「生まれながらの従業員」はいない/「朝鮮屋」の人びと

Posted at 07/01/20

昨日帰京。信州はそんなには寒くなかったが、どうも何だか東京が寒い。気温はもちろん東京の方が暖かいはずなのだが、ちょっと妙だ。

帰りの特急では『月刊全生』の古い号をぱらぱら見たり。なんとなくぼおっとしながら過ごして東京に着く。帰りにちょっと新しい本を読みたくなって地元の文教堂により、ロバート・キヨサキ『金持ち父さんの起業する前に読む本』(筑摩書房、2006)を買う。

金持ち父さんの起業する前に読む本 ビッグビジネスで成功するための10のレッスン

筑摩書房

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この本でとかれているのは、というかキヨサキが前著『金持ち父さん貧乏父さん』等でも述べているのは、起業家になることは特別のことではない、ということ。なるほどと思ったのは、「生まれつき起業家に向いているタイプはあるのか、という質問には意味はない」という言葉。つまり、この逆の質問は「生まれつき従業員に向いているタイプはあるのか」ということになる。これは確かに意味がない。人間は生まれながらにして会社員なのではなく、長年の学校教育の成果としてめでたく鋳型にはめられたら会社員になれるわけである。これは会社員だけでなく、学校教員や公務員、学者などでもほぼ同じだろう。つまり、従業員になる人が多く起業家として成功する人が少ないのは従業員教育はどこで設けられるが起業家としての教育はどこでも受けられないということに尽きる、ということになる。これは近代の学校教育制度の本質をつく問題で、確かにその通りだと思う。

今のように会社員が普通の就業形態になったのはそんなに昔のことではない。少し昔は、小商店主など小規模の自営の人たちがずっと多かった。学校教育の徹底と均一化とともに会社員が大量生産されるシステムが出来上がったわけだ。

もちろん近代の学校教育制度、特に義務教育制度は大量の高い水準の工場労働者と粒の揃った兵士を生み出すことに大きな目標があったわけだが、中等教育がほぼ義務化されるとホワイトカラーもまたこのシステムの中で大量に生み出されるようになる。現在は大学も義務化とは言わないまでも大衆化しているから、社会には従業員教育が相当程度徹底していることになる。

だから起業家になる、というのはそういう教育の大きな道筋に反することであるので、もともと困難が伴うことだというのは理解しやすい。まあ無意識のうちながら、自分自身が「従業員としての優秀さ」を回りからも求められ自分でも追及していたということはあるなあとこれを読みながら思った。

キヨサキはビジネスに関わる人を座標軸的に4つに分類している。第一象限がビッグビジネスオーナー、第二象限が従業員、第三象限が自営業者・専門家、第四象限が投資家である。で、キヨサキは第一と第四、つまりX軸方向にプラスの二つのタイプを勧めていて、それは税制上有利であることや、自分自身の拘束度が低いことにあるということのようだ。やはり、従業員の状態から脱したいと思う人のなかには(私なども数年前に教員を辞めたのはやはりそういうことなんだろうと思う)、専門家を目指して自立する、という人が多いように思う。私もある程度その方向性を目指したこともある。つまりこれは、同じ方向性でキャリアを積むとか手に職をつけるというような意味で従業員的マインドにとっても理解しやすい就業形態だからだろう。それらを脱して第一象限や第四象限に行くのは、やはりどこかに大きな飛躍が必要だということは読んでいるうちに実感されてきた。

この本はまだ66ページまでしか読んでいないのだが、この本を読んでいてその内容が昔よりずっと理解できるのは、最近野口整体の文章を読んでいることと関係があると思う。野口晴哉の文章の中で、「生命が溌剌とすることが全生」であるとか、「病気を恐れる心が病気を作る」といった内容が、キヨサキのいう「従業員は安全を求め、起業家は自由を求める。安全を求める心のうしろには恐怖がある。」という言葉と重なってくるからなのだと思う。このあたり、かなり本質的な問題なので逆になかなか書いてしまっていいのかなという気もしなくはない。これらはおそらくひとつのことの二つの表現で、いわばそのアメリカ的な表現と日本的な表現なのだろうと思う。「体」と「ビジネス」というのは例えていえばある種の媒体、メディアに過ぎないとさえ言える。

まあしかしここでこれ以上深入りするのはやめておこう。こうして書いていると思うが、同じ時期に同じ二つのものに出会うというのはやはり何か意味があるということなのだと思う。ユング的なシンクロニシティの発想だが。

ただいずれにしろ、これらの考え方は今まで自分が積み上げてきたものとかなりかけ離れているので結構自分自身が受け入れるのが難しいところが多い。どうもなんとなく今日は体調不良なのだけど、そういうことと絡んでいる気がする。何というかそういうことに結構敏感な体質なのでときどき大変な感じになる。

***

気分を変えて、最近ブックマークした記事。拉致被害者を救う会や特定失踪者問題調査会で活躍されている荒木和博氏のブログから。『朝鮮屋』という題である。

朝鮮半島を専門にしている人たちを彼らの間で「朝鮮屋」というのだそうである。この言葉は初めて知ったが、つまり「英語屋」とか「技術屋」というのと同じ語感で、チャイナスクールとかアメリカンスクールというのとも近い。朝鮮屋は当然韓国か北朝鮮の問題をやっているわけで、朝鮮屋の人たちが集まると韓国か北朝鮮の悪口になり、しかしそうでない人から「コリアの悪口を言われると気分が悪い」のだという。

このあたり、読んでいて不思議に感じた。北朝鮮問題をやっている人は基本的に北朝鮮に厳しいわけだから朝鮮半島全体についてなんとなく否定的にとらえているイメージがあったが、ああそうじゃないんだ、ということが分かった。荒木氏も、自分の国の次にどこが好きかといわれたら韓国だ、ということになるのだという。このあたりは『マンガ嫌韓流』の作者などとは根本的に違うんだなあということが分かる。『朝鮮屋』の人たちはずいぶんこまめに韓国から情報を収集したり危ない橋を渡ったりしていて、まあそれが仕事だからなんだろうと思っていたが、そうかもっと根本的な部分では結局朝鮮のことが好きなのか、ということが分かるとある意味彼らの活動も納得のいく部分がある。確かに好きでなければこんな大変な仕事、出来ないよなあと思うもの。

で、朝鮮・韓国のどんなところが彼らは好きなのか。荒木氏はこんな例を挙げている。

1930年代、日本統治下の朝鮮ではクリスマスが京城などでは派手な宴会が行われたのだという。

…以下引用…

「都心の巷では狂乱のお祭りが繰り広げられた。『土産クリスマス』と名付けられた歓楽の祭りである。『会費1円50銭、料理2種類、酒1瓶、美女50余名サービス   カフェ・ビーナス  クリスマスイブニング祝賀宴』という、当時の広告のコピーに見られるように、カフェ、バー、料亭などは先を争ってクリスマスの祝賀宴を開いた」
 面白いのは、日支事変勃発(昭和12年)後、総督府がクリスマス祝賀宴を禁止すると、「国威宣揚記念会」「南京陥落祝賀晩餐会」「皇軍戦勝大宴会」などと名前を変えて相変らず宴会だけはちゃんとやっていたという話だ。記事を読んでいて思わず吹き出してしまった。およそ「植民地支配に呻吟する朝鮮人」というイメージとは異なるが、こっちの方がはるかに現実に近いだろう。コリアンのジョークのセンスなども日本人とは異なる、天性のコメディアン的なものだ。

…引用終わり…

このあたりなるほどなあと思う。私も韓国の若手の役者と日本の役者のコラボの舞台を見たことがあるが、「天性のコメディアン」というのは分かる気がする。実際彼らは日本非難を始めたりウリナラマンセーをはじめたりすると閉口するが、普通に喋っていると実に元気で陽気で、面白くて仕方がない面はある。朝鮮屋の人々にとっては、そういうところが実際とても魅力的なんだろうと思った。

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