ出しているということなのだと思う。

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