マンガ【推しの子】が面白い:アクアの演技はどう開花するのか(42話)

Posted at 21/05/08

今日はマンガの話を。
今、一番楽しみにしている作品の一つが週刊ヤングジャンプ連載の「【推しの子】」だ。原作が「かぐや様は告らせたい」の赤坂アカ、作画が「クズの本懐」の横槍メンゴという組み合わせ。芸能界を舞台にしていて、16歳のアイドル・アイの子供(隠し子)として「過去生の記憶を持って転生」した男女の双子が本編の主人公になっている。この双子は若手男性医師と若くして死んだその患者の少女の転生で、二人ともアイドル・アイを推す熱烈なファン(というかドルオタ)という設定。まさに「推し」の「子」として転生した二人の物語である。以下、ストーリーの機密に触れる部分もあるので未読の方で【ネタバレ】を忌避したい方はここまでにしてください。

第1巻はプロローグ。彼らの転生の顛末から、アイドル・アイの隠し子として過ごした二人の幼少時代。主に男の子・アクアの目線で語られるが、時折現れるアイの屈折した心情が描写される部分が、心に刺さる。1巻のラストでアイは思いがけない死を迎えるが、その死について考えたアクアは「隠されている自分たちの父親」こそがアイを殺した本当の犯人であると考え、復讐を誓う。芸能界の内部にいるであろうその犯人に近づくため、アクアは「役者」としての道を選び、双子の妹・ルビーは純粋に「アイのようなアイドル」になることを目指して歩みを始める。

その後の展開を概観すると、第2巻は「芸能界」編、第3巻は「恋愛リアリティーショー」編、そしてこれから発売される第4巻は前巻の続きからアイドルデビューの「ファーストステージ編」となり、現在展開中の第5巻相当部分は「2.5次元舞台」編となっている。アイドル、リアリティショー、2.5次元と、芸能界の「いま」にトライする非常に意欲的な作品であることがここからわかると思う。

第2巻以降はまっすぐにアイドルを目指すルビーと、自分の役者としての才能に見切りをつけ、ルビーがアイドルになることとアイの復讐のためにアイの関係者たちに接近を図るアクアが対比されて描かれて行く。




陽のルビーと陰のアクア。しかしここで物語を大きく動かす存在が現れる。元天才子役・有馬かなである。かなはプロローグ編でアクアの共演者として登場し、そこでは「10秒で泣ける天才子役」としてもてはやされていたが、ルビーには「重曹を舐める天才子役」といじられ、自信を持っていた演技も転生を生かしたアクアの芝居に鼻っ柱を折られてしまい、彼らのことが強く印象に残ってしまうことになる。


第2巻で再登場したかなは昔日の面影もどこへやら、努力する天才ぶりを見せてはいるが一向に評価を得られず、苦しんでいるところで2人と再会する。かなは久々の主演作となったネットドラマでの共演をアクアに持ちかけ、アクアはそのプロデューサーがアイの関係者であることに気づいて出演を承諾する。そしてこのドラマはアクアが出た最終回だけ成功をおさめ、界隈で話題になり、かなはアクアに恋してしまう。

こうしたエピソードから有馬かなはネットで「重曹ちゃん」「重曹先輩」などと呼ばれ、そのツンデレと作画の力の入った可愛らしさから一躍作中第一位の人気を獲得し(人気投票等があるわけではないがSNSやPIXIVで取り上げられているのも圧倒的に彼女だ)、その後もアクアの説得でアイドルになることを承諾するなど、2人と深く関わっていくことになる。

そしてもう一人、作中で重要なポジションが与えられているのが黒川あかねである。あかねは恋愛リアリティショーでアクアと共演し、番組中で共演の女子にけがを負わせ、それをきっかけにSNSで大炎上することになる。自殺寸前のところをアクアに助けられ、義憤に駆られたアクアがオフショット動画を作成して世論を味方につけることで状況を劇的に改善したことから、あかねもアクアに好意を持つことになる。

現在展開している第5章「2.5次元舞台編」はこの三人、星野アクア・有馬かな・黒川あかねが一堂に会する舞台である。「2.5次元」とは、「人気マンガ(2次元)の舞台(3次元)化」ということでマンガのキャラ達を役者が演じる舞台を指す。この舞台の原作のストーリーは架空の作品なので、まだわからないところが多い。2021年5月6日発売のヤンジャン23号の時点で分かっていることはこの三人の役名とあかねがアクアの恋人役、かながアクアの相棒役ということ、そして若き天才役者と目される姫川大輝が主役を演じ、かなは姫川と同じグループに、アクアとあかねが対抗・抗争するもう一方のグループに属するということくらいである。

構図としては、姫川とあかねが属する劇団ララライの主宰・演出である金田一がこの舞台化を引き受け、かなが主演したドラマや恋愛リアリティショーのプロデューサーである鏑木が劇団外のキャストとしてアクアやかなたちを送りこんだということになる。アクアは鏑木から「アイが変わったきっかけ」が劇団ララライにあったらしいことを聞き、この舞台に参加することを決めたわけだが、鏑木には過去の天才子役・有馬かなと現在の天才女優・黒川あかねを競わせるというある意味えぐい(つまり魅力的な)企画意図もそこにはあった。

こうした背景のもとに始まったのが23号の42話「読み合わせ」である。長大に書いてしまったが、実はここまでが前振りである。マンガで「ここが良かった」と説明するのが大変なのはこういうところなのだが、まあこういうことを語れるというのもマンガ読みの幸せではあるので、自業自得である。「得」であるところがポイントである。

「読み合わせ」は「本読み」とも言う。本来は「本読み」は劇作者がキャストスタッフの前で自分で脚本を読むことであり、「読み合わせ」は台本を持ったまま役者が自分のセリフを読んで他の役者と合わせることを言う。したがってこの「読み合わせ」は始めて顔を合わせた役者たちが皆で台本を読む、つまりその舞台の「最初の稽古」であると考えていい。

アクアはそつなく読み合わせをこなし、あかねは役に憑依した状態で臨むがあかねに関しては今回は特段なことは起こらなかった。起こったのはかなに関してである。

普通に手堅い演技をするかなに対し、才能の片鱗を見せる主役の姫川が「遠慮しなくていいから」と言う。それを聞いて満足そうな顔をしたかなは、姫川とともにいきなり強烈な演技合戦を展開する。それはあかねを動揺させ、そしてアクアの表情も変わる。稽古終了後、姫川はかなを飯に誘い、かなは上機嫌な顔をして「ききたいことがたくさんある!」と誘いに応じる。

私も演劇をやっていたので、演技というものや役者というものの生態というものはある程度は理解できるのだが、このあたりの展開は迫真だった。最近話題になった演劇マンガと言えば不祥事で中断してしまった「アクタージュ」があったが、あの主人公の夜凪景は憑依型の天才役者であり、この作品で言えば黒川あかねが同じタイプの天才である。

あかねが「アイのようなタイプが好きなアクアに気に入られるように」とアイのプロファイルをしている場面は圧巻で、ものすごい洞察力が描写されている。これだけで役の性根がつかめるというのは誰にでも出来ることではないのだが、あかねはアイを研究した結果「隠し子がいる」という「設定」を足して「アイの子供」であるアクアを驚かせ、アクアさえ知らなかったアイの真実に迫るという鬼才ぶりを発揮し、その才能は自分の「復讐」に役立つと考えたアクアをして「番組展開上の恋人」になることを選択させたわけである。

そんな天才であるあかねさえ驚かせたかなの演技は、おそらくは「演技に情熱の無い」アクアを変えることになるだろうと思われる。

アクアの演技は手堅いが、あまり面白みのない演技だと自分も他人も評価している。かなの主演ドラマでは雨漏りで出来た水たまりや照明の逆光、相手役を挑発することなどによって演技以外の部分でリアリティを高めて成功した、という経緯があった。こうした方向性では姫川やかなのような「真の天才」に対抗することは不可能だ、ということは読者としてもよくわかる。

思えばここまでのアクアの役者としての成功は、子役時代のかなの鼻っ柱を負った演技は「転生した」ゆえの「大人の態度が出来る子供」というものであり、先のドラマでは上記のようなこと、リアリティショーでは演技以外の部分での手腕による成功だったわけで、「本当の意味での演技による勝負」はまだいちどもない。だから、これはアクアにとっては初めての「役者としての本当の試練」ということになるだろう。今まではどうにもならないドラマを見られるようにする、あるいはトラブルを解決するといったマイナスをゼロに近づけるような力量の発揮の仕方だったが、今回は素晴らしいキャストに金のかかった舞台と言うことで、ベストな状況だけに本当の力が問われるわけである。その意味で、今回はかなり先が楽しみになってくる展開だった。

「演技に情熱はない」というアクアだが、「未来」のインタビュー場面では「僕の演技に感動してくれる人」という表現をしているので、役者として成長していることは間違いない。問題はどのような方向に成長しているかということになる。

そのヒントになる場面も、今までいくつか出てきている。

アクアが周りを見てきちんとした演技が出来ることは今までも語られれているが、そのままではバイプレイヤーとして有能だ、ということに終わってしまう。かなの演技にあかねが驚いたのは、「あんな身勝手な、自分を見ろというような演技」が出来ているということだった。周りに合わせているだけでは、そういう突出した演技は決して出来ない。

それ以外でヒントになっているのは、一つは子役時代の演技だ。アクアはかなの演技を見て、「上手い」と思った。同じように演技をしても、レベルの違いがはっきりするだけだ。しかし、自分の役は監督の求めによって急に増やされたものであり、自分は素で演技をすればいい、つまり「素のままでお前は十分気持ち悪い」と監督の意図を読み、そのように「演技」をする。それによってかなはその演技に驚くわけである。

だから一つには、監督、演劇の場合は演出だが、その意図を読み取った演技をするという方向性が一つあるということは言える。ただ、ここまで「演出の意図」は明確に示されてはいない。制作側の意図としてはアクアとあかねが「つきあっている」というのを利用しようというのは示されているが、そこは既にあからさまになっているのであまり関係ないだろう。

もう一つヒントになっているのが、いままでの「演技の場面」以外での演技だ。アクアが演技の場面以外で演技をしているのは何箇所かある、というかアクアは基本的に「何重にも自分自身を隠す」ということをやっているので、全てが演技であるとさえ言えるのだが、特にはっきり言えるのはルビーがオーディションを受けた時に不合格と言うニセの電話をかける場面がある。このときは「実の妹をだませるんだからたいしたものだ」みたいなことを言われている。

もうひとつは「ファーストステージ編」でルビーやかなたちに覆面ユーチューバーのフリをしてレッスンをつけている場面である。明らかに体格が違うのにみんなそれに騙されていて、電話で連絡したユーチューバーに「ショックだな」と言われているのである。

これはつまり、あとでバレてからかなにいじられることになるように、「物まねが上手い」ということである。これは単純なことだと思われるかもしれないが、能の世阿弥が「花伝書」、つまり奥義を伝える本に「物まねが演技の根本」と書いているくらい、実は重要なことである。おそらくはそちらの方向で、アクアの演技は開花していくのではないかという気がする。

それにしてもこの作品は面白い。上に書いたことも現在の状況説明に必要な最低限のことだけなので、他にも魅力的なキャラはいるし印象的な場面も多い。

マンガについていろいろ書くのは難しい面もあるのだが、もしこの文を読んでこの作品を読んでみようという気になってもらえれば、筆者としても大変嬉しい。布教成功である。

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by Luke Peterson

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