政府のコロナ対策の一番の問題点はなんだったのか

Posted at 21/05/10

私は基本的に国の新型コロナ対策は支持してきたのだけど、最近になってちょっと考えが変わったところがある。

それは国の対策が不手際だとか経済対策が遅延しているとかいうことではなくて、まあそういうところももちろんもっとやれないかとは思うけれども、一番肝心なところがちょっと抜けてたんじゃないかなという気がしてきたのだ。

それはどういうことかというと、東日本大震災のことを考えてみた時、またそれについてのツイートを読んで思ったことなのだけど、ああいう災害の時は、「こういう危険が迫っています」ということと同時に、「落ち着いて行動してください」というメッセージを必ず送るよな、ということなのだ。

東日本大震災の時の政府の失敗の一つは、菅首相が慌てて福島第一原発にすっ飛んでいったこと。行ったからと言ってどうにもなるわけはないのに、自分が原子力の専門家であるという自負があったからなのか、頭越しで現場の指揮をしようとしたのは、国民に動揺と不信を与えたと思う。

また、枝野官房長官は毎日ずっと政府の情報を発信していたのは良かったが、「直ちに危険とは言えない」というような曖昧な言説が多く、官僚的な(つまり政治的でない)発言に終始したのは残念だった。

今度の新型コロナのパンデミックで言えば、発信すべきは「危険である」ということ、そして「落ち着いて行動し、皆で危機を乗り越えよう」ということだったと思う。

この「皆で」というのが大事なところで、こういうことはいざという時に政治が言うしかないことだ。

従来の対策に関しても、もちろん財務省が十分にお金を出さないということがどこの点においてもかなりのネックになっている。医療者に対する給付も、事業者や労働者に対する給付も、どんどん迅速に行うべきだし、ワクチンの接種計画も市町村に丸投げではなく国でプロトタイプを作ってどんどん自治体に流していくべきだっただろう。供給すべきはワクチンだけではない。政治家や中央官庁が普段威張っているのはこういう時にリーダーシップを取れるからであるはずで、それができないということは鼎の軽重が問われているというべきだろう。

そういう意味で不十分なことはあるにしても、それでも自分としては政府を非難したり攻撃したりするつもりはないし、批判的なことを書くにしても建設的に反映されることを望んでいるに過ぎない。

しかし、今になって思うのは、コロナ禍が長引くことによって本当に世間の雰囲気が悪くなってきたことだ。こういう時に政府が「落ち着いて慎重に常識的に行動し、この困難を国民全体で乗り切っていこう」と訴えることがどうしても必要だと思う。

専門家が専門家の立場から危機を訴え、医療現場に配慮を求め、経済の専門家が経済の危機についての主張をし、政府に財政出動を求めることなどは当然のことだが、政治はその二つの危機感をただ垂れ流せばいいと言うものではない。まず「現在はこう言う差し迫った二つの危機がある」と言うことを率直に認めてそれを国民に伝え、「政府としてはこういう方針である」という具体的な政府としての行動を述べ、その上で「現在の状況は国民に協力を求めなければならない状況なので、このようなことに関して自粛等の協力をしてほしい」と求めた上で、「ある程度の犠牲は出てしまうかもしれないが犠牲を最小限にするために政府として最善の努力をする。そして政府の努力と国民の協力があればこの危機は必ず乗り越えられる。国民一人一人の慎重で常識的な行動をぜひお願いしたい」というべきだろう。

もちろん、掛け声だけでなく内実を充実させていき、それによって国民を納得させていくことが不可欠ではあるのだが、「自分たちは何にどう協力すればいいのか、どう行動すればいいのか」ということをまず納得させることが大事で、恐らくは欧米の指導者がこのあたりで、現実には悲惨な感染拡大状況にあっても支持を得られているのは、そうした言葉の力を使えるからなのだと思う。

政府のコロナ対策で何が欠けているのかということを考えた時、ここが一番足りないのだなということを最近になって強く感じた。要するにつまりはそれがリーダーシップというものなのだと思う。

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