閏4月から5月へ。今日は夏至。/中世諏訪大社と中世城郭など

Posted at 20/06/21

今日は旧暦5月1日、夏至、大安。昨日は旧暦では閏4月29日だった。旧暦の1ヶ月は朔望月(新月から新月まで)で約29.5日。なので大の月(30日)と小の月(29日)があり、そのまま12カ月で取ると一年が355日になる。月の決定は二十四節気の何があるか、例えば5月なら必ず夏至が含まれている。また4月には必ず小満が含まれていて、今年の小満は5月21日、旧暦では4月29日だった。したがって新暦5月22日から6月20日までの1カ月には4月の小満も5月の夏至もないので名前がつかず、「閏4月」ということになるわけだ。

昨日図書館で「茅野市史中世・近世編」を借りてきて読んでいたのだが、自分が知らなかったりネットで調べただけではわからなかったことが結構あって、屁えっと思った。特に茅野という地名が元々は現在の20号沿いの宮川の茅野・西茅野交差点の近辺だったということはきちんと確認したことは初めてだったのではないかと思う。

今朝はその辺りにドライブで出かけ、西茅野から安国寺地区を抜けて諏訪大社上社前宮に出、昨日は参拝しなかったので今朝は参拝することにして参道を登って行ったのだが、あちこちに説明の看板が立っていて、少し「茅野市史」や「諏訪の神さまが気になるの」を読んだ後でもあるので、看板の説明の意味がすうっと入ってきて往時の大祝治下の諏訪大社の有様が想像できる気がした。今まであまりきちんと認識していなかったが、周辺にはかなり説明の看板が多く、この辺りも本気で散策したらかなり中世の諏訪社の有様をしのぶことが可能だなあと思った。樋沢古墳というのもあり、7世紀ごろと推定されているようだ。これも大祝の一族が葬られた墓と見られているようだ。中世城郭の干沢城跡も近くだったが山道を600メートルほど登らなければならないことがわかり、次の機会に回すことにした。諏訪市・茅野市近辺は中世城廓が多いので、城跡マニアの人が来たらかなり充実するだろうと思う。

帰りに少し諏訪大社上社本宮に寄ったのだが、前宮をじっくり見た後だと今まであまり感じてなかったのだが、こちらは江戸時代色がかなり強いことを感じた。しかし江戸時代には神宮寺があったのでそれと一体化していたのだが、廃仏毀釈で神宮寺が廃寺になってしまったので現在残っている本宮はどうも半分という感じがしてしまい、その辺りは残念だ。神宮寺も再興して往時が忍べるようになるといいのに(地区の名前も中洲神宮寺なのだ)と思うのだけど、まあそうもいかないんだろうな。

この辺りは少し本で調べたり歩いて回ったりすると歴史の重みに圧倒されるような場所が多い。奈良や京都の歴史に比べると裏ヒストリーだが、全国で最も末社が多いとされている諏訪大社の地元なので、そういう重みはあるなと思う。

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by Luke Peterson

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