パラオの大酋長/ショウペンハウエル/プーシキン

Posted at 06/01/29

金曜日は忙しくて日記を書いている暇がなく、深夜に上京。土曜日は一日のびていてものを書く気がしなかった。二日も間が開いたのは久しぶりだが、まあ仕方がない。

昨日は本当に疲れていて、10時ごろ友人からの電話で目を覚ます。しばらくおしゃべりし、昼食をとった後、なんとなくうだうだと放送大学を見て、西洋文化史の阿河雄二郎氏の話と、西洋音楽史の笠原潔氏の話をずっと視聴していた。お二人とも初めて知った方なのだが、阿河氏の絶対主義時代における地方都市文化の形成、エリート文化と民衆文化の話など、非常に参考になるところがあった。こうした研究を10年前に知っていたら私の当時の研究内容もまた違う観点からもっと豊かに出来たのに、と残念に思う面もあるが、まあ人生というものはそういうものだろうと思う。その当時の精一杯以上は、出来ないことは出来ないのだ。笠原氏の話については下に書いた通り。

暗くなりかけてから町に出かけ、夕食の買い物のついでに駅前の文教堂で『わしズム』(2006年冬号、小学館)とSAPIO(2月8日号、小学館)、ショウペンハウエル『読書について他二編』(岩波文庫、1960)を購入。なんとなくかったるくてわしズムとSAPIOは何とかマンガの部分だけは読んだが活字の部分は読めず。パラオの大酋長レクライ氏の話が印象に残る。「戦争は、なぜしようと思ったのかを考えなければならない。ポジティブに考えれば、自分の国を将来もっと強くするために、しなければならないと思ったのではないか。それは今の若い人たちのため、子どもたちが安心できるようなもっと強い国を作らなければならないと思ったのではないか。」言われてみれば当たり前のことだが、こういう当たり前のことが日本という言説空間では凍結されている、ということに同意。SAPIOでは『ゴーマニズム宣言』は小林よしのり氏ご尊父死去についての作品。合掌。

最近、読書というものの重要性について強く感じることが多く、まっとうな社会人も、大学生も中高生もほとんど本を読んでいないことに対する驚きのようなものを覚えることが多い。本を読もう、本には何でも書いてある、というキャンペーンでもやらなければならないと思うのだが、読書の魅力というものを訴えると言うのはそう簡単なことではないなと思う。実際、私なども最近プーシキンを読み出して、文章を読むことで自分の中の情感や情緒などがいかにかきたてられ、彫琢されていくかということに改めて驚いているくらいなので、読書というものが持つ人間文明における決定的な重要性というものを認識させ実行させることがいかにして可能なのかということについてはちょっと呆然としてしまうところがある。

そんなことを考えつつ本を物色していたのでショウペンハウエルの『読書について』が目に付いたのだが、この本は多読や耽読により思考能力や実行力が奪われていくと言うむしろ読書批判の書で、そういう意味で結構面白かったりし、つい買ってみた。まだほとんど読んでいないが、文章の組み立てが巧いなあと思う。

夜は読みかけの『エヴゲーニイ・オネーギン』を読み続ける。ただいま第3章23節。こういう本は急いで読むものではないなと思う。急がない、という言葉は座右の銘にしなければと最近強く思う。

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