大坂なおみ選手の全仏オープン棄権について思ったこと

Posted at 21/06/03

大坂なおみ選手の全仏オープン棄権が話題になっている。これについてはいろいろと思うことがあるのだが、報道されているところによれば2018年にグランドスラム初優勝となった全米オープンの表彰式が、彼女が鬱になったきっかけのようだ。

事実関係が自分の中で曖昧だったので当時の記事を探して読んでみたのだが、この時は決勝のセリーナ・ウィリアムズ戦で、セリーナのコーチが「コーチング」をしたと審判が判断して警告を与えたのに対し、セリーナが激怒してラケットを破壊するなどし、試合は大坂の勝利に終わって表彰式となったものの観衆のほとんどを占めていたセリーナのファンからブーイングが起こり、大坂が涙ながらに「皆がセリーナを応援していたのを知っているから、こんな終わり方になってごめんなさい。」という破目になったということがあった。

https://www.fnn.jp/articles/-/22460

この記事を読んでもわかるが当時は「大坂の人格がすばらしい」みたいに片付けられていていい話、美談みたいな感じで処理されてしまったのだが、この件で大坂選手が深く傷つき、メンタルにダメージを負ったということなのだなと思った。

私自身はこの辺りまでは大坂選手を応援する気持ちが強かったし、このインタビューもなんだか気の毒だなというふうには思っていたのだけど、その後の彼女の活躍の中でそのことも忘れていった。しかし彼女自身にとっては決して忘れることのできない出来事だったのだろうと思う。

それ以来、彼女は鬱病を患っていたようだけど、その中でグランドスラムを何度も制覇し、今回の全仏に参加することになったが、そこで「記者会見拒否」の姿勢を見せ、一斉に大会主催者側やメディアに攻撃されることになった。

彼女は全米表彰式までのはにかみ屋である意味大和撫子的な雰囲気が影を潜め、どちらかというと強く自分を主張する、マッチョな雰囲気に変わっていき、そして昨年は破壊的・暴力的なBLM運動に対する支持を表明するなど、反差別やポリティカルコレクトネスのアイドルのような存在になっていき、その辺りでそうしたものに反発する人たちからの支持を失っていったように思う。私自身も、彼女がそういう方向でやっていくなら支持する気持ちはないな、という感じに彼女に対する感想は変わっていった。

しかし、彼女の鬱病の告白から考えると、こうした行動もまた彼女の必死な努力の表れだったのだろうなと思う。表彰式で涙を見せた繊細さについて、おそらくは「弱さ」の現れだと批判する人が彼女の周りに多かったのだろう。BLMへの支持や日本人(アメリカではアジア系)・ハイチ系アメリカ人(黒人)のルーツを持つ彼女がポリティカルコレクトネスの偶像のようになっていったのも、そういう「強者として振る舞うメンタル」を身につけようとする努力のあらわれで、今回のインタビュー拒否の姿勢もまたそうした必死さがそういう形で現れたのだろうなと思う。

彼女の棄権と告白によってスポーツ界を含む国際的な「世間」の流れは完全に変わり、選手のメンタルヘルスを重視する方向に動こうとしているのはいいことだと思う。

スポーツは「強さ」を競うものだから、メンタル的にも「強さ」を要求される。しかし、技に優れ、身体能力に優れているからといって、メンタルな面でも強いとは限らない。多くの選手がそうした中で、「強さを演じている」のが現状だろうと思う。

セリーナ・ウィリアムズ自身も全米において「コーチング」の警告に対し激昂したのも「繊細さ」の現れだと記事にも書いてあったが、彼女自身は「会見に晒されることで自分は強くなった」と言っている。逆に言えば、セリーナの「強さ」とは、「警告に対し激昂する」というような形で現れてしまっているのだと思う。

選手は「強さ」を標榜し、そしてインタビュアーは「見せかけの強さ」に対し嫉妬する人々を代表して辛辣な質問をぶつける。そういう意味のないやりとりがさらに選手のメンタルを削る。そしてそういう攻撃対象が、よりマイノリティの存在に向けられるのもまた否定し難いところはある。ウィリアムズ姉妹も白人優位のテニス界で出てきたときには相当なバッシングムードがあった。そして彼女らが実力で人気を獲得するとその権威はよりマイノリティ、アジア系の血を引く大坂へのバッシングを是とする方向に向くという悪循環になったのだと思う。

彼女に共感を表明している選手たちは、例えばジョコビッチはセルビア出身だ。セルビアは旧ユーゴ紛争で完全に悪者にされ、当時もサッカーのストイコビッチなどがそのことに抗議の意思を示していたことは記憶に新しいが、ジョコビッチ自身もそのことで批判的に、より明確な言い方をすれば悪意に晒されたことは少なくなかったに違いないと思う。他のスポーツで大坂への共感を表明したダルビッシュも、彼自身が「悪の枢軸」と名指しされているイランと日本のルーツを持つということも考えざるを得ないと思う。

彼女の会見拒否に制裁を科し、高額の罰金をかけた全仏オープンの主催者自身が大坂の告白を受けての会見で一方的に声明を読み上げ、メディアからの質問を拒否して退席したのは全くコメディで、自分がやれないことを人に強要するなよということになっている。こうした普段は「批判はするが攻撃はされない」ポジションの人がダブルスタンダードの行動をしてしまっていることは、最近の東京オリンピックをめぐる国際オリンピック委員会のスポーツ貴族=ぼったくり男爵たちの行動などを含め、国際スポーツをめぐる構造的な問題の存在を明らかにしていると言えるだろう。

報道番組をみていても鬱の告白の当初は「会見拒否」自体に対するメディアとしての感情的な反発が表現されていたように感じたが、国際的な雰囲気の変化を受けて手のひらを返したように大坂への支持を表明していて、相変わらずだなと思わされる。Twitter等で表明される意見はもっと酷いのだが、それは先ほど述べたBLM運動支持などに対する感情的な反発がまだ残っているのだろう。

これは一つには、スポーツの選手をある意味「商品」と見る考え方の影響だろう。芸能界などでもそうだが、タレントを商品とみなすか一人の人間として見るべきかという問題はまだ根強く残っていて、「スポーツ選手はプレイだけでなくインタビューなどの言説を含めて一つの商品なのでインタビュー拒否は商品たるべきスポーツ選手の職業的義務を果たしていない」という意見からの非難が多くみられるようだ。

そしてもう一つ考えなければいけないのは、異常な緊縮財政が続く中で、新自由主義・リストラ至上主義の猖獗が数十年続いている日本では、いわゆる「氷河期世代」を中心に多くの人々が「人材」という考えのもと「労働者は商品でありメンタルを損なって働けなくなるのは商品である労働者自身の責任」であるとか「自分は過酷な環境の中生き残ったので価値ある存在であり、生き残れなかったのは自己責任なので同情は無用」であるとか、「自分は過酷な状況の中で同情もされず結婚もできず低収入で暮らしている。そういう弱肉強食の世界なのだから「強者」が少しメンタルを損なったからといって同情されるのはおかしい。まず自分たちに同情すべきだ」というような考え方を持つようになっているということがあるだろう。

私などから見ると、そこまで他人に厳しくなるのもちょっとどうかと思うし、まずは弱者はもちろんだけど強者にも同情される資格はあると思う。というか、どんな人間でも同情されるに値する、というのは当然だと思う。

当然、「スポーツ選手のメンタルケアの問題」だけで話がスルーされ、「底辺」の自分たちに対する配慮は全く変わらないだろうという人々の絶望感はきちんと受け止めるべきだと思う。それは日本の政治の問題であり、金融政策だけでなく財政政策も駆使して社会的な不平等を是正する方向で進まなければならないと思う。

ただ、だからと言って「スポーツ選手のメンタルケアの問題」がこのまま放置されていいという話はおかしいわけで、大坂選手の問題提起は大きな意味があったと思う。

もし本当に構造的な問題があるとしたら、それは「そもそも問題提起をできるのは強者だけである」という冷厳な事実がいまだに変わっていないことだろう。メンタルの問題を提起できたのも大坂選手がトッププレイヤーであるということは大きいし、また黒人の社会的な待遇問題が提起できたのも、Black Lives Matterの問題提起に成功し、大きな勢力を得られたことが大きい。Twitterで不遇をかこち、恨み言を述べているだけでは全然問題が掬い上げられないわけである。Twitterでそういう「強者による問題提起」について同情心が全く盛り上がらない現象は、そういうところに由来しているのだと思う。

しかしこの辺りは難しい。弱者探しをしている職業運動家のような人たちが弱者を食い物にしている場面も実に多いわけで、誰かに救ってもらえるのを待っていても利用されるだけに終わる場合が多いという問題があることも否定できない。また、男性・中高年のような属性が運動家や世間から同情を得られにくい人々の苦しい境遇は取り上げられにくいという問題もある。

これらはまた別の大きな問題だが、実際のところは経済政策によって、もっと実効性のある景気刺激策・産業振興策・研究開発促進策を強い意思を持った財政出動によって実現していくことが、かなり広範な範囲で苦境にある人たちを救済していくことができるし、そうした政策の結果社会に余裕ができて来ればまたそうした政策では救われない人々をなんとかしようという社会的合意も形成されていくだろうと思う。

ただそこまでいうと話が大きくなりすぎるから、今回の問題に関しては、「誰にでも同情される資格はある」ということでまとめておきたいと思う。

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