「お金」とは何か:お金の本質はフラットな、社会科学的なものである

Posted at 23/10/26

10月26日(木)晴れ

今朝は若干冷え込んだ感じで気温は5度台なのだが、本来のこの季節の気温はこれくらいだろうなと思う。体感気温は自分の体調によっても違うので、今朝は早く起きてしまって3時ごろから動いたりしているからそういうことも寒く感じることと関係あるかなと思う。ストーブはもちろんつけてはいるのだが、それでも室内気温が低い気がする。

朝起きていろいろなことを考えていたのだが、特にお金のことについて考えていて、お金の本質は何か、みたいなことを考えていたのだが、「お金というのは社会科学的なもの、存在であり、人文学的なものでも自然科学的なものでもない」、ということに思い当たった。

お金にまつわる感情を描く文学作品は人文学的なものだし、お金を生み出す科学や技術の問題は自然科学的なものだからなんとなくお金がどういうものかわからなくなっていたところがあるのだけど、お金という存在は人間が決めたルールに則って存在しているものであり、つまり本質的に社会科学的なものなのだ、ということを初めてしっかり認識した気がする。

人はお金についていろいろな感情を持ちすぎるのでお金がいろいろなものを背負っているように感じてしまうし、また金を自由にする人たち=お金持ちや投資家が傲慢に振る舞いがちだということもあって人文学的には負のイメージが大きい。宗教などの面からも否定的に語られるのが普通なのだが、その中で資本主義というシステムが発達してきたわけで、資本主義や社会主義がもちろん社会科学的な存在であるということは理解しやすいのだけど、その元にある「お金=貨幣」というものがどういう存在が本質なのかということは自分の中でなんとなく曖昧だった。

これはマンガの「銀と金」の中で主人公の森田が銀次に「お金というのはただのメモリだと考えています」ということと同じだなと思ったのだが、つまりお金自体には感情もないし悪意もない、極端にいえば実態さえないものなのだけど、人を動かし狂わせる力を持ったものだということは古来から人文学的なテーマになってきている。

だからお金に「汚い」とか「汚れている」とか「欲まみれ」「真実の価値はない」みたいなマイナスの感情を持つ人が人文学系統では多いわけで、ただそれは「お金は本来人文学的な存在ではない」という本質を見落としている面があるということなのだと思う。

ただ、そういう見方をしてもお金は「自分の手には負えないもの」としてしか見えてこないわけで、それはあまり良くない。それではどうしたらいいか。

大事なことは、「お金は社会科学的存在である」と認識し、「お金を社会科学的に見ていく」ことが重要だ、ということなのだと思う。

「お金はなんのためにあるか」というと、それは「人間が人間のために作り出した仕組み」であり、「人間を生かすためのものである」というのが正しいのだろうと思う。

例えば「金融」というと人文学系の教養が先に立つとシェイクスピアの「ヴェニスの商人」のシャイロックなどの「悪役」が思い付いてしまうわけで、「金融に従事する人間は人間性が低い」などのバイアス、色眼鏡から逃れにくくなってしまう面がある。

だからお金について考えるときにはそうした人文学的な色眼鏡を外し、そうした偏見を捨てて、「お金は人間が人間のために作り出したものであり、人間を生かすためのものである」という原点に立ち返って考えてみると良いのだと思う。

これは我々の年代、昭和生まれの世代にはかなり多く・広く共有されている認識ではないかと思うのだが、平成生まれの若い世代は比較的自由になっているような感じがする。

金融というものも、「金融は世界を見る道具である」と捉えれば、金融について学ぶことで人間や世界を知るための道具を獲得できるということだと思う。これもマンガだが「天才・柳沢教授の生活」で主人公は経済学の大学教授なのだが、彼はなぜ経済を専攻したのかという理由を語るところで「世界を知るために一番役に立つと思ったから」と答えていて、初めて読んだときに私は結構衝撃を受けた。

私は世界を知るというのは歴史とか文学とかそういう分野の役割だと思っていたところがあるので、経済学によってそれが理解できるというのはその時はあまりよくわからなかった。

ただ恐らくは、若い世代の人にとっては資本主義世界が完全なデフォルトになった平成の世界を見て、経済や金融に対し抵抗を感じる人は我々の世代に比べるとずっと少ないだろうなと思ったのである。親戚の子供たちを見ていてもアメリカ株に投資していたり外資のコンサル会社に就職したりしていて、自分たちとはかなり価値観が違う、と感じるところも多いのだけど、逆に彼らの方が金融や経済についてフラットに見ているところが大きいのだろうなとも思う。

今はお金の力はとても大きくなっていて、政治以上に巨大な金額を動かし得る金融の力は世界的にも大きな力を及ぼし、ときに国家を破滅させたり民族を流浪させたりもするわけだけど、お金の世界というのは人間が作った合理的な仕組みであり、フラットであるだけに純粋な欲望や感情に影響を受けやすいところがある。お金にはもともと価値観がないので、お金を持った人間の価値観が純粋に反映しやすいと言っても良いだろうと思う。

歌舞伎を見たりマンガを読んだりしていても、悪役というのはその時の「力のあるもの」が反映されやすいわけで、江戸時代なら京都の朝廷の黒幕、「公家悪」が一番巨大な悪として描かれがちで、昭和のマンガに見られるナチスを模したような独裁国家の描写まで、政治権力的な存在が悪として描かれることが多かった。

それが科学が盛んになってくると「マッドサイエンティスト」が悪の巨魁として描かれることも多くなり、「マザーコンピュータ」が全てを支配するものと描かれるようになってきている。近年ではフェミニスト権力が強くなってきたこともあり巨大な母権制システムが巨悪として描かれることもあるが、近年は「無尽蔵の資金力を持つ悪意に満ちた金持ち」が多くなってきているように思われる。もちろん「鬼滅の刃」のように不死を求める人間の妄執を元にした非人間的な「鬼」のような存在が巨悪であることもあるけれども。

ただ、金持ちが巨悪に陥りがち、というのは金持ちたち本人も自覚していたことであって、それを律するために金持ちは教養を持ち、「一流」と言われるブランドを作り出し、芸術家を保護して自分たちを荘厳し、科学者や技術者を支援して新しい科学技術も支配下に置くとともにそれらを理解することにも努めてきたわけである。益田鈍翁などの財界人が茶の湯に親しんだのも自分の中に精神性を担保するためであって、「お金」というある意味フラットな世界の能力だけではそれに付随してくるさまざまな人間の欲望や感情にまともに付き合って自分たち自身も歪むことを恐れていたのだろうと思う。

お金という観点、社会科学という観点から考えると、人文学というものはさまざまな人間、直接的にお金に深く関わらない人たちを含めた多くの人間たちの価値観を理解するために意味があるものなのだと思う。「お金に換えられない」アートや研究の価値というものはお金の支えがあって初めて成り立つものであるから経済や金融に関わる人たちはそういうものを馬鹿にしたり軽視したりしがちなのだけど、本当にお金を持っている人たちにとってはむしろそういうものこそがより高次元で自分たちにとって必要なものになるということなのだと思う。

で、自分自身としてお金ということについて考えるとしたら、「お金は人間が人間のために作り出した仕組みであり人間を生かすためのものである」ということ、「お金を生かすべき方向は広義の福祉である」というところを大事にしていきたいと思う。福祉というと弱者福祉ばかりに目がいくが、インフラの整備であるとか生活基盤の整備、本来の意味での「公共の福祉」のために生かしていく方向が必要だろうと思う。

世界の金持ちや昔の日本の金持ちはそれがデフォルトスタンダードだったわけだけど、最近の日本の金持ちはむしろそういうものを目の敵にしていて、それがかっこいいように見える若者も多くて危険だなと思うのだけど、そういう流れは変えて行けたらいいなと思う。

問題は最近は世界的な傾向として人文学系統がポリコレ的な方向に暴走しがちだということがあって、社会に対して破滅的な働きをする傾向があり、逆にバックラッシュとして超保守的な動きが力を持ちがちだということもある。

そういう人文学の暴走はまた検討しなければいけない課題なのだけど、超保守でもポリコレでもない穏和な保守主義や進歩主義をセンターに戻していかないといけないのは事実だろうと思う。

日本では世代間対立を煽る動きがあったり韓国では男女間の分断が強くなったり、社会の常態を維持するのが難しくなっている面もある。

ただこれは経済構造の知識社会化に伴って、新たなデカルト的合理主義というか、「人間の頭で考えた設計主義的な思想」が検証されにくくなっている現象の一面でもあると思う。

「そろそろ左派は経済を語ろう」という書物があったが、左派ももちろん経済について理解すべきだし、保守派であっても経済や金融を社会科学的に理解していくことは政治的に主導権を取るためにも重要なことだと思う。

いずれにしてもお金は人間が制度的に作り出したものでありながらそれを避けて生きていくことは難しいものでもあり、より本質的に理解していくことが、個人の幸福にも社会の平和にもつながっていくことだと思う。


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