納豆騒動

Posted at 07/01/21

昨日。どうも調子が悪くて一日ぼおっとしていた。テレビを見たり本を読んだりしたがなかなか集中できず。せっかく納豆がスーパーに出回り始めたんだから買いにいきたかったのだが、寒いし調子が悪いしで結局食べられるもので済ませてしまった。今日は昨日よりは天気がよさそうだし体調もましなので、納豆を買いにいきたいと思う。

今回の納豆騒動でいろいろな人がいろいろなことを書いていてそれぞれ面白いなあと思ってみていたが、まあ一番共感できるのは普段食べている納豆が食べられなくなって困った、と言っている人だ。というか、私にとっての実害はそれだけだったが。

だまされて納豆を買い込んだ、という人はいたようだが、そういう人は納豆をどうするんだろう。納豆を大量廃棄するのはもったいないからやめて欲しいが、そういう人にとってはもう納豆をみる気もしないだろうな。

「そら見ろ」といって嘲笑している人の書いているものも、あんまり何人も続けて読むと「ふーん、えろうなったんやねえ」みたいな気がしてくる。まあ基本的には私も大笑いだなとは思ったのでそう書きたいのもわかるのだが、ここぞとばかりに得意げな顔をして書くのも何だかちょっと恥ずかしいな。問題は、自分だけが気がついた、ということなら多少の自慢はまあ割り引いて読めるけど、みんなが同じように「俺は知ってたゼ!」というような書き方をしているとやはり読んでいる方は「こいつらみんなバカ」みたいな気がしてくるということだろう。こういうネタについて書くときはそういうことになりがちなので少々注意したいものだ。(こういう書き方が一番偉そうだと突っ込まれるに違いない)

「日本人はマスコミに踊らされすぎて問題だ」と嘆いたり怒ったりする人もまた多い。不二家問題にしても納豆問題にしても「恐ろしいね」などと顔をしかめて、無理に普段食べていないミルキーを食べたりするひともいるが(って私もそういうところがあるが)、何だかそれもまたステロタイプの一環で、まあそういうことは誰でも言う、という気がする。もちろんマスコミに踊らされすぎることは問題なのだが、「踊らされるなよ」という言説もまたどこかで誰かが書いた言説なのであって、その言説に「踊らされている」感もまた強いということである。まあもちろんそれがある程度の影響力を持つということはそこに何がしかの真実が含まれているからに違いはなかろうが、その言説がパーフェクトで完璧な真実を言い当てているかというとやはりそれはそれで違うだろうと思う。

私は自分自身のダイエットについてそんなに強い問題意識を持ったことがあまりないのでそういうことを切実に感じている人の問題意識をどこまで理解しているかは分からないのだけど、みんな納豆を買い込んだのは、やはり納豆だったから、つまり「安いから」だったのだと思う。もしこれが「キャビアにダイエット効果!」だったら、そんなにみんな買ったかな。あるいは「大吟醸で驚きの激痩せ効果!」でもいい。これで注文殺到ならある意味ちょっとびっくりだが、納豆みたいな安い身近にある食品で痩せられる、という「お得感」「手軽感」があったからみんな買ってみようと思ったんだろうと思う。つまり300円で一億円が手に入る(かもしれない)みたいな宝くじ的な「夢」を買うという部分が大きかったんじゃないかなと私などは想像する。

しかし、書いてきて更に違うことも考え付いてきたが、つまり、人心を誘導しようと思ったら以下に「お得」「手軽」ということが魔法の杖になるかということでもあるなとおもった。エコノミーでコンビニエントなものを追求する心性にちょうどスパッとはまった、あるいははまりすぎてしまった、ということなのだろう。制作者サイドもおそらくこんなに話題になるとは思わなかったに違いない。もしこんなに話題にならなかったら、かなりいかがわしいデータでもスルーされていたに違いない。というか、そんなもんだと高をくくっていた製作者サイドがある種の天罰というか、天網カイカイ疎にして漏らさず、ということになったんだろうと思う。魔法の杖は使い方をまちがえると自分がひどい目に遭う、という「魔法使いの弟子」の説話のような話である。

まあなんというか、こういう話がたとえば江戸時代に出回ったら、(江戸時代にダイエットが問題なるってことはそうはなかっただろうが)みんな面白がって納豆を買ったんじゃないかっていう気がする。江戸っ子は何でも面白がってわいわい騒ぐのが好きだったから、納豆に関しても面白がったんじゃないか。でもだまされた、って怒るのは「野暮」な「イナカモノ」だって馬鹿にしただろうけど。で、武士とかご隠居が「風説に騙されおって」とか怒っていると「頭がかてえなあ」とか言ってこれもまたからかわれたり。

つまり、そういうややいかがわしい話を面白がるのもバイタリティの現われなんであって、本気で納豆で痩せると決意して納豆を買い込んだ人はそんなにはいないんじゃないかな、という気が私はするということである。踊らされている、というより、みんなもっともっと踊りたいのだ。踊れる場所がないから有り余ったバイタリティが納豆を買い込む、というところにつぎ込まれたんだろうと思う。

なんだかんだ言ってもみんな元気なんじゃないかな。元気が有り余っているということが問題だといえば問題だが。もっといいほうにエネルギーを向けて…などとしたり顔で言ってみてもよいが、それもまた野暮の骨頂というものではある。

韓流に走ったりハンカチ王子を追っかけたりするのもつまりはエネルギーが有り余っている現象なんだろう。誰かこのエネルギーを利用して日本に新しい産業を興さないかな。


右カラムのランキング投票(日記才人から来られた方は上の投票ボタンも)にご協力いただけると嬉しいです。

以下のサイトもよろしくどうぞ。

『読みたい本を見つけよう!本探し.net』
『本探しブログ:本を読もう!』

詩のメールマガジン『詩の林檎』
携帯版『詩の林檎』

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday