「天下の大勢の政治思想史」読了:日本の戦争は大勢を見誤ったことから起こったのではないか/ルサンチマンと選民思想の怖ろしさ

Posted at 22/10/30

10月30日(日)晴れ

ここのところ週末は東京に帰っていたので少し休息が足りない感じになっていたので、今週はハロウィンなどでやかましいだろうということもあり、実家の方で休息をとりつつ溜まった仕事を少しずつ片付けようということにした。昨夜はブラタモリを見てすぐ寝てしまったのだが、登別温泉というのがそんなに面白いところだということは初めて知ったので、機会があったら行ってみたいと思った。

しかしこの歳になってくると、「機会があったら」というのは「生きているうちに機会があったら」という語感を帯びてくるので、「生きているうちに行ってみたいところリスト」とか「体の動くうちに行ってみたいところリスト」みたいなものを考えないといけないかなという気はする。ヨーロッパも22歳の時に一度行っただけなのでまた行ってみたいのだけど、あの時と同じようには無理な旅行はできないし、そんなことを考えているとどこにもいけないということもあり、いろいろ考えだけはめぐる感じにはなっている。

今朝は何の気無しに柿の作業を始めてしまい、結局数時間かけて十個ほど干し柿の処理だけはした。まだ二十個くらいあるのだけど、熟柿にするしかないかなと思うのが一つあり、ヘタをうまく吊るせずに干し柿にできなかったものを少し焼酎(ホワイトリカー)に漬けてラップに包んで1週間ほど置いてみようと思うものが一つ、残りは皮を剥かずに渋を抜こうと思っているのだが、アルコールを使う作業になるので運転しない夜になってからしようと思っている。

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ここのところずっと読んできた濱野靖一郎「天下の大勢の政治思想史」(筑摩選書)を読了。自分が折に触れて読んできた近代政治史と政治思想史の架橋という、著者後書きにある言葉がまさに当てはまる快作だったと思う。

第6章までの感想を少しずつ書いてきていたが、全体を読み終えると残り7・8章の感想だけというわけにもいかず、全体的な印象に自分の中が変化していってしまうのだけれども、各章の表題にあげられている人物が8人いて、丸山眞男・頼山陽・阿部正弘・堀田正睦・勝海舟・木戸孝允・徳富蘇峰・原敬になるわけだが、このうち自分がいろいろ日本近代史を読んできて、共感できると感じる人物は阿部正弘と原敬、共感できないと感じているのが丸山眞男、勉強不足だったなと感じたのが頼山陽と徳富蘇峰、面白いけど主流にはなれない人だなと感じていたのが堀田正睦と勝海舟、よくわからない人だったけどだいぶわかってきたと感じたのが木戸孝允、という感じだった。

特にこの本は頼山陽の思想が近代史全体においてどう受け継がれその実質がどう変化しそれぞれの時期においてどういう影響を与えたのかがテーマになっているわけだから、頼山陽自体がよくわからなければ全体もあまりがっちりとは掴めないわけだけど、実際のところ今までちゃんと読んだことはなかったしこの本を読んでも「理解できた!」という感じには程遠い(実物を読んでないので当たり前だが)が、「理」や「義」を説く朱子学の思想から「勢」を説く山陽の思想に政治に関わる人士の重要視が遷移していった感覚はとても面白くて、幕末維新の時期にこの山陽の思想が「世界の大勢」=「現実」を見よ、と呼びかけていたのに呼応して非常に現実的な議論や政策が展開していったことはいろいろと納得できるところがあった。

しかし明治に入ると今度は「理」や「義」の儒教思想に変わり、スペンサーの「社会進化論」が一世を風靡するようになる。これはすごくやばい感じだと思っていて、つまりは社会を生物に擬えて進化するとみなし、また国家も有機体であるというような思想なわけで、こういうアナロジーによる社会や国家の理解・把握はほどほどにしておけば面白いところはあるにしろ、ある意味疑似科学でありスピリチュアルな部分もあるわけで、儒教という伝統「宗教」に代わる新しい擬似宗教・疑似科学であるというところを押さえておかないと、危うさがあると思う。

つまり問題は、このアナロジーによる議論によって、あるいは同時期に出てくるマルクスの唯物論的歴史観によって、決定論的な錯覚を持ってしまうことであり、「世界はこのように変化していく!(はず)」という絵図が、まるで実際にある世界の趨勢、「天下の大勢」のように錯覚されてしまうというところにあるのだと思う。

徳富蘇峰の議論が頼山陽の議論をそういう社会進化論的な方向に「読み替えていく」ものであったのかは蘇峰をそんなには読んでいないのではっきりとはよくわからないが、頼山陽の全集を作るのに彼がかなり尽力していることを考えると、彼が編集した山陽の著作に対しても、蘇峰的なバイアスをとりあえずは頭に入れて読まないといけないなとは思った。

第8章における階級闘争史観を「天下の大勢」と見做す島田・関らの議論に対し、現実政治に依拠してそれを強力に否定する原敬の議論は読んでいて痛快で、現実政治家の真骨頂だと思った。

また、「むすびに」が単なる結語ではなく、「終戦の詔勅」の成立過程であったのには度肝を抜かれたというか、思いがけない僥倖にあったような感があった。「終戦の詔勅」については安岡正篤が関わったこととか少しは知っていたが、作成過程での議論が何を目指して行われたのかというような点については一つ一つが印象に残った。

特に「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」から連なる「以て万世のために太平を開かんと欲す」の部分は私もこの詔勅で一番好きなフレーズなのだが、北宋の張載(1020-77)の言葉として残っている「天地のために心を立て、生民のために道を立て、去聖のために絶学を継ぎ、万世のために太平を開く」という言葉を、安岡が執筆した内閣書記官長(現在の内閣官房長官)・迫水久常に示したことからきているのだということは初めて知った。張載自体もよく知らなかったがWikipediaを見て相当な学者だったことはよくわかった。

また、大東亜戦争の宣戦の詔勅や三国同盟の詔勅などでは「天下の大勢」について触れられていないが、終戦の詔勅では冒頭に「朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み」といきなり「世界の大勢」が出てくる。ということは逆に言えば三国同盟や宣戦布告の際には「世界の大勢」よりも優先される何かがあったといいうことでもあって、「バスに乗り遅れるな」程度の「大勢」ではない現実的な「世界の大勢」を見誤ったからこそ、このような戦争が起こり敗戦に至ったのではないかという気がする。この辺り、頼山陽の過失があったようには思えない。

むしろ日本を戦争に導いた、「世界の大勢を見誤らせたもの」は何だったのか、ということの方を見なければいけないと思うのだけど、それは自分が考えるには一言で言えば「ルサンチマン」であったのではないかと思う。

陸海軍が国家機構内で軍縮により痛めつけられたルサンチマン、それが統帥権干犯問題を通じて政府機構から独立した皇軍であるという意識につながり、裏返しの選民思想を持つようになったこと。排日移民法など国際的な人種差別的な趨勢。国民政府が要求する「血で確保した」満洲における権益の侵害問題その他、ルサンチマンとその裏返しの選民思想が陸軍や共感する人々を突き動かしていったのではないかと思う。そしてそれを正当化したのは共産主義思想の階級闘争論であり、抑圧された人種・民族・労働者が抑圧されたが故のパワーを持って世界をひっくり返し、やがては世界の主人になるという裏返しの選民思想の構造が換骨奪胎されて取り込まれていったのではないかと思う。

こうした思想構造は現代のBLMや戦闘的なフェミニズムにまで受け継がれているので、その意味で大変危険な部分はいまだに残っているのだが、「天下の大勢論」というある意味客観的に世界の事実を見ていこうという思想こそがそれらを覆す力を持っているのではないかと思う。

まあこの辺りは自分の考えということで、むしろ「これからの日本の保守思想」がより意味のあるものになっていくためには、頼山陽の思想がその一つの柱になる可能性はあるように思った。

いろいろと見えているビジョンを垂れ流しているだけになってきたが、つまりはこの本によって触発されたところはとてもあったということを書いておきたいと思う。

細かいところで思ったことはまた断片的な形で書いていくかもしれない。

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