「冷戦」とはなんだったのか:資本主義イデオロギー国家であるアメリカと共産主義イデオロギー装置で荘厳されたパワーポリティクス国家ソ連との対立

Posted at 24/03/14

3月14日(木)晴れ

今朝はマイナス3.7度。少し冷え込んでいるが、そんなには感じない。なんとなくの春っぽいものがあり、もちろんじっとしていれば寒いのだが、昨日の昼に気温は5度以下ながら雪がかなり融ける日差しがあったからだろう。暖かさとか寒さとか、気温だけでは測れないなあと思う。日差しの量とか、日が出ていた時間とか、風の強さとか、雪か雨かとか、日の長さとか。いろいろな面で寒さを感じても、確実に日足は長くなっていて、来週には春分。それが気持ちの上での暖かさにつながっているのだろうなあという気はする。

昨日は午前中にガスの点検の人が来て、点かなかったガスストーブを見てもらったがこれは電池が切れてるのが原因とわかり、電池を交換してもらったら点くようになった。台所の唯一の暖房なのでこれはありがたい。コンロや魚焼き機の方は交換しないとダメだということだったので、ほぼ一人暮らしの現在ではまあ必要ないかなと。東京の自宅にあるものはほぼ自分が買ったり修理したりしたものなので状況はわかるのだが、実家のものは両親が買ったものが多く、マニュアルなどを取っておかない人たちなので調べる時間がないと不便なまま放置することになりがちである。時々ちゃんと専門家に見てもらえるのはありがたいことだ。

そのほか昨日は会計作業をしてもらって、その間に郵便局と信金に行って残高証明を取ったり、お茶菓子を買ったり、お昼の買い物をしたり、クリーニングを取りに行って出したりした。法事の後の礼服・喪服があったから六千円くらいになった。まあこういう行事は付随的な支出が結構多いのだよなと思ったり。

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昨日書きかけていたもう一つの話、冷戦とはなんだったのかということについて。

一昨日読んだ冷戦期についての文章、これは元々は「冷戦」上下という大作に対する批評なのだが、これは自分に刺激になった。まだこの本は読んでいないので塩川さんの書評を通してしかこの本を見ていないから正当に判断できない部分が多いのはお断りしておく。

https://twitter.com/NobuakiShiokawa/status/1767176395825013129

http://www7b.biglobe.ne.jp/~shiokawa/notes2013-/AonoToshihiko.pdf

この書評で一番印象に残ったのは、

「著者は、「ソ連はしばしば地政学的 利益を確保するための行動をとったが、全世界の共産主義革命という究極目標は冷戦後期 まで決して放棄されなかった」という(上、9 頁)。この個所を読んで私は思わず天を仰ぎ、 一体何という突拍子もないことを言うのかと呆れざるを得なかった。」

というところなのだけど、これは西側諸国の一部が持っていた幻想のソ連観なのだと思う。つまり、この本の著者の方は冷戦期の対立の本質をイデオロギー対立だと考えていたということで、「ドミノ理論」でベトナム介入に走ったケネディ・ジョンソン両民主党政権と同じ考え方だということになる。また「悪の帝国」論を唱えてソ連に対する軍事的対抗を強化したレーガン政権もそう考えていたわけだ。

現実はどうかといえば、世界革命を唱えて各国に共産党の結成を促し、それに賛同して多くの共産党が生まれたのはレーニン時代(1917-24)が中心で、たとえば中国共産党の成立は1921年、日本共産党の成立は1922年である。スターリン時代が「一国社会主義」と呼ばれ、世界革命よりもソビエトロシアの防衛を最優先にしたことは冷戦期に高校教育を受けた私の世代なら誰でも知っていたことで、世界革命を唱えるトロツキーは亡命して最終的に暗殺されたわけである。

ただ形式上はコミンテルン(第3インターナショナル)という国際共産党組織は持っていたが、第二次世界大戦中に連合国との協調のために解散されている。冷戦の成立時には共産主義イデオロギーはすでに「世界革命理論」ではなく、第二次大戦の結果多くの衛星国を獲得した「大国ソビエトロシア」を飾り立て、またその防衛のためのシンパを世界に獲得するための装置、「イデオロギー的荘厳装置」にすぎなくなっていたというべきだと思うのだが、しかし当然ながら日本や中国をはじめとする共産党員やそのシンパたちにはその構造は見せられなかったわけだし、アメリカをはじめとする西側陣営もまたそれに惑わされていた面は大きかっただろう。

上に述べたようにソ連共産党は国際共産主義を西側を恫喝し植民地・新興独立諸国を取り込み世界中のシンパを熱狂させるための「イデオロギー装置」として十分に活用したと思うし、その幻影に踊らされてアメリカはベトナムに介入したと考えるべきではないかと思う。

アメリカがそのように「ソ連は共産主義の輸出により世界革命を図っている」という幻影に怯えたのは、アメリカ自身が「資本主義市場経済の拡大により世界を民主化する」というイデオロギー的理想を持っていたから、という指摘が上記の書評にあるけれども、これはその通りだと思う。アメリカ自身が千年王国的な自由主義の夢を持ち、「ファシズムとの戦い」に勝利したことでさらに自信をつけ、「黄金の50年代」を謳歌していても、ソ連は不気味な存在だった。スターリンの死去とフルシチョフの「スターリン批判」は各国の共産主義陣営に激震をもたらしたが、アメリカはその深刻な意味を十分には理解していなかったのだろうという気はする。「イデオロギー対立」という半ば仮構の物語に踊らされていたのはむしろアメリカの方だった、というのは当たっている気がする。もちろんソ連のシンパの国々や活動家たちもいい面の皮ではあるわけだけど。

ただスターリン批判は共産主義陣営内で、ソ連の忠実な追随者であった中国共産党・毛沢東の反発を招いた。ある意味ソ連崩壊はこの時に始まった、とみることもできる気はする。米ソ両国は原水爆の開発や宇宙開発においてしのぎを削っていたが、幻想であろうと現実であろうと米ソは確かに対立していたのであり、お互いに国力と科学力の全てを傾けて開発を続けていたわけだが、ソ連から離れて共産主義を徹底しようとする中国の路線は当然アメリカとも相いれず、第三の大国たるを目指さざるを得なかったわけで、その大きな一歩が1964年の中国による核実験の成功ということになる。中国はさらに1966年から文化大革命を始めてイデオロギー的な引き締めをいっそう図ったわけで、アメリカはもとよりソ連に対しても方向の純粋性を誇示し、毛沢東の「農村が都市を包囲する」といった第三世界の国々での革命の実現性を感じさせる理論の提示などにより、ソ連ではなく中国の指導に可能性を見出す国や集団も現れたわけである。

こうした状況下で現れたのがニクソン政権のキッシンジャーだったわけだ。彼は民主党政権がイデオロギー的な色眼鏡によって始めたベトナム介入を批判し、理想(イデオロギー)より現実(パワーポリティクス)を重視すべきだという立場から外交を行い、ソ連から離れて孤立している第三の大国・中国に目をつけたわけである。キッシンジャー主導でアメリカは中国と国交を回復し、中国もまた、イデオロギー対立だけでなく中ソ国境紛争というリアルな対立がソ連と起こったこともあり、それに乗ったわけである。

中国では周恩来がアメリカとの関係改善を主張していたが毛沢東の反対で上手くいかず、親ソ派の林彪が主導権を握ったが、中ソ対立が激しくなったから毛沢東もソ連を牽制するために米中国交正常化というウルトラCに踏み切ったのだろう。反対した林彪はソ連へ亡命途中で墜落事故で死亡した。(こう考えてみると批林批孔運動というのはソ連に近い林彪とアメリカに近づこうとする周恩来(孔子に例えられた)の双方を毛沢東が批判する構図だったのだなと了解できる)

「世界を変える」といういう意味では共産主義のイデオロギーが強い影響力とシンパシー、一方では恐怖心を与えたことは間違いなく、そういう意味では共産主義のイデオロギー的盟主、指導者は誰かというのは重要な問題だったと思うので自分なりにまとめてみる。

当然ながら、マルクス・レーニン主義というくらいだからマルクス・エンゲルスに荘厳されたレーニンの世界認識理論・闘争理論が最も強い権威を当初は持っていたわけで、スターリンとトロツキーの理論闘争以降はより強権的・全体主義的なスターリン主義が主導権を握り、各国共産党・シンパも基本的にはスターリン・コミンテルンの指導に従ったわけである。

しかし対日戦争の途中から中国共産党内部で主導権を確立した毛沢東は必ずしもコミンテルンの指導に従わず、いわゆる「長征」を行って根拠地を移し、その中で「農村が都市を包囲する」という独自の闘争理論を打ち樹てた。本来都市革命理論だったマルクス・レーニン主義が農村根拠の闘争理論としての毛沢東理論が生み出されたことで共産党の闘争方法の多様化が始まったわけである。

対日戦争をやり過ごし国共内戦に勝利して大陸のヘゲモニーを握った中国共産党は毛沢東をカリスマ的指導者として中華人民共和国を打ち立てたが、冷戦の最初のリアル戦争であった朝鮮戦争は金日成の冒険主義で始まり、一度は国連軍に追い詰められたものの、中国の義勇軍によって現在の軍事境界線まで押し戻し、この面でも中国の権威は高まることになる。

ソ連は第二次大戦終結後、米英側の譲歩により東欧に支配圏を確立し、より強固なソビエトロシア防衛壁を築いた。スターリンの生前は安定した状況で原爆や水爆の開発も実現し、恐慌状態に陥ったアメリカにマッカーシーの赤狩りを巻き起こすなどしたが、スターリン死後のフルシチョフによるスターリン批判により毛沢東の中国が離れていく。

一方で強いアメリカの影響下にあったキューバで革命が起こり、いわゆるキューバ危機で「共産主義の脅威」を強く実感したケネディ政権はドミノ理論(一国が共産化するとドミノ的に周囲も共産化する)を採用してインドシナの紛争に介入することになる。

ソ連はフルシチョフ・ブレジネフ時代には特にスプートニクショックにはじまる宇宙開発競争においてアメリカに対しリードを保っていたが、こちらはケネディ政権の宇宙開発重視政策で経済力に勝るアメリカが先んじて月面有人飛行を実現するなど、優位を回復していった。ブレジネフ時代にはソ連の経済的停滞も一部では西側にも伝えられるようになり、中国の文化大革命によるイデオロギー的熱狂もやがてその負の側面も伝えられるようになって、中国神話も徐々にメッキが剥がれていく。

このような構造を大きく転換したのはやはりキッシンジャーの中国接近で、これをきっかけに毛沢東は彼の理論による原理主義からパワーポリティクス的な行動に重心を置くようになった。一方ではヴェトナム戦争の解決についてはアメリカには協力せず、アメリカが撤退の動きを見せるとカンボジアに介入してポルポト政権を成立させ、毛沢東理論を独自に徹底したポルポトが自国民虐殺を行うとソ連に近いベトナムが介入したのに対してベトナムを懲罰するために中越戦争を起こすなど、ハンガリーやチェコに介入したソ連と同じような動きをした。

キッシンジャーの中国支持によって起こったこのような変化についてキッシンジャーの責任を問う動きがあることを先日読んだ記事で知ったけれども、確かにアメリカが対ソ優位を築くために行った中国の大国化承認によって一番割を食ったのはインドシナ諸国であったなとは思う。

70年代にはその後も毛沢東主義を唱えるネパール共産党や、南米諸国例えばペルーのセンデロ・ルミノソなどの動きが活発に90年代までは続き、このイデオロギー面での中国の影響力の強さは改めて考えてみるべきことだなと思った。

もう一つ共産圏で活発に世界的な動きをしていたのはキューバで、特にアンゴラなどアフリカでの活動が目立った。これらに対しソ連がどの程度の影響力を持っていたのかは検討しないといけないが、70年代後半には共産主義の家元であるソ連だけでなく中国やキューバの流派も世界で動いていて、それは相対的にソ連の影響力を削いだという側面の方が強いのではないかと書きながら思った。

まあなかなかまとまらないが、現時点で自分にとっての冷戦のイメージをまとめておく。

冷戦とは、資本主義イデオロギー国家であるアメリカが、共産主義イデオロギー荘厳装置を備えたパワーポリティクス国家ソ連との対立に、共産圏の内部分裂を利用して農村闘争原理主義者・毛沢東が大国化させた中国を引き込んで共産主義の権威を分裂させ弱体化して、「悪の帝国」理論により資本主義生産力の力で最終的に圧倒した戦いであった、ということかなと思う。

アメリカでは冷戦期を振り返る動きはあまりないようなのだけど、これは逆に「勝利した側の怠慢」なのだろうと思う。これは第二次大戦後の「ファシズムとの戦い」に勝利した後のアメリカの慢心と同じことで、ファシズムとの戦いのために同じ全体主義のスターリンを引き込んでのちの冷戦という災いを招いたように、「共産主義との戦い」である冷戦に同じ共産主義の中国を引き込んでいままた権威主義化した中国との対立を招いている、ということなのだろうと思う。

日清・日露戦争に勝利した日本では、参謀であった秋山真之が戦後の連合艦隊解散の辞として「勝って兜の緒を締めよ」と起草したが、結局は論功行賞が先になって真摯な反省が行われないままになったために大東亜戦争での失敗を招いたと言われているけれども、「勝った軍は統御できない」みたいなことを渡部昇一さんが「ドイツ参謀本部」で書いていて、これは普仏戦争の時に皇帝ナポレオン3世を捕虜にしてしまって交渉相手を失い、パリを占領してフランスに敵愾心を残したことに宰相ビスマルクが絶望しそうになったという例として挙げられている。

第二次大戦後のアメリカの対日政策は(アメリカとしては)「概ね成功」だったのだろうし、冷戦後の対ロシア政策も最初は順調に見えたがプーチンのアメリカ批判からはそうはいかなくなってきた。その辺を油断というのは難しいが、見通しの甘さがあったということは言えるだろうと思う。

冷戦勝利ののちはロシアを自由主義圏に引き込むという理想が語られていたわけだけれども、それが結局は失敗に終わったことは現在のウクライナ戦争によく現れている。中露が再びアメリカおよび西側諸国の敵として現れていることについて、冷戦の進行から検討し直してみることは有効だと思うのだが、まあ最近冷戦やキッシンジャーの業績について取り上げられている動きはその辺の見通しが企図されているのかなあと思ったりはする。


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