茅野駅は茅野にない

Posted at 20/09/28

地元ネタを少し。

現在の茅野市は「ちの町」と周辺の村々、宮川村・金沢村・玉川村・湖東村・豊平村・米沢村・北山村が昭和30年に合併して茅野町になり、それが昭和33年に市制を施行して茅野市になったのだが、合併前の「ちの町」が平仮名の名前であるのはちょっと理由がある。

この「ちの町」という町名は昭和23年に永明村が町制を試行して名前も「ちの」に改められて成立した町なわけだが、この名前は中央本線の「茅野駅」に由来する。普通は地名から駅名がつけられるわけだが、「ちの町」に関しては駅名が先行なのだ。駅名は漢字なのに町名が平仮名になったのはなぜかというと、実は「茅野」というのは他の場所だったからなのだ。

中央本線の茅野駅ができたのは中央東線が岡谷まで開通した明治38年なのだが、この時に上川を挟んで駅を永明村塚原に置くか、宮川村茅野に置くかで揉めたのだ。永明村は明治7年に合併で成立する前の旧矢ヶ崎村が中心で、鉄道が通るのはそこよりかなり南であり、また上川を挟んだ宮川村の旧茅野村も商業的には栄えていた。この両者でどちらに駅が置かれるか揉めた結果、永明村に駅が置かれ、駅名は「茅野」になったのだ。だから茅野駅は茅野でない場所にあることになってしまった。

これは上諏訪駅が当時の上諏訪町の商業的中心地である角間町・清水町の周辺ではなく、当時は低湿地だった諏訪湖近くの現在の上諏訪駅に置かれたのと同じように、鉄道が敬遠されたということがあったようだ。

ところが、上諏訪駅もそうだが茅野駅周辺も鉄道開通後は飛躍的な発展を遂げる。茅野駅周辺は八ヶ岳山麓の村々(山浦と総称)から下りてくる人たちで賑わう商業的中心地になり、また観光産業が興ると諏訪大社や八ヶ岳・蓼科山観光の拠点となったわけだ。

そうなると永明村も町制施行時にぜひ「茅野」の字を使いたいわけだが、茅野駅周辺はもともと「茅野」ではないわけで、この辺りもおそらくいろいろあったのだろう(もう少し調べたらわかると思うのだが調べがつかなかった)、結局ひらがなで「ちの町」にすることで妥協したというわけだ。

現在、茅野駅の南側に「茅野町」と言われる地域があるがこれは永明村の一部であり、本来の茅野である宮川村の中心地は「宮川」と言われることが多いようだが、20号の「茅野」という交差点は元の茅野村にあり、宮川を渡った南側の地区は江戸時代以来の西茅野地区で、大変ややこしいことになっている。

まあ現在では昭和の大合併で茅野駅は旧宮川村茅野を含む茅野市の中にあることになって自治体名も「茅野市」になったわけだが、歴史はそんなことでいろいろあるということなのだった。

以上、「茅野駅は茅野にない」というお話でした。

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by Luke Peterson

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