政治勢力としての保守と大地に根を張った思想としての保守

Posted at 23/01/18

1月18日(水)晴れ

仕事が忙しくなってきたせいもあり、また少し身辺に大きな変化が起こる可能性が出てきたということもあって、昨夜はどうも良く寝付けず、睡眠時間が短くなった。こうやってブログを書いているとあくびが出て眠気が出てくるのだが、これは運転するとあくびが出るのと同じで緊張するからその緊張を解くという体の反応なのかもしれない。眠くてもよく眠れない時はブログを書くという手はあるのかな。余計眠れなくなる気もするが。

ここしばらくは比較的暖かい日が続いたが、今朝は割と寒い感じがする。気温を見てもそんなに低くはないのだけど、今見たらマイナス2.5度からプラスの2.5度まで短い時間に変化して、今はまたマイナス1.8度。短い間に天気図に現れない温暖前線と寒冷前線が通過したのだろうか。

一昨日岡谷に出かけた時にユニクロで新しいセーターとジーンズを買ったのだが、ヒートテックはもうほとんど残っていなくて、1サイズ大きいものを買った。今も履いているのだが、やはり暖かい。ユニクロの経営にはいろいろ思うところはあるが、ヒートテックの発明と販売だけは人類に貢献していると思う。

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保守というテーマについて、昨日は統治との関わりのことを書いたのだけど、今は政治勢力としては保守とリベラル、というわけ方が主流になっているけれども、数十年前は保守と革新、ないしは右翼と左翼というような分け方が一般的だった。革新というのは本来は戦時中、1940年体制において近衛文麿内閣で左派的ないし国家主義的な政策を打ち出した官僚たちを革新官僚と呼んだもので、岸信介などもその中に含まれていた。戦後は革新勢力とは主に左翼を指していたが、公明党が出てきてからは公明党も一応革新勢力の中に入れられていたので現状を変える勢力くらいの感じになっていたのだろう。

1993年の宮澤内閣不信任案可決、細川連立政権の成立に始まる政界再編の中で、小沢一郎元幹事長を中心として自民党から分かれた勢力と旧社会党勢力、松下政経塾出身者を中心とする日本新党勢力(小池都知事もその中にいた)が離合集散を繰り返しながら一つの勢力となった民主党の成立以降、リベラルという言い方が妥当だと感じられるようになったのだろう。

現況は民主党の中でも左派色の強い人たちが立憲民主党に、保守色の強い人たちが国民民主党に集まっている感じはするが、政策実現のためには自民党に入った方が有利ということになってしまうのでなかなか健全野党が育たないという感じはある。

ただこの政治家のいう保守とかリベラルというのも瓶に貼られたラベルのようなもので、中身がなんなのかは今ひとつよくわからないというか、必ずしもラベルと思想とは関係ない感じのこともある。特に政権政党である自民党は政権政党であるが故にさまざまな所思を持った人たちが集まっている感じがあり、その時のリーダーシップ、すなわち総理大臣を誰がやるかによってかなり違う政治が行われる実感がある。

今は「保守政党」の自民党と宗教政党であり福祉と平和を看板に掲げる公明党が与党であるので日本では保守思想が優勢かというとあまりそういうことはないわけで、自民党が政権の座にあるのは今までの政権運営で一番安定性があり、信頼感があるからというのが大きいように思う。逆に言えば民主党は政権を取った時代の評価がいまだに低く、「悪夢の民主党政権」などと言われているわけで、その印象を払拭するのは並大抵のことではないと思う。

思想と政権の安定性ということでいえば、基本的には保守思想は継続性を大事にするし、伝統を大切にするので大過なく過ごしやすいということは一般的には言える。革新思想に基づく政策は変えるのに急で拙速になりがちであり、現場を無視した設計主義に走って現場を混乱させることがままある。そういう意味では最近の自民党の政策の中にはそうした拙速ではないかと思わせるような例もかなりあるのが心配ではあるのだが。それは自民党の議員やそれを具現化する官僚の中にもそうした設計主義に走りがちな人が増えてきているということでもある気はする。

そういう面を見ていると、自民党政権も本当に「保守」政権なのか、と思うところは多い。私が保守という思想をはっきりさせないといけないと思うのは、そういう面もある。

保守というのはその国によって歴史も文化も宗教も成り立ちも違うので、その国独自の保守性というものが必ずある。またある種の国際性もあるが、白人右翼のようにロシアにもアメリカにもハンガリーにもいる、みたいなある種の突出した勢力も保守の範疇に入れられることもあるし、アメリカでは共和党支持=保守と捉えられがちなのでリバタリアンから市場原理主義社や宗教右翼やトランプ主義者など、多様な人々が保守の範疇に入れられてしまう。

日本で保守とか右翼とかいうイメージは、皇室制度(≒天皇制)を支持することと、憲法を改正して軍備を持つことを主張し、民族意識が強い人たちという印象が多いように思う。もちろんその辺りも重要なファクターであるのだが、自民党支持者や自民党議員たちの中ですら、皆がそうとは言い切れない面はある気がする。

欧米では聖書原理主義者、聖書に書かれたことは全て真実だと考える人たちが一定数いるが、一時話題になったように神武天皇の実在を信じるという人はそんなには多くない。ただ、実在したという前提で行動する、という考え方もある。皇室の方々が神武天皇陵を参拝するのは、初代天皇とされる人の御前で歴史の彼方にある日本の起源に想いを致して祈りを捧げるという行為なのだと思う。

と書いてきて、まあ自分自身も神武天皇について勉強不足というか、たとえば各時代でどのように神武天皇が遇されてきたのか、あるいは民俗学的に見て神武天皇はどういう存在かというようなことをもっと調べるべきだなと思った。ググってみると新しい研究も出ているようなのでその辺も読んでみたいと思う。

保守というのは基本的にはその国の一般的な人たちにとって「これはこうあるのが正しいと感じられる」という伝統的な集合観念というか常識というものに依拠するところは大きいように思う。私などは周りが基本的に思想的に革新的な人たちの中で育ってきたが、しかし両親などにもそうは言ってもへえと思うような生活上の保守性みたいなものがあって、そこがある種の「根」なのだなという感じはする。

そういう意味で保守というものはその国の大地に深く根を張った考え方である必要があることは確かで、その上に各国の保守に共通する性質や、さらにはリベラル的な考え方の中でも取り入れるべきものは取り入れていく、というような形で形成される思想である、と考えるべきだろうなと思う。

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