観察・考察・洞察・後始末

Posted at 21/11/06

11月6日(土)晴れ

朝からいろいろ考えていろいろ書いていたのだが、ここにはとりあえず書かないのだけど、自分の本質的性格は何だろうというようなことをずっと考えていて、一つの結論として「観察者である」というのが以前もあったのだけど、今朝もやはり自分は観察者としての特性・指向性があるなあと改めて思った。観察して、記録する。ただその記録がずさんなのでそこを改善しないといけないなと思う。昔からそれは思っているのだが、なかなか向上されない。

インターネットとかブログとかのメディアはそういう意味でとりあえず書き留めておくというのには良いので、1999年ごろからずっとそういう形でも利用してきたのだけど、作品的なものに仕上げていくときにいろいろと欲が出て形式をいろいろためてしてきたのだけど、今に至るまでこれがベスト、というような感じのものが出来上がってはいない。ただ、このブログor Noteもこまめに毎日更新しているとちゃんと読者が増え、一日200view程度にはなってきているのでここの内容の向上をとりあえず図っていきたいとは思っている。

日記形式というのは私がネットを始めたときに流行っていた一つの形で、当時はウェブ日記と言われていたが、色々な人が重い思いの形の日記を書いてそれが日記交流サイト=リンク集みたいなところで自由に読みにいける形でどんどん読み合っていた。日記猿人、日記才人、テキスト庵などのサイトがあったが2000年台のうちにどれも終了してしまって、その後は交流目的ではTwitterに移ったのだが、こちらも初期の牧歌的な感じからオルグと殲滅の血生臭い感じになったのは、そういうのほほんサイト出身のアカウントだけでなく2ちゃんねる出身の人もまたTwitterに合流したことも大きかったのだろう。

まあ常に立場を鮮明にしてないと焼かれそうなTwitterよりもこうして字数制限もなく書けるnoteやブログの良さというものはあるので、まあできればこちらの方の比重をもっとあげていきたいと思っている。

もう一つの特性は「考察者である」ということだが、考察の方は時間がかかるというか、物事に対する洞察が発動するのは不定期だし、これはうまくそのときにものをかけるタイミングであるかどうかというようなことも結構大事になってくる。現状物書きで食べているわけではないからそういうことに1日の大半の時間を使うことはできないわけだけど、金と暇があればいくらでもそういうことはできるよなとは思う。あとは体力も必要だ、いやこれが一番重要か。体が資本だどんな人間にとっても。

まあこの「観察→考察→洞察」というのが自分にとっての鍵になる知的活動で、自分にとっては学習というのも基本的にこの過程を辿って展開しているように思う。後の問題は表現だが、これは観察レベル・考察レベル・洞察レベルそれぞれに表現は必要だし、またそれも実行に移すための一つのプロセスに過ぎないとも言えるわけで、ただ色々な形でイメージが掴めていた方が準備もしやすいし、実行における学びも大きいし、後始末も計画的に行える。

そうそう、これも最近思ったことの一つなのだが、自分の1番の課題は「後始末をちゃんとやる」ことだなと思っていて、これが適当になる、あるいは疲れてしまって省略されがちになる、というようなことはあると思った。後始末の中の大きな要素に「片付け・整理」というものがあり、こんまりさんの本をはじめたくさん読んでみたのだが、「片付けとは後始末である」という基本が押さえられていないというか、ポジティブに準備やあるいは実行として捉えているものがほとんどで、「後始末の仕方」みたいな本はググっても出てこない。しかしまあ後始末をちゃんとするというのは気持ちよく生きるためには大事なことだなというのは感じているので、その辺を気をつけながら行動していこうとは思っている。

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