負け試合の最後の打者:「おおきく振りかぶって」を読んでいる

Posted at 21/05/17




ひぐちアサ「おおきく振りかぶって」を読んでいる。この作品は、野球部がなかった県立高校で、野球部を復活させた女性監督のもと、10人の一年生部員たちが全国制覇を目指して頑張るストーリーだ。

舞台となったのは作者の出身校の埼玉県立浦和西高校と言われていて、ここは「エースをねらえ!」の作者・山本鈴美香の出身校でもあるために、「エースをねらえ!」の舞台だとも言われていて、いろいろと蘊蓄はあるのだが、とりあえずそれは抜きにして、ストーリーについて書いてみたい。

10人の一年生のうち9人は経験者、1人は初心者という設定で、当然ながらレギュラーになるのは経験者の9人なのだが、厳しい練習と彼らの力を引き出す監督の采配、傑出した三塁手と彼にコンプレックスを持つ大型センターのキャプテン、コミュ障のピッチャーのいいところを引き出すキャッチャーなどの活躍で、どんどん勝ち進んでいく。

しかし、当然ながら高校野球は一度負けたらその大会は終了なので、優勝しない以上は負けることでその大会は終わることになる。練習試合を除けばこれまでの大会は夏の全国大会埼玉県予選、新人戦とそれに続く秋の大会、そして現在はさいたま市になっている浦和・大宮・与野・岩槻の四市の高校の大会である四市大会(作中ではそれぞれ架空の市の名前が与えられている)の三つである。

練習試合ではほとんど勝っているので、負け試合というのは全部でこの三つということになる。そしてこの三つの負け試合がそれぞれとても印象的なのだが、その印象は、最後のバッターの場面がとてもよく描けていることが大きいと思った。
最初の大会になった一年生の夏の全国選手権大会の埼玉県予選は初戦の2回戦で前年の優勝校にサヨナラ勝ち、3回戦ではコールド勝ち、4回戦でも順調に勝って、ベスト16に進む。5回戦では相手校に徹底的に研究されるという初めての経験をし、不動のキャッチャー・阿部が負傷、傑出した三塁手の田島が代役を務め、目覚めたピッチャーの三橋も頑張るが、いかんせん力負けを喫しそうになる。最終回は6点差をつけられたもののなんとか1点を返すが、二死三塁で安倍の代わりに出場した初心者の西広の打席になる。

三橋をはじめ、選手たちも応援団も大声を出して応援するが、肝心の西広は平常心にもなれないまま「あたれ 当たってくれ」と祈るばかり。そして三球三振を喫し、試合終了。本塁横で礼をした後、選手たちはスタンドの前に挨拶に行くが、西広はそこで下をむき、泣き崩れてしまい、キャプテンたちに抱えられてその場を去る。

ベンチに戻った選手たちに監督はいう。

「今日はこのチームの総力戦だったね。そして負けた。もっと打てればもっと走れれば、自分にもっと力があれば!技があれば!全員がそう思ったよね!」「はい!」「なら泣いて悔しさ晴らすなんてもったいないことしない!その悔しさは自分を鍛えるエネルギーだよ!大事に腹ン中ためときなさい!」

ここで全員一気に前向きになるところがすごいのだが、それにしても初心者には過酷な打席だった。そして、「全員が」というけれども、この言葉が主に向けられたのは西広だったのは間違いない。

この場面は、「一年生10人のチーム」の限界をまざまざと見せつけられる場面でもあり、逆に言えばそういう過酷な場面にさえ「初心者が立ち会える」という意味では稀有な場面でもあり、高校野球というものの面白さが凝縮された場面でもあると思った。(14巻)
二度目の負け試合は秋の大会である。負傷した阿部の回復を待つために秋大会でのシードをかけて新人戦で全勝し、秋大会の地区大会も勝ち抜いて、県大会に進むが、そこで当たったのは埼玉県の第二シードの名門校だった。

この試合も西浦は健闘し、5回までは4対3でリードするが、6回に8点を入れられ、コールドの瀬戸際に。そして6回裏から出てきたのが県下「最高の」投手の一人。6番はショートゴロに倒れ、以下7番から7回裏の2番まで全員三振。本当に文字通り手も足も出ない、という形でコールドゲームになって試合終了。「実力の差」というものをまざまざと見せつけられる終わり方だったが、試合終了後のミーティングでは「この高校みたいにならなれる」というキャプテンの力強い言葉で未来が見える、という感じで終わった。(26巻)


 

そしてやはり一番へえっと思ったのは四市大会の崎玉高校高校戦。夏の大会でコールドを食らった崎玉高校は西浦へのリベンジのために徹底的に研究しただけでなく、実力を徹底的に隠して試合に臨み、西浦を攻略していく。崎玉の狙いは「コールド勝ち」でのリベンジだったがようやくそれを乗り切り、7回に5点をとって追いつくが、その後のシーソーゲームの結果、9回裏はサードのホームスチールで一点差とするが、スクイズ失敗で2アウト満塁の場面、2番は外角低めを見逃して三振し、ゲームセットとなる。

そしてこの後、サードの提案で西浦ナインは崎玉高校のメンバーと一緒に食事をするという展開になる。ここは流石に意外だった。提案する方もする方だが、受ける方も受ける方という感じ。しかし今の高校野球というのはそういう感じなんだろうか。この辺は少し驚いた。

この食事の場面では最後の打者の見逃し三振からストライクゾーンを巡る議論が始まるのだが、これは32巻を読んでいただけると良いかと思う。またその後もいろいろな情報交換が行われ、ヒントを得ていく。

この場面に象徴されるのだけど、今までは高校野球漫画で「強くなりたい」「全国制覇したい」というと厳しい練習で根性で掴み取る、あるいは才能を開花させて勝つ、みたいな感じになっていたのだけど、この作品ではとにかく徹底的に「勝つための情報を集め、それを検討し、練習に取り入れて実戦に生かす」ということが行われている。監督自身もそうだし、顧問の先生もメンタルトレーニングの面で強い影響を及ぼすし、甲子園に観戦に行く際には関西の強豪校との合同練習を行ったり、監督の父の東京の強豪校出身のコーチをピッチング指導に呼んだりと、その辺りはすごい。

そして一番すごいのは入試の試験休み中に神奈川の強豪校を選手とマネージャー、つまり生徒たちだけで手分けして見学に回るところで、現在はそこから得たことを練習に生かしていく展開になっている。現在は35巻相当のところが進んでいるけれども、中身の濃い展開になっている。

まあ話がずれたが、それぞれの三つの敗戦の最後のバッターの場面はそれぞれに印象的で、しかも中軸でない、初心者や気弱な選手がその役割を担っている。今まで読んできた作品では「負ける」場面では主人公かそれに近い選手が三振か凡退するなどして悔しさを表現するわけだけど、それだと単なる青春の1ページだが、「弱い打者が手も足も出ずに三振する」というところで試合が終わるところがこの作品の一つの魅力、なのだと思う。残酷な場面は強打者にだけ回ってくるわけではない。弱いからこそ手も足も出ずに負ける。そしてそこから立ち上がるのは、メンタルの強さだけではなくて、冷静な弱点分析による課題の設定、そして次の目標をチーム全体で設定するリーダーシップが示されていて、その辺りにこの作品の新しさを感じている。

最後の見逃し三振の場面はストライクゾーンに対する知識の不足が見逃しの原因になってしまったわけで、最初の二つの敗戦とはまた違う意味が出ていているのも興味深い。そうはいっても最初の頃の展開(前年の優勝校に勝つあたり)はどちらかというと「高校球児の熱さ」みたいなものがかなり全面に出ていたのだけど、先に進めば進むほど単純なスポーツ根性漫画ではなくなっていくところがこの作品の魅力になっているなと思う。


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by Luke Peterson

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