疲労/オリンピック/善知鳥/大円鏡智

Posted at 21/07/25

この1週間、オリンピック開幕なども含めてなんだかいろいろあって、すっかり疲れが出てしまった。急な暑さに肉体的な疲れが出てしまったというのもあるが、オリンピックの展開を含めてなんだかメンタル的にも変に疲労している感じがする。というか、ようやく休みになって少しはその疲れを自覚できるほどの余裕が出てきたということなんだろうなと思う。まあいろいろあるなあ世の中は。

オリンピックが開幕した。さてこれが吉と出るか凶と出るかはまだわからない。ただ、緊急事態宣言だ、病床が逼迫だ、感染者が激増だと言っても国民の意識として「それなら自粛しよう」にはまるでなってないわけで、お祭り効果が悪い方に出ている感じはする。オリンピック・パラリンピックが終わった後の疲労感というのがどういう形で医療態勢の急迫に影響してくるのか、何が起こるかわからなくてちょっと不安を感じているところはある。

朝車を走らせながらFMを聴いていたら喜多流の能の「烏頭」をやっていたのだが、これは善知鳥とも書く鳥のことで、親が「うとう」となくと子が「やすかた」と答える習性(これは定家の歌「みちのくの 外ヶ浜なる 呼子鳥 鳴くなる声は うとうやすかた」に由来する伝承らしい)を利用して、猟師が生活のために子供を捕まえるという殺生を繰り返していたため、猟師は死後地獄に落ちて親鳥に地獄の責苦を受ける、という話なのだが、富山県の立山信仰(立山に地獄がある、という伝承があるのだそうだ)と絡めて世阿弥が作った演目なのだという。

解説によると立山で修行中の僧に頼んで自分の形見を外浜の家族の元に届けてもらった猟師の亡霊が地獄での苦しみを語るけれども、救いは描かれることなく終わる、という話なのだそうで、それだけ殺生の罪、親子の絆を利用してそれを引き裂いた罪は重い、という解釈になるらしい。

善知鳥というと、長野県の塩尻市と辰野町の間に太平洋と日本海の分水嶺の一つとして善知鳥峠というのがあり、昔から難所の一つとして有名なのだが、能の烏頭の話は知ってはいたが詳しくは知らなかったので、凄まじい話だなと思った。善知鳥峠にも親子の情愛をめぐる伝承が残っているようで、要は生きるということの罪業の深さ、みたいなものがテーマになっている作品だということなのだと思う。

寝起きに少しいろいろ考えていて、「大円鏡智」という言葉が思い浮かんだので調べてみると、これは華厳や唯識のあたりにあるもののようだ。読んだ文章によると、仏教は「智慧」と「慈悲」の教えであるが、「大円鏡智」はその智慧の「四智」ないし「五智」の一つであり、仏の持つ知恵の中でも他の知恵の根幹をなすものと考えられているらしいということがわかった。

そのあたりを考察している論文を見つけたので、後で読んでみたいと思う。

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