身体を整えるための試行錯誤/個人的な愛情と癒しのことの普遍性/「中途半端」の積極的な意味

Posted at 22/06/09

6月9日(木)曇り

昨夜は夕方から深夜にかけて雨が結構降っていたけど、夜半には上がっていたようだった。昨日は松本の整体に行って母のことや自分の眠りのこと、梅雨時の身体の使い方についてなどいろいろ話をしたり聞いたりしたのだが、操法を受けて身体が緩んだ感じはあり、まあ全てが解決したわけではないがなんとなく感じが見えてきた感じはある。いずれにしても試行錯誤はまだ続く感じはあるけど、五里霧中という感じでもないのでありがたい。

そのことについて、特に愛情と癒しのことについて、今朝起きた時に寝床の中でいろいろ考えて発見したり、自分自身の話だと思っていたことが実は普遍的な話だったんだなと気がついたこともあったりするのだが、こういう話は照れくさいというか、かなり整理しないと言葉として出しにくいところがあるので、またいろいろ書けるような感じになってきたら書いてみたいと思う。

それにしても毎朝一本文章を書くというのは大変だな。いや、「毎朝一本文章を書くのは大変」ということ自体をネタにするくらいには大変になってるということとは言えるが、長い文を書くのなら「昨日の続き」を書けばいいわけだけど、毎日の発見というか気づいたこと、考えたことなどを書くのは、まあ私は基本的にそんなに苦にはならないのだけど、すぐには書けないような内容なことを主に考えた日の次の日というのはこれを書こうというネタをあまり持ってない。手持ちのネタみたいなものもないわけではないが、私が書くこのような文章というのは基本的に書きたいという気持ちが乗ってないとあまり面白くないので(読んでもらっている側がどれくらい面白いと感じてもらえているかはわからないが書いている側としても面白くない)、書きたいと感じたネタを書こうとは思っている。

毎日いろいろなことがあるから生きている以上書くことがなくなることは多分ないのだけど、それでも出やすい日と出にくい日はある。

長い文章を書くときも、なるべく一つのかたまりは同じ日に書いてしまいたいのだが、これもなかなかそうはいかない。調べながら書く文章はやはり何度か改稿することになるし、ネットの連載みたいに長いものを書くとしたらネットにあげたものと最終的にまとめたものとではかなり違うものになる可能性はある。

ああ、文章を書くことについての文章になってきたが、あまりそういうことを言いたいわけでもない。今日はまあ中途半端だが、中途半端であることに意味がある日もあるような気はするので、中途半端に書いておこう。

中途半端に書くことに意味というのは、多分そこから新しい発想が出てくる、その中途半端さが呼び水になって新しいアイディアが出てくる、みたいなことがあるからだろうと思う。

ということで徒然な文章になってきたが、とりあえずこの文章はこの辺で。


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