「鎌倉殿の13人」第41回「義盛、お前に罪はない」を見た:義盛の立ち往生、巴の格好良さ、大江の無双、実朝・泰時の覚醒、そして義時の涙

Posted at 22/10/31

10月31日(月)薄曇り

天気予報は晴れなのだが、雲が出ていて日が当たらない。でも、西山の方には青空も見えて明るくなってきたので、やがてこちらも晴れてくるのかもしれない。昨夜は昨日の朝干した干し柿に加えて数個、新たに吊るして、残りを熟柿と剥いてホワイトリカーにつけたのが少し、それから皮のままヘタにホワイトリカーを浸してジップロックに入れたのを二袋作って柿の処理は一通りやった。食べられる時期の調整が難しいので一度に食べなければならなくなる可能性もあるのだが、様子を見ながら少しずつ食べていければいいかなと思う。

日本外史 上 (岩波文庫 黄 231-1)
頼 山陽
岩波書店
1976-09-16

 

昨日は昼食後に家を出て、楓樹文庫で頼山陽「日本外史」上巻(岩波文庫)を借り、高速に乗って諏訪湖SAに久しぶりに立ち寄って、松本へ行った。最初に松風庵に行って和菓子と煎茶、気持ちはいいのだが昨日は日曜午後ということもあって何グループかが来店していて、いつものように一人静かにお茶を飲む、というわけにはいかなかった。やはり平日がいいな。


 

それから市内の駐車場で車を止めて丸善で本を探す。いろいろ見たし考えたが、結局「日本思想史ハンドブック」(新書館)を買った。これは頼山陽は出ていないのだが、江戸時代の思想史全般がよくわかっていないところがあるので、もう一度復習するのにいいかなと思い買ってみた。それからアルピコバスセンターの地下のデリシアで夕食の買い物。駐車券はいいですか、と言われたので後で調べてみたら、私が止めていた駐車場が1000円の買い物で2時間駐車できるとのこと。丸善では2000円の買い物で1時間なので、今後はデリシアで駐車券の処理をした方がいいということを知った。

そんなこんなでまあいろいろ充実はしたのだが帰りの車の中でちょうど西日がもろに右手から入ってきて、割と見づらい感じになった。高速を降りるともう他の車はほとんどライトをつけていて、まだ5時前なのになと思いながら、途中で私も点けた。

夜は「鎌倉殿の13人」第41回「義盛、お前に罪はない」を見た。


いろいろと書くポイントはあるのだけど、今回は色々なキャラクターの魅力が表された回だったなと思う。今回の最重要キャラはもちろん和田義盛と巴御前なわけだが、和田義盛が弁慶の立ち往生みたいな矢で蜂の巣になった最期は、このドラマにおける和田義盛の最期としては最も華々しい死に際だったように思う。また、巴とのやりとりを見ても、自分が見た限りではどんなドラマよりも巴御前が生き生きと描かれていて、木曾義仲の元での前半生と和田義盛と生きた後半生の、一身で二世を生きた女性としてとても強い印象を受けた。最後の義盛の衣装を着て甲冑に身を固めての「忠臣和田義盛の妻、巴なるぞ」という名乗りは、「真田丸」の最後の場面を思い出させ、この役をとても良いものにしていたなと思う。

もう一人は大江広元。文官らしく文書つづらを背負って八幡宮に避難する有様は根っから優秀な事務官僚なのだなと思わせた一方、義朝の髑髏を忘れたと言われて和田勢が溢れる将軍御所に取りに戻り、めちゃくちゃ強い殺陣を演じるところはさすがは毛利元就の先祖というか、「キングダム」の昌平君並みの有能キャラでここぞという感じだった。

細かいところで言えば「今度こそ、死ぬ!」と先祖返りして不思議ちゃんになっている実衣もおかしかったが、「みんな、死ぬ!」とばかり言ってた歩き巫女が黙って立っているのもまた対比だったのかなと思った。

また、和田合戦の時に酔いつぶれていた泰時が大将に任ぜられて巧みな戦い方をし、その功を弟・朝時に渡して父に弟の赦免を乞い、「役に立つ男になってくれよ」というのも、ある種の泰時の覚醒なのだろうなという気はした。

そして鎌倉殿・実朝がついに実戦の舞台に出てきて、それでも義盛にある意味君臣を超えた信頼を告げることによって、二人の間では心情は完結するものの、義時や義村からすればあるべき秩序を破壊する「甘え」であるわけで、実朝の振る舞いによっては「命は取らない」で済んだかもしれないものを、むざむざ殺さざるを得ない状況に追い込まれたという解釈を読んだのだけど、恐らくはそれが妥当なのではないかと思った。

義時が義盛の絶命の場面から背中を向けて去り、人知れず一人それを悲しむ表情を見せるのは、人間らしい心情を人に見せることができなくなった義時の立場の辛さのようなものをよく表現していたと思う。

そして実朝が義時の面前で、「鎌倉には信頼できるものがいない。西のお方を頼ろうと思う」と言下に言い放つのは、後鳥羽上皇からしたら「尻尾を振ってきた」とほくそ笑んだということにはなるのだろうけれども、義時からすれば「御家人に心を許してはならない」という頼朝の考えをついに身につけたということでもあり、最も心を許していた和田義盛が死ぬことによって、そこに踏ん切りがついたという意味だと理解した、ということなのだろうと思った。それが義時の、「頼家様はおろか頼朝様を超えた存在になるかもしれない」という言葉につながるのだろう。

和田合戦が実朝の覚醒を招いたという展開、そして泰時もまた恐らくはそうなったということで、よくできたストーリーメイキングだなあと改めて思った。

次回42回は「夢の行方」という副題で実朝の大船建造が取り上げられるが、実朝と義時の緊張関係が主に描かれるということになるのだろう。さてどのような展開になるのだろうか。


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