睡眠を楽しむ/人生を楽しむとは、昼間から酒を飲むことかもしれない/「フランクフルト学派」を読みながら内なるマルクス主義との戦いについて考える

Posted at 24/01/13

1月13日(土)曇り

昨日は疲れていたのか、夜中に一度目が覚めて手洗いに行き、もう一度寝たら思いのほかよく寝られて、起きたら外が明るくなっていたので驚いた。これは何時なんだと居間に降りて時計を見たら7時で、いつも4時過ぎに起きている身としたら大寝坊という感じだが、久々に明るくなるまで寝られたということは逆に何か良いことのような気もした。睡眠を楽しめたと言えばいいのだろうか。

夜は早く寝ないとどちらにしても早く起きてしまうことが多いのでそうなると寝不足になる、と思って寝る前にはあまりものを見たりしないようにしていたのだけど、昨夜は11時半から「葬送のフリーレン」アニメを見て、0時過ぎにジャンププラスの土曜日の更新を少し読んでから寝たのだが、昨日は割とよく眠れた感じがした。

なぜそうなったのだろうと考えてみると、Twitterで「フランスも日本も同じ規模の地方都市がたくさんあるのに、日本からは若い人が東京に流出してしまい、フランスでは定着しているのは「おっさんが昼から酒を飲む文化」があるからだ」と言っている人がいて、膝を打つような思いをしたのだった。これは私が1984年にヨーロッパに行った時の一番大きな感想の一つで、昼日中からおじさんおばさん、若い人もだが、店の外のテーブルに腰掛けて道ゆく人を見ながら酒を飲んだりコーヒーを飲んだりしている人たちが平日でもたくさんいる、ということをすごく大きな印象としてフランスでもスペインでも感じたことを思い出したのだった。日本もああいう風にゆったりと午後を過ごす文化みたいなのができれば地元の生活も楽しくなるし、それが「人生を楽しむ」ということだよなあと、そのツイートを読んで久々に思い出したのだった。

若い頃は人生の課題みたいなものを常に意識していて、常に向上心を持って頑張ってしまうし、それだけに挫折は辛く、立ち直れないような気持ちにもなるけれども、歳をとって頑張って手に入れたものを点検してみると案外大したものがない、みたいなことは多分日本人には多いことで、だからこれからでも人生を取り戻す、とネトウヨ運動にいっちょかみしてみたり市民運動に参加してみたり蕎麦を打ち始めたりするのだろうと思う。まあそれで楽しめるなら人に迷惑をかけない範囲なら構わないと思うけれども、別に若い頃から人生を楽しんだっていい訳で、でも「楽しむ」ことが「怠けてる」とみられることに若いうちは敏感だから、なかなか楽しめない、みたいなことはやはりあるよなと思う。

歳をとってくると手に入れたものが多くても少なくても、もう手持ちのものでやっていくしかないとなった時に、いかにそれで楽しめるかというのは多分大事なことなんだろうと思う。

昔は地方都市でもそういう文化はあったと思うのだけど、今は東京なら赤羽とか蒲田、川崎や吉祥寺なんかで昼間から飲んでいる人、そういう店はあるが、地方だとなかなかそういうサークルが成り立たない、という感じはあるんだろうと思う。

「昼間から遊んでいる何をしているのかよくわからない人」というのが地方でも都会でも文化を支えていることは確かなので、そういう「人生を楽しむことができる人」が増えることが日本をこのギスギスした状態から脱させるためには必要なことなんだろうなと思ったのだった。

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昨日は職場に出たらAmazonで注文していた中公新書の「フランクフルト学派」が届いていたので少し読んだのだが、冒頭からいきなりアドルノの「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮である」という言葉から始まっていて、なるほどこれは自分にとって思想的な主敵になる人たちなんだなと最初から思った。

西欧的なマルクス主義とマルクス・レーニン主義の違いは後者がその理論を国家経営にそのまま応用していこうと半ば教条的にそれを運用していく方向性を持っていたのに対し、西欧的マルクス主義=フランクフルト学派を中心とする人たちはマルクスの著書に書かれていることを読んで思想的に深めていこうとしていた、ということにあるというのはなるほどと思い、この辺は日本でも日本共産党や日本社会党の社会主義協会派の人たちと、いわゆる左翼文人というか教養としてマルクスを読んでいこうとする人たちの違いみたいなものがあるなと思った。

マルクス主義から出てきた暴力革命の思想とか、あるいは権力による暴力に対抗するための戦い(フェミニズムやポリティカルコレクトネス、BLM運動など)の実質的暴力化現象などをいかにして解体していくか、みたいなことが現代保守思想にとっては一つの目標となるように思うし、今のところ右翼から出てきた「文化的マルクス主義批判」みたいなものは思想的な精緻性があまり感じられないから、ただ批判すべきところは山のようにあるなと読んでいて思ったので、その辺は整理しながらまた書いていければと思う。

ただ自分の語彙や思考パターンが時代的な理由もあるがマルクス主義の影響を受けてできているということは抜き難くあるので、その辺を決着をつける意味もこういう本を読むことにはあるなと読みながら思った。まあそんなこんなで読んでいきたいと思っている。

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