「清く正しくカワイく強い「大谷選手」」に対する「批判」とサウディとイランを国交回復させた「したたかな「中国」」

Posted at 23/03/12

3月12日(日)晴れ

昨日は3月11日、東日本大震災と福島原発事故からちょうど12年、一回り。一部のヒステリックな反原発感情をはじめ、精神面でも現実面でもまださまざまな傷跡が残ってはいるが、昨日は陸前高田出身・大船渡高校卒の佐々木投手がWBCの先発し勝利するなど、ある意味の鎮魂を忘れずにやっていくことは、この災害から切り離せない日本で生きることの意味を改めて考えさせられる。近世以降、戦乱の少ない日本において、「祖先の鎮魂」は「災害の犠牲者の魂を慰める」という意味もあるのだなと思う。

ワールドベースボールクラシックの日本ラウンドが始まり、大谷翔平選手らの活躍が続いている。昨日はチェコ代表のちょっと捻ったスタイルに始めは打ちあぐみ、エラーから先制を許すなどハラハラさせられたが、逆転したらもうこれは大丈夫だなと思い見るのをやめたのだが、案の定危なげなく勝利を収めたようだ。国際試合の怖さというのは相手の情報がないということで、しかも相手が野球が盛んでない国だと見ると楽勝ムードが漂ってしまうところだなと思う。そこで少しつまずくと急に勝たなければいけないというプレッシャーが強くなるわけで、チェコ代表の善戦のおかげでその辺り、兜の緒を締め直せたら良いだろうなと思う。

日本ではあまり注目されていないが、親米と言われがちなサウディアラビアと反米の急先鋒とも言えるイランが権威主義的で覇権主義的な姿勢が問題になっている中国の仲介によって国交を回復した。これは中東専門の池内恵さんがなかなか日本の要路ではそこが注目されないと嘆いていたが、考えてみたらある種の外交革命なわけで、その辺りのところは考えてみなければと思った。

中東といえば今まではロシアの影響力が強かったし、いまだにシリアを通じて影響力がないことはないが、やはりウクライナに侵攻し苦戦していることで中東外交全般への影響力の低下は否めない。ただロシアの原油禁輸の制裁によって産油国は主なプレイヤーだったロシアが表に出て来られなくなったこともあり、その利益を守るための体勢維持にかなり神経を使っている現状はあったのだろうと思う。

アメリカは西側の価値というか「のっぺりしたリベラリズム」を押し付けてくる国なので、親米と言われるサウディアラビアにおいてもいろいろ譲歩したりはしつつも基本的に「うるさい」と感じていることは間違いない。反米のイランはそこにこだわることはないし、中国もまた権威主義的な方向性を強めている。サウディアラビアは要は利益によって親米姿勢をとっているけれども、価値観においては共有はしていないわけである。

サウディアラビアがイランと敵対してきたのは、イランがシーア派のイスラム革命国家だからであり、「革命の輸出」を最も嫌っていたから、ということが大きいだろう。しかしイランも革命後40年以上経ち、イスラム革命体制そのものに異論が出てきている状態で、むしろ体制維持に神経を使うようになってきている。つまり、「現状を維持する」という利益においてサウディとイランは共有できるということになりつつあるということなのだと思う。

まだイランの融和姿勢を疑っているアメリカは、もちろんサウディとイランの国交回復に手を貸すような状況ではないし、ロシアもまたそんな余裕はない。トルコやインドにしても利益対立があるからそんなことに手を出せないが、一帯一路を唱え世界進出を図り、国内では権威主義的な体制を強化している中国からしたら、ここで両国に恩を売るのはまさに中国自身の利益であり、またサウディやイランにとっても中国の協力を全面に出すことでアメリカを牽制できるという利益もあるわけで、まさに「価値観と利益が共有できる」関係としてこういう外交が成り立ったのだろうと思う。

中国としては中東に進出するさらなる足掛かりとなるし、習近平独裁強化の危うさは感じさせるもののプーチンに比べれば失点は少ない。アメリカや西欧の「のっぺらリベラリズム」に反感を持つ国々の間に「価値観」を共有できる権威主義ネットワークのようなものを作ることは中国にとっても大きな利益であり、またそういう意味でロシアに対しても陰に陽に援助を続けていくことになるだろうと思う。

一見全く関係ないように見えるけれども、ネットではWBCで活躍する大谷選手に対して、小山(狂)さんや白饅頭さんが「清く正しく強くかっこいいネオティニー顔」だと批判し、ボクシングの亀田選手のような底辺から成り上がった不良みたいな魅力がない、ということを言って批判されていて、そのことにどういう意味があるのかと考えていたのだが、現在の世界情勢においていわば西側価値観から見れば「不良」の中国やイランが、「価値観を押し付けてくる恵まれた優等生」に対して存在感を誇示しているという構図と似ている、というか本質的に共通するものがあるなと思ったのである。

ロシアのウクライナ侵攻によってある意味世界の分断ははっきりしてきていて、日本はアメリカや西欧諸国とともにはっきりとウクライナの側に立って援助を行なっているわけだけど、世界では必ずしもそういう国々ばかりでないのは周知の通りである。というのは、アメリカサイドに立つことはアメリカの押し付けてくる「のっぺらしたリベラリズムとその世界秩序」を受け入れさせられるということであり、それよりは不良の自由さおおらかさで自国内では好きにやれるロシアの援助の方がありがたい国が多くあるということだろう。中国はその後釜を強かに狙っている感はあるが、ただ中国は援助自体が紐付きで結局自分たちにとって不利になりそうな感が強くなってきていて、やはりロシアがボスの方がありがたいという国は結構あるのだと思う。

そういう国々は必ずしも自国の秩序が権威主義的ということはないにしても、リベラル化よりは権威主義化の方を選ぶ国々が多くなってきている感はあるわけで、その辺は日本にいたらわからない、少なくともわかりにくい空気感なんだろうと思う。

日本という国の特殊性は、戦前においてはアメリカと戦ったある意味「反米のチャンピオン」であったということであって、特に親米姿勢ははっきりとさせながら戦前日本の継承者視される部分もあった安倍元首相が外交においてさまざまな国と関係を結べたということは大きな意味があったのだと思う。

ウクライナでの戦争が激しい現時点から見ればロシアのプーチンと親しい関係を築こうとしたことは失敗と判断せざるを得ないが、よりグローバルに見れば親米だけでないスタンスを持った日本の政治家としての信頼感はあっただろうと思う。

小山さんや白饅頭さんは日本においては少数派であるわけで、江夏や清原から大谷への「進化」は「必然」のように日本では見えてしまう部分はあるけれども、世界的に見れば必ずしも少数派ではない部分はあるだろう。

大谷選手は「日本人離れした」体格とあふれる運動センスの持ち主で、「才能を持った選手が正しい努力をすれば成功する」という「身も蓋もない真実」を体現しているという意味で、非常に「新自由主義」的であり、その謙虚さや明るさ、人柄の良さから考えても大変「ポリティカルにコレクトである」存在でもあることは確かだ。「成果を上げたものが評価されるべき」という新自由主義は結局そういう「あふれる才能を持ち正しい努力ができる」人間しか成功できないという世界を現出したわけで、そこに閉塞感が生じるというのはまあ、当然のことだ。多くの人間はあふれる才能もないし、正しい努力もできないわけだから。

ただまあ、そのことは大谷選手の「責任」ではもちろんないわけで、小山さんも「そのエリート顔がムカつくんだよオオオオ」と「理不尽な」ことを言ってるから炎上はするのだが、その本質的な批判は個人に対してではなく状況とそれを支持したエリートや大衆に対して向いているわけだけど、それは書いているようにもっと大きな流れを見ておかないといけないのだと思う。

だから「才能も見えない底辺」が「がむしゃらな努力」や「無軌道な生活」でも「隠れたダイヤモンド」を見つけてスターダムにのし上がる、という「神話」を大事にしたい気持ちはもちろんよくわかる。まだまだブラジルやアルゼンチン、或いはアフリカではスラム街や辺境から頂点に上り詰めるサッカーヒーローは出てくるだろうと思われるわけだし。

また少し話は違うが、70年台のロックアーティストが皆無軌道な生活をして早死にしたり、無頼派といわれた作家たちがやはり無茶な生活をして早死にしたりしたのを見ていて村上春樹がマラソンを走る時代になったわけだから、音楽や文学もそうした「無頼は長続きしない」という身も蓋もない事実は明らかにされて、それで勢いを失っているという面もあるだろうと思う。

だから日本の状況に「閉塞感」を覚えるのはわからなくはないのだが、それは日本や西欧というある種「特殊な」世界の一部だけのことだともいえ、そうなっている現状のある種の幸運も、そんなにいつまでも続かない可能性もあるということは思ってていいのではないかという気はする。

安倍さんから始まった安全保障体制の強化を、岸田さんはさらに推進しているけれども、岸田さんには安倍さんのような「権威主義にもスタンスをおけるしたたかさ」みたいなものが欠けていて、その辺からある種の「暴走感」が醸し出されているような気はしなくはない。

日本でも国際政治学者のほとんどがウクライナサイドに立ち、「米欧中心の国際秩序を守れ」と叫んでいるのはそれはそれでいいと思うし、日中関係や日露関係から利益を得ていたような人々が「ロシアの正当性」を主張したりするのはあまり良くないと思うのだが、それよりはむしろ「戦前日本」という日本の、西側諸国においては明らかに「負の遺産」であるものが、よりグローバルに見たら「活用できる遺産」でもあるという面を(使い方を間違ったらお陀仏だが)生かしていける議論もまた必要なのではないかという気がする。

満洲事変とか日中「戦争」に関しては、日本は欧米レベルでの「グローバル」基準を見誤って失敗していて、それは欧米基準で考えられる外交官や政治家はいたのに軍部がその辺りの認識を欠いていたのが結果的には問題だったということは今では言える。日本は少なくとも現状では西側のメンバーとして行動した方が対中国という面に関しても正しいのはいうまでもないわけだが、より本質的には独立独歩の国として普遍的な世界の協調体制を作っていくべきだと思うし、状況に流されて日本の魂まで失ってしまってはいけないと思う。

まあそのためにも「日本の」保守主義を思想的に確立していくことはより大事であると改めて思うわけであるけれども。

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