宗教と国家と権力について、「ブッダという男」を読みながら思ったこと

Posted at 23/12/15

12月15日(金)雨

宗教と国家と権力について、「ブッダという男」を読みながら思ったこと。

昨日は仏教、というかブッダは男女平等の思想を持っていなかった、ということから近代思想に対するオルタナティブな見解としての宗教の重要性、みたいなことを書いたのだけど、実際に今仏教をやっているお寺関係の人からしたら仏教が近代思想とは「少し違う」くらいのものなら価値がありそうだけど「全く相容れない」になってしまったら「反社会的なカルト」扱いされかねないわけだから、ある程度は近代思想とも合致するんですよ、みたいな感じにせざるを得ないし、また仏教学説もそれをフォローするようなものが望まれる、ということはあるだろうなと考えていて思った。

一方で、宗教というものはそうした社会の主流とは違うものを志向する面がみられる一方で、国家社会の統合的な機能を果たすことももちろんあるわけで、明治維新の時などは欧米諸国にはキリスト教という思想的な柱があるということに気づいた元勲たちは日本で何をそうした国家統合のための柱にすべきかという問題に直面したわけである。ただこれはもちろん、明治維新自体が王政復古を呼号して行われているものに他ならないわけだからその柱になるのは「惟神(かんながら)の道」以外にあり得るはずはなかったわけで、神道を柱にすることになり、皇室神道を中心として神社神道を再編して「大教」とし、いわゆる「国家神道」に再編されていったわけである。

しかし神社神道は当然ながらその神社により持つ伝承はまちまちであるし、説くところも必ずしも一致していないし、巫女の祈祷など淫祠邪教と彼らからは見られる要素もあったり天皇と同じく「現人神」の存在がいたりして、近代国家のバックボーンとしてはキリスト教にはお呼びもつかない状態であったのは当然だった。従って明治国家は国家神道を儀礼的なものとして再編し、神社と神官を公的な存在や公務員的に扱うものとし、「宗教」と認めた神道十三派には布教を許したものの、一般の神社には布教すること自体を禁止した。

森元首相が「日本は天皇を中心とした神の国」と発言して辞任に追い込まれたが、これはなるほど国家神道の理念を端的に表現したものであって、戦前回帰と見られたからスキャンダルになったわけだが、日本における「神」はそういう意味で宗教色を薄められていたので「何が悪いんだ。その通りじゃないか」と思った人も多かったわけである。

そうした存在として国家神道は敗戦までの道を歩むが敗戦後はGHQからは「信教の自由は認めるが国家神道は宗教ではなく超国家思想である」とみなされ、「神道指令」が出されて神道が排除されるという方向になったため、葦津珍彦らが立ち上がって急遽神社組織を「神社本庁」として組織し、「宗教である」という体裁を整えることによって生き残ることができたという顛末がある。

だから日本の宗教は国家からの干渉が大変強力であったし、それこそ織田信長の時代から比叡山焼き討ちであるとか本願寺攻め、日蓮宗の不受不施派に対する弾圧、キリシタンの禁圧など近世は世俗が宗教に対して強い力を奮ってきたので、宗教の側はそうした国家権力をいかにいなして自らの矯正を拡大するかというのは大きな問題だった。明治維新ののちも「惟神の道」が神仏分離や廃仏毀釈を通じて他の宗教を圧倒するかにみられたが結局は布教を禁止されたわけで、その空隙を塗ってキリスト教や浄土真宗が教勢を拡大したが、キリスト教はなかなか伸びず、浄土真宗は仏教が弱体化していた地域にも広がって現在の大きな勢力を拡大している。仏教の中では「僧侶」の婚姻を認める宗教であった浄土真宗は皇室や華族層とも姻戚関係を持つことでより国家の中枢・上層に食い込んでいくことになったわけである。

そういうわけで宗教が「あまりにオルタナティブすぎる」ということは宗教にとってあまり都合の良くないことであり、とりわけ宗祖であるブッダの思想が「実は近代的であった」とみなすことは利益になることな訳である。

より大枠で捉えれば、ブッダをより実相に近いものとして捉えることでその「近代的な装い」を否定する「ブッダという男」という著作が持つある種の危険性はそういうところにあるわけで、逆に言えば近代の危険性を近代を相対化することで見出そうとする人にとっては大いに参考になるところでもある、ということになる。私は後者の立場なのでこの本はとても面白いし、仏教を現代社会に順応させる、というよりは迎合するような方向に行こうとする人たちにとっては煩わしい、目の敵にすべきものと思われるということもあるだろうと思う。

ただ、思想というものは、また宗教というものは本来そういうものであって、これはブッダの思想としては本書で否定的にみられているスッパニパータの「サイのツノのように一人歩め」というところをもう一度振り返っておきたいものだというふうには思っている。

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