自己処罰の自己目的化と日本の戦後

Posted at 06/09/23 Trackback(1)»

昨日の午後は少し休みを取りながら筒井紘一『茶の湯名言集』を読み、読了。やはりお茶を知らないと分からないことが多かったけれども、エピソードは興味深いものが多い。こういうエピソードはある種の財産だと思う。その財産性を損なわないように深く研究することが出来ないだろうかと思う。そういうことこそが今最も求められていることかもしれない。

茶の湯名言集

淡交社

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昨夜の仕事の後、帰京。車中では前登志夫『存在の秋』を読み続けるが、まだまだ終わらない。この世界に入るのはなかなか難しかったが、だんだん近づいている感じはする。西欧的な近代知性の刻印を受けてしまった山人のたましいというか、そういうものの哀しさのようなものがこの人の文章にはある。それは本来は山人だけではなく、日本人、あるいは非西欧人全体にあるものなのだろうと思う。完全にアメリカナイズされ、その色に染め上げられてしまった人は最早日本語を喋ろうとどんなに立派なことを言おうと日本人という感じはしないが、多くの日本人はある種の哀しみを滑稽な形にしろ(だからこそよりいっそう悲しいのかもしれない)抱えていると思う。日本には日本の文化というものが数千年の歴史を背負って残存しているからこそ、よりいっそうその哀しみが際立つのだろう。徹底的な植民地化により跡形も泣く文化が消えてしまったポストコロニアル社会などとは別種の哀しみだということになるのだろう。

存在の秋

講談社

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われわれは日本人としての哀しみを背負っていかなければならない。それは、大正時代に李朝の白磁を民族の悲しみの色だと表現した柳宗悦の説明が日本人にも当てはまるようになったということでもある。何があっても滅びない強さというものもあるけれども、脆弱な、風が吹いても滅びてしまうような繊細さも文化というものは併せ持っている。その部分が踏みにじられていく時代ではあるが、前のような文章を読んでいると、まだ日本には征服されない強さのようなものが残っているということに力を感じることができる。暗い冬の時代を生き残ることによって、日本人のたましいはより強くなることができるのだろうか。

新治 筑波を過ぎて
幾夜か寝つる
日日並べて 夜には九夜
日には十日を

「古代人はこのようにして旅の日数を数えたのであろう。太陽が沈み、ぬばたまの夜となり、ふたたびその夜が明けると、一夜はかぞえ重ねられる。これほど確かな日よみはない。これほど原初的な思考はあるまい。素朴といえばそれまでだが、私はこうした生活のつかみ方をおそろしいと思う。じつに密度のあるぬばたまの古代の夜がここには実在する。」

古事記の倭建命の歌が、このように実在感を持って語られているのを読んだのは初めてだった。古代の人々と会話するこのような営みを滅ぼそうという現代ではあるが、誰にも止めることの出来ない古代への憧憬と傾倒が、没入がある。前はそれをつかみ得る歌人なのだと思う。

「もう村の叫びを誰もきかうとしないから村は沈黙した。私の叫びの意味を答へてはくれぬ。人はふたたび、村の向う側から、死者のやうに歩いてこなければならない。芳しい汗と、世界の問いをもって――」

「私はこういう自己処罰の形で、自らの戦後を超えようと企んでいたようだ。いわば原体験の日常化でもあった。そして、愛すべき日本のソネットとしての短歌が、どうやら私の製作意図や知識をこえた血脈の深い部分からやってくるものだと観念するにつれて、私を歌わせているものがあらたに気になりはじめた。ようやく山の戦後史が峠にさしかかろうとするころに、状況は、この奇妙な隠者に新たな危機を突きつけた。高度経済成長のもたらす広汎な世界の虚像化ともいうべき何かである。」

自らの戦後を超えるために必要な自己処罰。それを多くの日本人が体験してきたことはいうまでもない。もはや自己処罰が自己目的化して形式的に再生産さえされている。国旗国家を巡り滑稽な愚者劇が演じられるまでに日本人の自己処罰はお家芸になってしまった。自虐芸人国家である。芸人根性が逞しい人々が多いのは世界のたいこもちとして生き残ろうという戦略の現われでもあるのだろうか。平和平和と唱えるたいこもちの腹を反骨のたましいがないかとびくびく探っている連中もまた滑稽な愚者劇の出演者ではある。

それはともかく、戦後という歴史が自己処罰の歴史であったことは否定できない事実であり、その自己処罰にきちんと向き合えないからこそ異常な歴史になったのだろう。しかし、人間が、あるいは国家大衆というものがそのような倫理的なテーマに国をあげて取り組むことなどどこの国であっても不可能である。旧約聖書には神の言いつけに背く度し難いユダヤの民が繰り返し描かれているが、国家大衆というものは本来そういうものであって旧約のユダヤの民のみが特別の存在ではない。戦争で多くの日本人の命を損なった原罪を、日本人であるわれわれは背負っている。アメリカの空襲を防ぐだけの力を維持できなかった弱さが原罪のひとつであることは確かである。

どの国も、ほかの国を攻撃することは出来ても自国が攻撃されることのない状況に自国を置いておきたいと思う。その極端な度し難い例が北朝鮮であるが、どのような国も同じことだ。中国も韓国も、そしておそらくはアメリカもロシアも、日本を悪者にし続けたためにある種の日本恐怖症のようなものが骨がらみになってしまっているのだろう。首相が神社に参拝するだけで恐怖を煽ることができるのだからある意味外交的な資産なのかもしれないが、われわれから見ればばかげたことだと思う。ばかげたことに付き合う義務はもちろんわれわれにはないが。

話が全然ずれてしまったが、ある種の自己処罰の自己目的化のようなものが日本の戦後を支配していたということが言いたいのである。出口のない自己処罰を信奉する人々が戦後左翼と言われてきて、今でも無視しがたい勢力を持っているのはなぜなのだろう。それもまた日本人の民族性に由来する部分がどこかにあるのだろうと思う。

「短歌は愛すべき日本のソネット」という言葉は、私の心にも反響する。ソネット、という外国の詩の形式を介さないと短歌の愛すべき由縁が強く感じられないというのは、私自身のために残念なことだと思う。しかし、一度そのような外部を経てから出ないと日本文化そのものに触れることが、われわれには出来なくなってしまっているのだ。それもまた近代人の哀しきさだめというしかないことかもしれない。

「焚き火にあたっていると、私の気持ちは落着く。山に住むもののひさしい習慣であろう。家にいるときの不安や焦燥がなくなる。何ひとつ所有しなくとも、自由に生きていけるような安堵がある。炎のカタルシス。わが交霊の密儀――かく燻されていくわが山の人生。人間が火を使いはじめてから、どれほどの歳月が経つのか。百万年、あるいはもっと古いことなのか。はじめに天の火を盗むことによって人間の文明はひらけてきた。盗みや殺し――文明のはじまりは、自然に対して人間が罪を侵すことであった。」

文明に対してこのような自己認識をもてるのは、現実には日本の文化だけなのかもしれないと思う。自己処罰というのも結局はこの自己認識の変奏に過ぎない。戦後の日本が一貫して演奏し続けている自己処罰のソナタ。この組曲はいつまで続くのか。

長々書いてきたが、まだ104ページ。半分も読んでいない。破壊力のある文章である。

「日日並べて 夜には九夜 日には十日を」とつぶやいてみる。

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