科学的な真理と宗教的な真理

Posted at 22/07/22

7月22日(金)雨

今朝は朝からよく雨が降っている。ただ雨雲レーダーを見ると現時点で雲は抜けつつあるので、もう少ししたら雨は止むだろうと思う。今日は母を病院に連れていくので八時半過ぎに止んでいてくれたらいいのだが、ちょっとそれはよくわからない。

今日は科学的な真理と宗教的な真理の関係とか、占いとか未来予測、運命とかのこととかを書こうと思っていたのだが、どうにも時間がないのでそういうものをそのうち書こうと思っているという予告みたいなもので留めておこうと思う。

考えているうちに、この真理の話と、自分がなぜ宇宙について読んだり書いたりするのが好きなのかとか、歴史が好きなのかとかもちょっとわかってきた感じがした。

宇宙はこの世界がどうなっているかを知ることだし、歴史は実際にどうだったかを知る、確かめることであるからなのだなと。

宗教と科学の関係も、科学は宗教を切り離すことによって自立した感じのところがあるわけだけど、宗教は科学を切り離せない、捨てられないという関係はあるよなと思う。科学は「わからないことはわからない」と言えばいいけれども、宗教は全てを説明しなければならないところがあるからだ。

人は科学的に生きるのが正しいとなんとなく思っている人が多いのかなとタイムラインなどをみていると思うが、世界の態勢は必ずしもそうでもないだろう。しかしもちろん宗教のみに生きればいいと思っている人はそんなに多くない。常識的に按配しながら生活しているのが多くの人だと思うけれども、ただ、一人の人間の全体性として、常識的なことだけではなく神や自然を畏れる気持ちみたいなものがあるのが普通だと思うし、また科学や技術的なものに関してもその進歩は認めつつも限界もあるということを理解しているというようなことだろうと思う。

つまりは「完全なものはない」ということなのだが、それでも説明原理の異なるものが思考の中に共存していることに不全感を持つ人はいると思うし、私などもどこかでそれらの真理が大統一できた方がいいのではないかという気持ちもある。

それができたと称しているのは今のところカルトやトンデモだけなのでそのトライ自体を胡乱なものとみなされやすいわけだけど、健全なものとしてそういうものが成立できるといいなという希望は持っている。

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