高島城と諏訪市内の神社など

Posted at 20/07/23

今朝は雨が降っている。ここのところ、朝は晴れているか曇っているが午後や夕方から雨が降るというパターンだったので、少し感じが違うなと思いながら、朝少し散歩してみたけどこれはただ濡れるだけだなと思ったので引き返し、車で出かけた。セブンでモバイルSuicaをチャージしてなんとなく諏訪氏居城めぐりみたいな感じを考えて前宮から上原城、茶臼山城から金子城・高島城と回るコースを考えたが、雨が強いので少しだけにして、金子城から高島城に回るだけにした。

白狐島から赤沼・福島・下金子に抜けて金子城後から宮川を渡り、湖南の田辺に抜けたら公民館と神社があったので行ってみると御頭御社宮司社だった。しっかりした社殿が建っているのでこれは明治以降も合祀されなかった村社として残ったのだだろうと思うが、位置的に考えると田辺がなぜ明治以降湖南村で中洲村でないのかとかちょっと不思議に思うこともあった。

田圃の中の農道を走って宮川を渡り、豊田の文出の方に出て六斗橋から高島城に出た。雨が結構降っていて、近い駐車場から入っていくつか見て回ったが、普段なんとなく来ていてもあまりわからないことが、こういうふうにいろいろ回ってから来てみるといろいろ見えてくるものもあり、また時間をとってしっかり見てみたいなと思った。

高島城を築城したのは日根野高吉という豊臣秀吉の家臣の大名だが、この築城以外の事績についてはあまりよく知らないので、この辺りも調べてみると面白いと思った。もともと徳川家康に従っていた諏訪頼忠が家康の関東移封に伴い武蔵に移り、そこに豊臣大名の日根野が入封したわけだが、築城の完成から2年で関ヶ原の戦いが起こり、翌年には諏訪頼忠が諏訪に復帰し高島城に入城するため、日根野は城を築いただけで出ていくことになったわけで、少し気の毒な感じがする。

昨日は書かなかったが、朝やっていない仕事を思い出して小和田の八剣神社に参拝した後(ここでもいろいろ摂社関係で発見があった)仕事をしに行って、戻ってきてから車で飯島と赤沼のほうに行き、赤沼の子の神社に参拝した。子の神というのがどういう神様なのか今ちょっとググってみると、大国主(大黒さま)の使い神がネズミなのだそうで、どうもその辺が由来のようだが、よくわからない。狐は稲荷神の使いというのはよく知られた話だが、大国主とネズミは、とよく考えてみたら古事記神話の中にそのエピソードが出てきたいたことを読んで今更ながらそうだった!と思った。

で、なぜか子の神つながりで山ノ神のことを思い出し、角間川の上流のほうにある山神社まで行ってみた。ここは境内は広いし大樹が生えてきて立派なのだが、祠は小さい。下桑原村、というか上諏訪町はやはり神社合祀がかなり厳しく遂行されたのだなと思う。いま山神信仰を少しググってみたが、なんとなく雰囲気が違うんだよなあ。この神社の神様は自分の中では女性的な感じはしないのだけど、どうなんだろうか。

全体的に江戸時代の信仰を調べておくと面白いなとは思った。土俗的ではあるけど、諏訪だからと言って諏訪の神で一色ではないのだよね。皆それぞれがそれぞれの神に信仰を持っていて、でもそれが大きな神社に摂社として祀られたりしている。そういう意味では平和共存。みんな違ってみんな良い的な。どの神を信仰するかがその人、あるいはその家の個性のようなものだったのかもしれない。まあ現代人もそれぞれ自分の神を持っていたりするわけで、お金が神の人もいればフィギュアが神の人もあり、フェミニズム信仰の人もいれば安倍信仰の人もいる。それらが全てツイッターとかのお社に一緒に祀られていると。多分その辺のところは江戸時代とあまり変わらないのだろうなと思ったり。

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by Luke Peterson

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