アルゲリッチのピアノ/飲みの翌日/鍵/本棚という手入れの行き届かない森

Posted at 23/11/20

11月20日(月)晴れ

昨夜は食事をした後神保町のディスクユニオンで買ってきたマルタ・アルゲリッチの弾くラヴェル「夜のガスパール」を聴いていたらうたた寝してしまい、とにかく歯を磨いて布団だけ敷いてそのまま眠ってしまった。アルゲリッチのピアノはこの曲のキラキラした部分をそのまま引き出してくれるようで、なんというかラヴェルを聴いているというより「アルゲリッチのピアノ」を信頼して全感覚を任せているような、そんな感じがした。まああたりまえだけどピアノ曲ってほんとにピアニスト次第だよなと思う。

一昨日は遅くまで同級会で酒を飲んでいて、昨日は朝ゆっくり目に出かけて昼過ぎに東京に帰ったのだが、酒を飲んだ翌日特有のぼうっとした感じが一日尾を引いた感じがする。夕方出かけて丸の内と神保町を歩いたが、最近どうも歩くのが面倒になっていたのだけど、昨日は意識してひざの裏側を伸ばし、かかとから着地する感じで歩いていたら結構歩けたし早く歩けた。ずっと田舎にいると車でどこにでも行ってしまうので、歩き方の工夫がおろそかになる。もっと歩かないといけないなと思うのだが。

今朝は3時半ごろ目が覚めてもう一度寝るか迷ったのだが、なんだか乾燥していて水を飲んだりしているうちにやはり起きるかと思って支度してジャンプでも買いに行こうとコートを着てから、やはりまだコートではないなと思い直してスウェードのジャケットに着替えて家を出ようとして鍵がないのに気付き、かばんや昨日来ていたジャケットのポケットを探したのだがない。昨夜はちゃんと帰り着いたのだから家の中にあるはずだ、と思っていろいろなところを探して出て来ず、困ったなと思っていてアッと思って先ほど着たコートのポケットを見たら入っていた。鍵がない(東京と実家の鍵だけでなく車や職場の鍵も束にしている)ということがいかに致命的なことかと改めて実感させられたが、無意識に扱って怖い思いをするのも鍵なのだよなと思う。つい意識散漫に扱いがちだということを反省させられたのでよかったとポジティブに考えよう。

このところ新書づいているので久々に帰宅したこともあり自分の書棚で最近関心がある新書を探したら何冊かでてきた。EHカー「歴史とは何か」、「岩波新書の50年」、渡部曻一「ドイツ参謀本部」などだ。カーに関しては「歴史についての試論」を書こうと思って実家で探したが見つからなかったのだが自分で買ったものが家にあった。「ドイツ参謀本部」は父の本だった。「岩波新書の50年」は1987年刊で書名だけはリストアップされてあることが分かったが、昨日買った「岩波新書解説総目録1938-2019」ではさらに32年分追加されてるわけで、いろいろ思ってしまうところがある。

「歴史についての試論」ではリュシアン・フェーヴルの「歴史のための闘い」(平凡社ライブラリー)も読もうと思って書棚を探したのだが見つからない。最近見た覚えがあるのだがどこに置いたのだろうか。

そのほかベルンハイム「歴史とは何ぞや」、高山宏「近代文化史入門」、ブラン「ソクラテス以前の哲学」などが出てきたのでとりあえず実家の方に持っていきたいと思う。私の本棚も整理が行き届かず荒れた森のようになっているのでほとんど探訪のようなものである。

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by Luke Peterson

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