「天下の大勢の政治思想史」を読み、丸山真男が私の考えと重なることを書いているのを知って驚いた/「鎌倉殿の13人 トークスペシャル」を見た。45分があっという間だった。

Posted at 22/10/10

10月10日(月・体育の日)曇り


昨日は特急で東京に移動し、車中で濱野靖一郎「天下の大勢の政治思想史」(筑摩選書)などを読んでいたのだが、第1章で取り上げられた丸山真男の節で、彼の論文「日本文化の「古層」」が取り上げられていて、その内容を読んでみて驚いた。

彼は宇宙の創世を「つくる」「うむ」「なる」の三種類に分け、「つくる」系の創造神話のユダヤ=キリスト教神話と「「なる」発想の磁力が強い」日本神話が対蹠的なものだと述べ、国生み神話などの「うむ」にも「なる」が浸透しているという。

実は似たようなことを私もずっと考えていて、日本の宇宙論を「初発」的宇宙観、ユダヤ的な宇宙論を「創造」的宇宙観として考え、「初発的宇宙観」こそ「日本的感性の源」みたいなことを考えていたのだけど、まさか丸山が同じようなことを考えていたというのは想像もしていなかった。

私は「天地初発時」、という古事記の冒頭が私はとても好きで、考えているとじんとしてくるくらいなのだけど、丸山がそれに強く否定的で、諸悪の根源のように考えているのはちょっと可笑しかった。

丸山眞男はもともと「日本の思想」くらいしか読んでないのだが、蛸壺型とささら型だったが、あれは面白いと思ったが、まあ偉い人の言うことだから正しいのかなくらいに思っていて、自分が保守の思想を勉強していく中でそうか敵だなこの人は、みたいになっていったのだが、ここまで根源的に敵だとは、と思った。つまりは丸山は日本的な価値観、考え方、発想のすべてを否定しているのだと思う。

そのあたりからおそらくは「8月15日革命論」を発想し、日本的なるものを「革命」によって葬り去ろうとした。実際には「革命」はGHQによって推進されたものだし、日本社会の構造も大きく変わったところもあればあまり変わらなかったところもあるので、丸山の主張はある種言説的なものにとどまるとかんがえるべきだろう。こういうのは桑原武夫が日本語を廃止してフランス語を国語にしろと言ったり俳句は第二芸術であると言ったりしたのと同じことで、日本的なものを廃止してより「普遍的」と彼らが考える民主主義原理を(それはアメリカ的なものであり、フランス的なものである)第二の国体にしろということなのだろうと思う。

丸山がここまで根源的・徹底的に日本的なるものを否定しようとしたのであれば、日本の保守の側も丸山の主張を根本的に批判するために神話にも潜り込む必要があると思うのだが、あまりそういう主張は読んだことがない。少なくとも古事記の原文に依拠した批判のようなものは、マクロビオティックの桜沢如一が唱えた無双原理に関連したものぐらいしか読んだことがなかった。

初発的世界観というのは私も丸山と同じところに注目した(国稚く浮きし脂の如くして、海月なす漂えるとき、葦牙の如く萌え騰るものによりて成れる)のだが、要は春になると植物が「自然に」生えてきて豊かな世界を形作るその大地ないし自然そのものの生命力というかエネルギーみたいなものの力で世界ないし宇宙は自然にできた、成るように成った、ということだと私は考えているし、日本的な思想の特徴として丸山もそのように指摘している。

私は世界に対するこういう考え方は好きだし誰(創造神)が造ったわけでもなく自然に「自然の力によって」なるようになってこうなっている、というのが割と真実なのではないかと思う。

しかし丸山はこれを否定するわけで、「創造」や「人為」によって出来上がった世界のみを、そういう価値観に拠ったからこそ西欧は民主主義を作り出せたのであって、天皇制を作り出すにいたった「なる」の考え方は否定されなければならない、というようなことだと解釈した。

私は日本的な価値観としての「初発的世界観」ということは考えたがそれを展開できないでいたので、逆に丸山の議論の反対を行くことでかなり見晴らしのいい場所に立てるのではないかというようには思った。まあ読んでみないとわからないので、丸の内の丸善で「日本文化の古層」が収録されている「忠誠と反逆」(ちくま学芸文庫)を買って読んでみることにした。

古事記 (岩波文庫)
倉野 憲司
岩波書店
1963-01-16



「古事記」そのものは私は持っているので書棚を探したら変なところから出てきたのだが、「古事記」(岩波文庫)は一応書き下し文では一度通読している。

それにしても、「天地初発之時、於高天原成神名、天之御中主神」を「あめつちはじめてひらけしとき、高天原に成れる神の名は天之御中主神」と最初に読んだのは誰なのだろう。本居宣長なのかその前からそう読まれていたのか。「東野炎立所見而反見為者月西渡」を「ひむがしののにかぎろいのたつみへて かへりみすればつきかたぶきぬ」と最初に読んだのは契沖の研究を受けて賀茂真淵が確定したというように記憶しているが、当然ながら「発」を「ひらく」と読んだ人がいたわけで、意味としては「発生した」ということなのだろうけど、まあ植物や昆虫が湧いて出たみたいに天地が発生したというのはいかにも日本的で面白い感じがする。

***



夜は「鎌倉殿の13人 トークスペシャル」を見た。これはとても面白く、45分があっという間だった。今回の大河ドラマはドラマそのものだけでなく公式ガイドブックも買っているし、毎回更新されるサイトも大体見ていて、役者のインタビューなども結構読んでいるから、昨日のトークでの話も面白く見ることができた。役者同士のやり取りや各場面の振り返り、もう退場した人たちのインタビュー映像、作者の三谷さんのインタビューなど見どころは多かった。

ただ、これは見ていた人たちはみんな驚いたと思うが、「富士の巻狩り」の回で比企家の娘・比奈のところに忍んで行こうとする頼朝の後姿が映るのだが、この回は大泉さんが病欠で、セットを壊さなければならないので誰かがやらなければいけないというとき、主演の小栗さんが代役をやったのだという。頼朝の動きをちゃんと把握していなければできないし、私は見ていてほとんど違和感は感じなかったから、凄いものだと思った。

あとは、これからの展開について、「泰時が希望」であること、また「義時がいかようにして最期を迎えるか」というような部分で、演じる小栗さんや小池さんたちにとっても衝撃的なラストになったということで、これは楽しみにしたいと思った。

あと10回で時政追放後の鎌倉の10数年間をやる、しかもその間に和田合戦、実朝暗殺、承久の乱と大事件が目白押しなわけで、どのような展開になるのか目が離せないと思った。
今後ともラストまで視聴できたらいいなと思う。

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