暑中見舞い/サブカルとか鬼畜系とか

Posted at 21/07/19

梅雨が明けて、この数日急に暑くなってしまった。もう夕方、6時近いというのに31度もある。当地は朝夕は涼しいのだが、このところ最低気温が22度くらいある日が時々あって、そうなると流石に寝苦しい。

いただいたお中元に少しお返しなど送ろうとしてお菓子屋さんに行ったら東京はオリンピックで配達が遅くなるかもとのこと。まあいろいろ仕方ないんだろう。

そのことを書いて暑中見舞い葉書を出そうとしたら今年からくじ付きのはなくなったということで単なるデザイン葉書を買ったのだが、これも本局にはなくて小さい郵便局で聞いたら十枚だけ残っていたので買った。結構出す人いるんだな。

小山田圭吾さんの件について、Twitterではいろいろ書いていて、でもnoteにまとめるのもなんだなと思い、そのままにしてある。いろいろ考えることはあるのだけど、私自身がサブカルとか鬼畜系とか渋谷系というものを今までよく分かってなかったので、それについてあまりコメントするのはちょっと難しい感じがした。本当に同時代を生きていたのに別バージョンの世界を生きてきた感じだ。

ただ、実際に触れていた若い人たちとかが、何かおかしい感じがしたり、またオウム真理教とかにどうしてあんなに惹かれる人たちがいるのかと不思議だったことが、「サブカル=ワルければワルイほど、過激であれば過激であるほどかっこいいという価値観」みたいな図式で考えるとああそういうことだったのかと自分の中でのあの時代の印象が収まるということはあるなと思った。本当に変な時代だと思っていたし、なぜあんなことになっていたのかとすごく疑問のみが強かったのだけど、そういう人たちがいたわけだな。

自分はそういうものは大体一見してお断りだったので全然深入りしなかったし、まともな人間なら深入りしないだろうくらいに軽く考えていたのだなと思う。でも今思い出してみると、実際には周りにはかなりズブズブな人が多くいたんだなということに今更ながら思い当たったりする。

個人の幸福としてはそういうものに触れずに済んでよかったのだろうと思うのだけど、実際のところ時代と文化を認識するという点においてはかなり欠落があると自分でも思っていて、それが何なのかよくわからなかった。フリッパーズギターの曲を2015年くらいになってとり・みきさんのマンガを読んで買ったり、エヴァンゲリオン(旧)なんかもかなり後になってから見てみたりして「あの時代」を理解しようとしていたのだけど、いまいちよくわからないイメージだった。今回のことでかなり腑に落ちた部分が多い。

実際オウム真理教にハマった人たちは我々の世代が多く、「オウム世代」と呼ばれたりした(バブル世代でもあった)が、この90年代前半に一番アイデンティティを置く世代はなんと呼ばれるべきなのだろうか。オタクやサブカルやヤンキーや上澄みエリートや実際のところ一つの言葉では言えないと思うけど、一つの世代としては存在するように思う。「渋谷系世代」とか「バブル崩壊世代」とかなんだろうか。

まあ何もことを荒立てることもないので世代論にすることはないのだけど、恐らくは今回の件でようやく「あの時代」がちゃんと終わることができそうな感じになってるんだろうなと思った。

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by Luke Peterson

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