「近代の呪い」を読んで(1):国家・システムによる民衆・個人の「自立性の消失」と「保守主義」について

Posted at 21/02/22

「保守主義とは何か」を読んで、自分にとって「保守主義」について考えることはとても面白く、自分が何か仕事というものを残せるとしたらこういう話についてではないかと思い出して、保守主義関係の本を少し集めたりしているのだが、元々自分の気質としてあっちこっちにいきながらも大きな道に帰って来たいというような、つまりは「放蕩息子の帰還」みたいなところが自分にもあるのかなという感じがあり、ただ帰ってくるべき保守思想みたいなものは未だ日本では確立されてない感じがあるから、その辺については地図を書きながら色々なものを読み、ものを考え、発信しつつ、知見を広げ、考えを進めて、生きてるうちには何かしっかりした書物のようなものにまとめられるといいかなという感じがしている。
保守主義の母国は宇野重規さんのいうようにイギリスで、それが今日世界的な影響力を持つようになったのはアメリカの保守主義の力が大きいわけだけど、イギリスでいうところの保守主義とアメリカでいうところの保守主義は結構違うところがあるし、それはフランスにおける保守主義や、もちろん日本における保守主義とも違うところがある。

ロシアやドイツ、中国などのように全体主義を経験した社会における保守主義がどういうものであるか、というか中国に保守主義というものが存在し得るのかという問題もあるが、日本の保守主義というものを考える上で伝統というものは避けて通れず、またそれは江戸時代以前の前近代との関わりを考えなければあまり意味がないので、その辺について今考えるには、まずは渡辺京二さんの本を読むことだなと思って、「近代の呪い」(平凡社新書、2013)を読み始めた。

近代の呪い (平凡社新書 700)
渡辺 京二
平凡社
2015-06-09



これは熊本大学における講演を中心にまとめたもののようで、講演が行われたのが2010-11年、それから10年経って状況が変わったところもますます進んでいるところもあるが、基本的には「現代」に属する時間の中で話された内容ということになる。

今日は「第一話 近代と国民国家 ー自立的民衆世界が消えた」について読んだこと、考えたことについて書いてみたい。

日本史は近世(江戸時代)と近代(明治以降)、西洋史ではアーリーモダン(ルネサンス以降)とモダンプロパー(フランス革命以後)に分かれるけれども、いずれも19世紀以後の近代の本質は何かというと、国民国家の形成ではないかという。そして国民国家の形成の本質は何かというと、「自立した民衆世界の解体」ではないかと渡辺さんはいう。

自由党史 上 (岩波文庫 青 105-1)
佐藤 誠朗
岩波書店
1957-03-25



江戸時代の例として戊辰戦争で会津藩の戦いの中で敗戦した武士たちから鎧を剥ぎ取った農民たちの話は「自由党史」にも出ていて板垣退助がショックを受けたことは有名だが、下関戦争の際も長州の民衆は外国艦隊の弾運びをした話があるそうだ。また、長谷川伸の「足尾久兵衛の懺悔」という聞書に基づいて書かれたと思われる作品に、博徒の久兵衛たちにとっては安政の大獄も「とうまる籠騒動」にすぎず、幕末維新の大騒動も自分たちにとっては関係のない話だったという述懐が取り上げられていて、つまりは江戸時代の民衆は「自立した民衆世界」の中で生きていて、上級権力とは無縁の生き方をしていた、とする。
それが日露戦争の時には国家のために進んで死ぬ兵士の力でついにロシアを打ち破り、その出征風景を辛亥革命の闘志だった中国人の女性、秋瑾がみて感動するまでになったと。つまりはわずか数十年の間に「民衆」は「国民」になり、近代国家の手によって「自立した民衆世界」は解体された、としている。

そしてその「解体度合い」はさらに高まっていて、現代では教育にしても人権にしても福祉にしても国家がなけれれば成り立たないようになっていて、それを支えるために「近代的な知識人」が養成され、多くの「専門的知識」を持った知識人たちが「無知蒙昧な」民衆を教育・啓蒙し、ついには「国民国家・近代国家」と運命を重ねざるを得ない、つまり近代国家がなければ生きていけないし、ある意味近代国家のために生きている「国民」として生きるようになった、としている。

それを支えている「知識人=インテリゲンツィア」は「社会に対する道徳的責務を自覚する人」という特性を持っているとしている。この辺はとてもよくわかるし、Twitterを見ていても無知蒙昧なTwitter民に色々ご高説をご教授してくれる有難い存在であるし、また自分もそういうところがないかと言えばなくはないわけなので、ああつまりは私は「近代的知識人」の一員なのだなと思う。逆に言えば、官僚なり学者なり医師なり自分の職務上そういうものを「演じなければならない」とは違って、無意識に自分の存在をそのように規定している私などの方がかなりの具合で病膏肓に入っていることは間違い無いだろうなと思う。これも業の一種だろう。

まあそれはともかく、近代の本質は「民衆世界の自立性の解体」にあり、「民衆を啓蒙して国家と運命を共にさせる」ために「知識人」が力を尽くすという構造自体はなるほどなと思ったし、また渡辺さん自身はそういう国家の過保護からなるべく自立していたいという思いを持っている、というのはなるほどなと思った。これもまた「医療システムに自分が強制される」のではなく「自分が医療システムを選び取る」ようにしたいと思っている私などにはよくわかる。まあ新型コロナの予防策や終息に対して国家・社会が遂行しようとしているマスク着用やワクチン接種には「協力」はしようと思っているけれども、あくまで「強制ではなく自分の選択として」それをやりたいという程度の自立性は維持したいと思っているわけだ。

この辺りのところ、「江戸時代の民衆世界の自立性」に関しては、「十八史略」に出てくる「鼓腹撃壌」のエピソードを思い起こさせる。民衆を徳化(つまり啓蒙)しようとする儒家のいわば近代主義を批判する道家の「無為自然」を強調するエピソードであると判断すると、これが現代の高校教育の漢文でも取り上げられているということは、日本現代にもある意味で「民衆世界の自立性」を良しとする思想、少なくともノスタルジーがあると判断できる。

十八史略 (講談社学術文庫)
竹内弘行
講談社
2015-01-16

 

また、国家や「知識人」の「民衆」に対する役割がどんどん大きくなって、福祉政策や人権に対しても「知識人」の主張が国家に取り入れられ、それが政策化して民衆に押し付けられていくことの窮屈さは、「ポリティカルコレクトネス」の主張や「フェミニスト」の手による「表現を規制しようという動き」に強く現れているから、Twitter上などでも「自由・自立性」を重視する人々によって盛んに議論されているが、「クレジットカードの決済会社が成人向け同人誌の決済を行わない」という動きによって「同人詩的表現」が兵糧攻めに合うという事態が現れるに及んで、国家外のシステムである「民間会社による事実上の表現規制」が行われるという新しい事態も起こって来ている。これに関しては、ドイツのメルケル首相がTwitter社などアメリカの大手SNSがトランプ大統領のアカウントを削除したことに強く懸念を示し、「国家以外のシステムが表現を規制することは認められない」というコメントを出している。

逆に言えば「民間が民間を規制する」「民間同士が殴り合う」というのは前近代なのかポストモダンなのかわからない事態ではあるが、「啓蒙的知識人」の影響力によってそれが行われているというのはやはり近代以降の現象と考えるべきなのだと思う。

システムからの個人の自立に関しては、Twitter上でfinalventさんが書いていたのだが、「私の幸福に承認は不要です」という言葉がこうした国家やシステムの「庇護」からの自立の宣言ではあるわけだけど、たとえばディケンズには「福祉に捕まることを恐れて放浪の旅に出たおばあさん」の話があって、モダンプロパーの初期にもやはりそうしたものからの自立をこういう形で成し遂げたいと考えた人がいたということがわかる。

さて、それでそういうわけで渡辺さんのいうことは渡辺さんのいうこととしてよくわかるのだけど、それでは渡辺さんの考え方は「保守主義」であるかどうかを考えてみる。「保守主義」は英米由来の考え方であることもあるのだけど、つまりは「自由」を価値とする。「民衆の自由」「個人の自由」というものと「民衆世界の自立」「個人の自立」というものが、どこまで重なりどこが違うのか、ということになる。
バークがフランス革命を強く否定したのは「伝統に基づかない抽象的な理念で国家を建設しようとすること」に対する反対だった。伝統とは何か、ということについてバークは「国家と暖炉と墓標と祭壇」を強調するのだが、それを考えると一見渡辺さんの考えとはかなりかけ離れているような感じがする。それを考えるために、まずこの言葉を日本の実態について当てはめて考えてみたいと思う。

まずは国家なのだが、江戸時代における民衆世界においての「国家」は多くの場合は日本ではなく「藩」であっただろう。その「藩」に対する民衆のフリーダムさを渡辺さんはあげていて、それはそれでそういう一面がなくはなかったと思うけれども、一方では版籍奉還や廃藩置県で藩主がその地を去って東京に行くことになった時、多くの藩で民衆が見送りに集まったり、場合によっては藩主を引き止めようとして一揆を起こすなど、強い反発があったりもした。渡辺さんの例に出て来た「長州」や「会津」は300余藩の中でもかなり特殊な藩であったことは確かだ。長州は藩士までが貧しかったことはよく知られているが、会津は藩士教育は行き届いていたように言われているけれども、大規模な一揆は起こっていて、かなりの強硬な支配が行われていた感もある。

大菩薩峠(全巻) 改版
中里介山
2014-01-01



また、足尾久兵衛に関しても博徒であるし、よく取り上げられる江戸の町人のフリーダムさも江戸のような大都会であるから、ということもあるだろうし、また「大菩薩峠」に出てくる非人の男女がその土地から去ってしまい、駒井能登守の側室になるがそれをきっかけに駒井も船頭に身を落とす、というような下りがあるけれども、中里介山も「こうした手合いはしがらみにとらわれないで自由だ」みたいなことを書いていて、やはり一般の常民、百姓たちがそんなに「国家・藩から自立した世界」を持っていたかというとそれはちょっと疑問だなという気がした。

実際には例えば新田開発などは藩主の許可を受け、藩主の花押入りのその許可状が権威となって実行された事業であることが普通であったと思われるし、(諏訪高島藩では少なくともそうだ)国家=藩との関わりが「完全に自立していた」と言えるかどうかはどうかなと思う。少なくともバークがいうくらいの国家の役割はあったのではないかという気がする。

 

また「暖炉」ということで言えば、日本では囲炉裏、近代は炬燵的なイメージがあるが、やはりそういうものを中心にした家族というものが重要性は持っていたと思う(トッドの研究に従えば家族類型に関しては違うが)し、墓標や祭壇に関しても寺や祭礼を中心とした村の結束のようなものがあって、それらを守ろうという運動は現代でも残っている。

世界の多様性 家族構造と近代性
エマニュエル・トッド
藤原書店
2008-09-20

 

違うのは「個人の自由」のイメージであるが、これは家族形態の違いとも関わるので、どれだけそこに力点を置くかは、突き詰めていけば当然問題になるのだけど、そこをある程度捨象して考えることで保守主義の共通した枠組みは描けるような気はする。

まずはそういう感じでこの本の第1章を読んでみた。特に「自立」と「自由」についてはいろいろ考えるべきことがあるのだが、とりあえずの読みと感想、考えたことのまとめとして書いておきたい。









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