ネットにおける大バトルについての個人的なメモ/個人による情報処理がある程度可能になった現在の相対化

Posted at 22/01/23

1月23日(日)曇り

今日は1日どんよりした天気だったが、特に雪も降らず、なんとなくはっきりしない天気の1日だった。気がつかなかったけど、気温はプラスにはなったようだ。なんとなく暖かい感じはあった。

Twitterでオープンレターや「うんこ学者」といった言葉をめぐる大バトルが続いていて、ついそちらの方を見てしまうのだが、とりあえず私が関わって建設的な方向に行くわけでもないのでこの件で職を失った方が名誉と職と利益を回復できるように思って少しは書き込んだりしているのだが、焦点の定まらない大バトルになっているので先が見通せない。

ただ、色々とポリティカルコレクトネス方面の方々が本当に何を望んでいるのかとか、従来の伝統的な学問でない「カルチュアル・スタディーズ」「ジェンダー・スタディーズ」と言った新しい「スタディーズ」系の既成の知の体系の脱構築を標榜する知的営為の問題性などもだんだんわかってきて、日本のアカデミズム全体の問題点のようなものも見えてきた感じはある。

そのあたりについても詳しく書けるといいのだが、まだそこまで内容が詰まっていないのと、こうしたスタディーズ系の批判を許さない系の言説に対する批判はかなりしっかり用意して臨まないといけないということもあり、もう少し自分なりに様子を掴んでからにしたいと思う。

脱構築系のスタディーズ(「学」と自称しているが)というものはそれ自体が脱構築的でありある種の神学的な批判を許さないタイプの言説であるのできちんと準備しないと簡単には批判できない。内的な論理矛盾をつくというよりは、結局は常識や法的な方面からの批判になり、外部的な批判になるので元々あまり建設的でもない。無視したいところではあるが実害も出ているので無視もしにくい。いろいろと厄介な存在だなと思う。

基本的に私は保守のスタンスなのでリベラル系の彼らとは良いと思う社会の形態が違うから相容れない部分はあるのだが、最終的には粘り強く説得していくということになるんだろうなと思う。話が通じればの話ではあるが。

「IT全史」第6章まで読了。だいぶ同時代になってきて、パソコン開発の話とかはジョブズの伝記などで読んでいる部分なので結構重なってきている。パソコンというものの持つ意味は「個人が情報処理を自分でできる」というところに意味があるのだと思うのだけど、その今となっては当たり前になった部分とない時に何ができて何ができなかったかなどを振り返ってみないと、つまり現在を相対化しないとこの辺りの意味が掴めないなと思ったりもして、まだなんとなく総括ができない。

なんとなく中途半端にすぎて行った日曜日だった。


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