春の雪/日本にとっての第二次世界大戦をなんと呼ぶか:大東亜戦争・太平洋戦争・その他/「小学館漫画賞」:芦原妃名子さんの事件と漫画や創作への愛と情熱

Posted at 24/03/06

3月6日(水)雪

昨日の夜から雪が降り出し、数センチ積もっているが、「3月になってから寒くなった」という印象が強化されている。今日は長野県の高校入試の日なのだが、気をつけてもらいたいものである。

昨日は昼前に母を歯医者に連れていき、思ったよりは時間がかからなかった。喪服の用意等行き違いがあったのだが、まあ大丈夫かなとは思う。昼食の買い物をして帰宅し、昼食後いろいろ整理。やることが多い。今日も松本の整体に出かけるのだが、道路状況はどうだろうか。

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日本にとっての第二次世界大戦をなんと呼ぶかということについては、大東亜戦争・太平洋戦争・15年戦争その他いろいろな呼び方がされてきたわけだけれども、最近では「アジア・太平洋戦争」という呼び方が定着する傾向にあり、これは気持ち悪いなとずっと思っていた。

なぜ気持ち悪いと思うのかよくわからないでいたのだが、「太平洋戦争」の方はアメリカとの戦争だということがはっきりしているけれども、「アジア」をつけると日本がまるでアジア諸国と戦ったかのような印象になるから、ということに思い当たった。東亜というのは日満支、つまり日本(朝鮮台湾含む)と満洲国、中韓民国を含む範囲を指すわけだが、「大東亜」は東南アジア諸国も含まれる。つまり「大東亜戦争」なら実態はともかく、大東亜諸国のイギリス等の植民地からの独立を期し、大東亜共栄圏を建設するという戦争目的と、つまりは「イギリスとの戦争」という意味ははっきりする。ただ、大東亜戦争だけではハワイやアリューシャンも含むアメリカとの戦争というニュアンスが伝わりにくいので、大東亜・太平洋戦争くらいがちょうどいいのではないかと思った。

この戦争において日本が宣戦を布告したのはアメリカとイギリスに対してだけであり、中国とオランダが日本に宣戦したことによって両国とも形式上戦争状態に入った。それを受けて日本では盧溝橋事件以降の支那事変も大東亜戦争に含めるとの閣議決定を行なったという経緯がある。ソ連に関しては対ソ戦争への警戒はゼロではなかったがかなり楽観視されていて、終末期のソ連の宣戦布告と満洲・樺太・千島への侵攻の開始は日本に大きなダメージを与えたことは確かである。

大東亜戦争という呼称がGHQによって「侵略的」とされて使用が禁止されたことにより戦後は太平洋戦争と呼ぶことが一般化していたが、これだとアメリカとの戦争という側面のみが強く意識されるのでアジアでの戦争が等閑視されがちになる弊害があったが、GHQの呪縛によって大東亜戦争と呼称できなかったので満州事変以降の「「侵略」の継続性」を強調する「15年戦争」やアジア諸国への「侵略」を強調する「アジア・太平洋戦争」という呼称が生まれることになった。

大東亜戦争という呼称が嫌われたのは「大東亜共栄圏建設=植民地解放」という日本の「戦争目的」が美化されすぎだという批判からなわけだが、アジアが戦場になり被害を与えたその批判は免れないにしても、戦う相手があくまで米英だということが変わってはいないので、対英戦争という側面をはっきりさせるためには大東亜戦争の呼称は捨て難い部分があるように思う。

戦場になった場所を戦争呼称に含むなら日清戦争の呼称に朝鮮が、日露戦争の呼称に清国が含まれないのはおかしいわけで、そういう意味では単純に割り切れる問題ではないと思う。もちろん日本は悪だと言いたい人たちにとっては「欧米連合国との帝国主義戦争」という側面より「アジア侵略を図った戦争」「ファシズムと民主主義の戦争」みたいな半ば「日本=悪、連合国=善」のような「神話」を混ぜたほうがプロパガンダとしてやりやすいという面はあるだろうし、戦争中からそのプロパガンダはかなり成功している。より中立的にいうならいっそヨーロッパのように「第一次世界大戦」「第二次世界大戦」で割り切れば良いのかもしれないし、そう考えると「東部アジアおよび太平洋における第二次世界大戦」でも良いのかもしれない。

実際のところ、この戦争は巨大なアマルガムのような幾つもの戦争目的が複合した戦争だったし、文字通り「巻き込まれた」人たちにとっては誰かを悪者に決める必要はあったから敗北した日本を悪者にするのは便利だっただろうとは思うけれども、当事者たちにとっては必ずしもそんな単純なものでもなかったわけで、呼称自体が学問上の問題かつ政治問題になるという状態はまだ続くのではないかという気はする。

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小学館漫画賞の授賞式が行われ、その様子がコミックナタリーの記事になっていたので読んだのだが、いろいろと感銘を受けた。

https://natalie.mu/comic/news/563631

今回の授賞式に一番大きな影を投げ掛けたのは、もちろん芦原妃名子さんと「セクシー田中さん」をめぐる事件だっただろう。小学館も日本テレビもなかなか動かなかったものの少なくとも形式上は再発防止に取り組む姿勢をようやく見せたところだし、その余波で小学館のマンガ原作の日本テレビの4月開始予定の実写ドラマが制作中止になったりなったりもして、どこまで本気の改革が行われるかはこれからというところである。芦原さんはこの小学館漫画賞を過去2回受賞しているのだそうで、その意味でもこの式典は追悼の意味が大きく込められたものになったと言えるのだろう。

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>式のはじめに、小学館の代表取締役社長・相賀信宏氏が挨拶。1月末に芦原妃名子が死去したこと、芦原が過去に2度小学館漫画賞を受賞したことに触れながら「小学館は今回の事態を重く受け止めており、なぜこのようなことになったのか、どこかの段階で止められなかったのか。二度とこうした悲劇を繰り返さないために現在調査を進めており、再発防止に努めてまいります」と誓う。また「これからも小学館は作家、著作権者の皆様に寄り添い、その権利を守っていく所存です」と続けた。

そういうこともあってか、受賞者や審査員の発言は漫画への強い思い、創作への愛が強く表現されたものになったのだろうと思う。

ブルボン小林氏の「数字であそぼ」の選評の一部としての発言で、

>また「マンガファン代表としてここで選考していますが、私の本業は小説家で、小説家の知り合いがたくさんいます。仕事柄、マンガ家の知り合いもたくさんいるんですが、小説家よりマンガ家のほうが間違いなく孤独です。マンガはヒットすることが大事で、それがやりがいになると思うんですけど、小説の世界は『評』や『賞』がとても充実していて、売れ行きや愛読者の生の声とは違う“評”がある世界です」とコメント。「小学館漫画賞はすごく大事な賞だと思います。売れ行きとも、読者の生の声とも違う、評価の言葉がすごく大事。これからも小学館漫画賞は充実していってほしいし、マンガ好きとしてマンガ家の皆さんにもがんばってほしい。マンガが好きだから、選考委員を頼まれるうちは(自身も)全力でやっていきたい」と心境を口にした。

というのは本当にそうだなと思った。「ブルボン小林」とは芥川賞作家の長嶋有氏の別名だそうだが、小説は先細りの世界ということもあり、漫画に比べれば作家数と賞の割合がかなり大きくなるだろうと思う。ラノベまで含めると小説も裾野が広いとは思うけれども、いずれにしても「売れ行き」だけでなく「評」が大事であることに変わりはないだろう。小学館漫画賞のような「賞」は個人には無理だけれども、「評」は作家にとっても大きな力になるなと改めて思った。

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島本和彦さんのいう「葬送のフリーレン」のセリフの深さの読み解きもなるほどと思ったし、稲垣理一郎さんが「トリリオンゲーム」と「Dr.Stone」を比較した上で「サンクチュアリ」と「ドラえもん」に代表される「悪い子」「良い子」の影にある「『good』の中に『evil』がある、『evil』の中に『good』がある」という構造の問題に触れたのもなるほどなあと思った。

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「二月の勝者」の高瀬志帆さんが「逃げ上手の若君」の大ファンで「北畠顕家」を待ち受けにしているほどだ、というのはへえっと思ったのだが、

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>今の世の中って、がんばって生きてても逃げる場所なんてどこにもないと思ってしまうかもしれない。でもこの主人公の『逃げることでパワーを出す』というのは、自分の得意分野はちゃんと伸ばせば伸びるんだと。勝手な私の解釈なんですけど、私にはそういうメッセージがビンビンと伝わってきて、たまらない

というのはあまり考えたことがなかったけれども、「二月の勝者」で中学受験塾の子供たち一人一人に、また講師たちの生き方についても「こういう道もあるんじゃないか」という励ましを感じさせる高瀬さんらしい読み解きだなと思った。

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「逃げ若」は私もTwitterアイコンを北条時行にしているようにとても好きなのだが、集英社「少年ジャンプ」の作品が小学館漫画賞というのはやはりポイントが高いと思った。まあ「ジャンプで歴史漫画」というチャレンジに成功したという意味で無条件に評価しやすいという面はあると思うのだけれども、それにしてもこの受賞に対する松井雄星さんの「君がやってきたことは間違ってなかったんだよ』っていうのを言っていただいているような気持ちになりました。」という感想はそうだろうなあと思った。

今回の受賞は「数字であそぼ」以外は連載で読んでいる作品でもあり、やはり感慨があるのだが、芦原さんの事件で作者さんや選者の皆さんをはじめとする読者の皆さんもより漫画に対する思いが深まったということはあるのではないかと思った。今回の事件で明らかになった日本テレビをはじめとする実写ドラマ制作側の姿勢を見ても、漫画を軽んじる姿勢はまだ社会から無くなってないなと思うし、そういう意味でも作品を正当に評価していくことは今後ともとても重要なことだと思う。

私もずっと「感想」という形でマンガについて書いてきているのだけれども、ファンの目線での感動や反発を伝えていくのも大事だと思うけれども、作品として良くできているとかテーマにチャレンジがある、作画の上で新しい境地を開いているなどファン目線に止まらない批評的な部分ももっと積極的に書いていくことで、もっとマンガを書く作家さんたちの力になれたらいいなということを強く思った。そのためには勉強しなければならないことも結構あるだろうなあとは思うのだが、少しでもそうした麺を磨いていきたいと思う。

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