その人を知る/「移住したい都道府県」の実態は/農家はなぜ土地にこだわるのか/怒りの感情と向き合うということ

Posted at 24/01/26

1月26日(金)晴れ

昨日から今日にかけて昨日のエントリが思いがけず更新当日にnoteのいいねが20を超えて、おお、と思ったのだが、なぜそんなにいいねをもらえるのかよくわからないのでまあ様子を見ようかなと思っている。昨日も書いたが「この本が読みかけになっているのはなぜか」「どういうところに引っ掛かりを感じて止まっているのか」みたいなことを書くのは、ある意味で自分がどういう人間であるかの自己紹介のようなものだなとは思ったので、そういうところが面白いのだろうかと思ったりする。単純に今読んでいるもののリストであるとしても自分の関心のありかがわかりやすいということもあるし、「人を知るにはその本棚を見よ」みたいな話かもしれない。美食家は「その人が何を食べているかを教えてくれればその人がどういう人かを当てて見せよう」みたいに言っているのと同じように、本を読む人間にとってはその人の本棚を覗くことがその人を知るよすがになると感じるものだとは思う。

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先日、地方からの若者人口の流出を防ぐためには地方の文化を復興しなければいけない、という問題提起に対していろいろな反論が寄せられていて面白かったのだが、そのやりとりの中で山梨県の南アルプス市の件が出てきて、ここでは移住者が増えていて特急かいじが甲府止まりでなくその先の竜王まで行っているのは南アルプス市の住民の需要が多いからだ、という話を聞いて、地元の議員経験者と少し話してやはり「仕事があり一定水準の生活ができるモールなどがある」ということは大きいのだなと思った。

長野県ではそれがうまく行っているの南箕輪村で、移住者が増えている、しかも若年人口が増えて税収も5倍くらいに増えたという話なのだが、ここには小規模とはいえ大学が二つあり、企業も進出してモールなどもあることで移住政策に成功している例として長野県内では有名だということらしい。全国的には知られてなくても、おそらくはそういう市町村は他にもあるのだろう。「日本一の農業県はどこか」を読んでいてもあまり知らなかった群馬県昭和村が野菜生産を中心とする農業で成功している話なども興味深いと思った。

逆に、別荘地などで全国的に名前が知られている長野県の市町村には、移住者はないことはないがリタイヤした高齢者が多いらしく、むしろ医療費や福祉などの面で負担が増えていたりするらしい。税収は確かに1億伸びたが市町村が負担する医療費は2億増えた、みたいなことが起こっていて、調べてみると冬が寒い長野県に移住しても冬季は東京で生活していて、冬の間に東京で病院に通うその医療費負担が全部地元市町村に来る、みたいなことが起こっているのだという。昔の高級っぽい「高原の別荘地」イメージは市町村のイメージアップにはなるけれども若者を呼び寄せる力はないわけで、好感度は高いけれども財政は火の車、みたいなことになってしまうのだという。

つまり結局は自治体の間で「若者(生産年齢人口)の奪い合い、高齢者(福祉対象人口)の押し付け合い」みたいなことが起こっており、特に田舎では敬老意識が残っていることから高齢者の医療費を全額負担するなどの高齢者優遇があるから、生産年齢の時に都市で保険料を払ってきて医療を使う年齢になってから地方に移住するみたいなパターンが顕著になると、もともと財政基盤の弱い地方の市町村は元から住む地元の人々へのサービスが滞りがちになるというようなことが起こるということのようだ。

まあこれは「地方の文化の復興」みたいなゆるいややお花畑っぽい話ではなくて、身も蓋もない自治体の生き残りを賭けたシビアな話なのだけど、まあそういうのが「移住したい都道府県」で常に上位にくる長野県やその他の県の実際のところだ、ということはまああるなあと思う。

まあ私のような文化的なものを好む人間にとっては仕事とモールがあればいい、というわけにはなかなかいかなくて、やはり松本のように文化を支える力が残っている都市が良いと思うのだけど、それだけではなかなか厳しいという実態もあるよなとは思う。

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「日本一の農業県はどこか」は70/260ページ。主に農家が収益を上げることを実現できて補助金もそんなにかからない園芸・畜産が中心のところは費用対効果の成果をあげていて、逆に米作中心のところは農地の構造改善事業や水路の整備などに多大な農業予算が注ぎ込まれているけれどもなかなか農家の経営は良くならない、というような話があり、財務省はその辺を強く批判しているという。これは農水族議員と補助金頼りにどっぷり浸かっている地元支持者の構造からきているみたいな古い農業批判が出てきているのでちょっと眉に唾をつけておかないといけないなとは思うのだけど、そのあたりで非効率的なところがあるのはまあ事実だろうと思う。

ただ、食糧安保的な側面から考えても米作を一定聖域化するのはまあいいのではないかと私は思うのだけど、それにしてもより適正な予算配分というものはあるだろうということは思う。

この本にも出てきたが、1961年の農業基本法で経営の大規模化をうたっているのにうまくいかなかったのは、農民が土地を放棄して都会に出るのではなく、兼業化して農業を続けることにこだわったことにあったということはこの本を読んでよくわかったのだけど、しかし考えてみたら多くの農民が自作農として自分の土地を得た農地改革から16年しかたっていないのだから、せっかく手に入れた農地をホイホイと手放す気にはならなかっただろうなと歴史を学んだものとしては思う。

そういう意味では農業基本法は急進的過ぎたということなんだろうなと思う。「大規模経営化」ということは「農業の資本主義化」ということであり、ということは「農民」を「農業経営者」と「農業労働者」に分断するということだから、わずか10数年前に行われた農地改革の「農村の民主化」とは逆行する面があるということは重要だろう。

だから大規模経営化が奨励されても、小規模経営の農民は土地を手放さず、兼業化で収入を増やし、土地からは離れなかった。その程度の仕事は農村にもあったということでもあるのだが。

また、農業の資本主義化が進まないもう一つの要素は農村の閉鎖性、つまりその土地によそ者が入ってくることを嫌う風土があるということも確かにある。しかしこれは室町時代の惣村、つまり永続的に農地と村落を維持できるくらいに農業技術が進歩して以来の農村の自治や団結の風土、ある意味での民主的な人間関係がもともとはあるのだと思う。「自分たちの村」を「外部の荘園領主や戦国大名や幕府の代官」から守り、水利や入会地の里山や草原を隣村や隣の領地と争ってでも守るというのも、考えてみたらギリシャのポリスが団結してペルシャ帝国さえ追い払ったというのとやっていることは変わらないわけで、兼業化に現れた農民の土地への執着には、「自分たちの村を守る」という意味もあったのではないかとは思う。

だから農業政策・土地政策においてはそうしたその土地その土地における歴史的経緯みたいなものもちゃんと考慮した上で行っていくことが望ましいのではないかという気はする。まあそういうものもだいぶ変わってきてはいるだろうとは思うけれども。

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朝は割とよく寝た感じでとりあえず起きてトイレに行ってから時計を見たらまだ4時で、寝たのは12時直前だったから4時間しか寝てないことがわかってもう一度寝床に入ったのだけど、気温はマイナス6.5度でかなり冷え込んでいて、寝床の中で昨日のメンタルについてぼーっと考えていたのだけど、自分の中にはなんというか自分の現状に対する怒りや悲鳴みたいな感情があり、普段はそれを意識しないようにしていて、まあ少なくともこういうブログとかツイートにはなるべく出さないようにしている、つまりは無意識にそれを押さえ込んでいて、自分がいまいちいろいろな行動に踏み切れない傾向があるのは、それをやると怒りの感情がコントロールできなくなってしまうのではないかというのがあって無意識にセーブしブレーキをかけている、ということに思い当たった。

そう考えてみると割と落ち着くというか、深い呼吸ができる気がしたので、やはりそこに自分の抑圧ポイントがあったのだろうなと思う。自分自身を知ることというのは自分にとって長い間課題だったのだけど、最近いろいろとこういうことかなという見当がつき始めているところがあって、この感情の問題もようやくこういうことにも思い当たるところまで来ているのだなという感じがする。

感情をコントロールするということ以前に、怒りの感情を無意識のうちに閉じ込めるということが、自分の現状にあまり良くない影響を与えていたということは割とわかったので、そういうものとどう向き合うかということが考えるべきテーマなんだなと思う。どちらかというと怒りをコントロールする系の思想というかそういうものが自分に対して与えてきた影響は大きいなと改めて思ったのだけど、つまりはそういう思想が自分にあまり向いてなかったということでもあるのだろうなと思う。

しかし、Twitterなどを見ていると、心理学者の人が自分のメンタルをコントロールできなくなって鬱になっていたり、宗教学者の人たちが醜い足の引っ張り合いをしていたり、哲学者の人たちが真理性よりも当派生で動いていたり、女性の権利を擁護する人たちが男性の権利を平気で踏み躙ったりしているのをみると、そういう学問や思想というものが本当に役に立つのかという疑問は改めて起こってくるなと思う。

日蓮が鎌倉仏教のさまざまな人に接し悟ったような顔をしててもめちゃくちゃ死を恐れて生に執着したり、観音菩薩の加護があると主張している人が変な病気で死んだりして、それらの宗教を否定するようになって「真言亡国、禅天魔」などと言いたくなる気持ちはわかる気がした。

日蓮はそういうことからやたら戦闘的になってさまざまな軋轢を起こしていくわけだけれども、考えてみると日蓮は「日蓮は安房国 施陀羅(せんだら)が子也」と言っていて、言葉通りにとれば被差別階級の出身だと言っているわけである。これもまた考えてみると、親鸞にしろ法然にしろ西行にしろこの時代の有名な僧侶は大体が名門階級の出身であって、日蓮が彼らの教えを攻撃することはある種の階級性があったといえないことはないよなと思ったりする。

つまり日蓮の原点はある種の「怒り」なのではないかと思うところがあって、そういうところに共鳴する部分が自分の中にもおそらくあり、(まあ家の宗旨であるということもあるのだが)その辺が面白いと思う部分はあるのだが、日蓮宗系の新興宗教がカルト化しやすい傾向があるのは、そうした「怒り」みたいなものがある戦闘性がこの宗派にはあるのだろうなという気はしたのだった。

まあこの辺は自分が今朝意識した「怒り」というものと直接関係はないのだけど、自分自身の感情と向き合うことで見えてきたことの一つのようには思うし、まあそうやって見えてきたものの中からこれからの自分の進むべき方向性も見えてくる可能性もある気はするので、まあそんなことを思ったということだった。


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