自分にとって書くこと ー現時点でー

Posted at 20/05/11

しばらくブログを書いてなかったのを再び書き始めたのは、書いてなかった間の自分がどこか奇妙なふわふわした状態になっていたと感じたからで、いわば「自分を取り戻す」ために書き始めたというのが正しい。この間書いていなかったのはブログだけでなく、ツイッターで呟く以外は毎日書いていたノート(モーニングページ)も書いていなかったし、仕事で必要な文書を書くことはあったけれども、それ以外の文章はほぼ書かないというより書けない状態になっていた。

その間はいろいろなことを考えて、自分を動かすために自分の考えていることをいろいろな図解にまとめたりしていたのだけれども、それが出来ても自分が動き出すことができない状態で、何をどうしたらいいのかを見失っている感じだった。

結局何をどうしたらいいのか、あるいは何をどうしたいのか、見えなくてもとりあえずこうしようとかが自分ではっきりしないのに考えをまとめようとしても動けないのだということが分かったし、つまりはまずどうしたら自分を動かせるかということで、いろいろやってはみたが結局はまず「書く」ことによってしか自分は前に進めない、ということに気づいた。

以前は、いずれはこうなりたいとかこういうことが目標だとかそういうことを頼りにしてものを書いていた、つまりは今書いている文章はそのための練習だ、と思って書いている時期があったし、その時なりに一生懸命書いたものをまとめたりはしていたが、今書いているのはそれとは違ってむしろ自分が自分であるために、自分を取り戻すために書いているということで、つまりは手探りの自分をそのまま書いているということに近い。

ただまあそうして改めて考えてみれば、生きるということ自体が本当は全て手探りで、予定通りになど行くものではないんだよなと思ったりもする。予定を立てて計画的に、というのは一つの理想であるし、部分的にはそれもできないわけではないが、実際には手探りで頑張ったことしかなかなか本当には身につかないし糧にならない。

ある程度の見通しをもってやる、というのはまあできたらその方がいいことが多いけど、今の自分はなかなかそういうところまでいかないし、溺れるものは藁をも掴むという感じでとにかく書くしかないという感じなのだけど、このコロナ状況の中では少なからぬ人たちが「今まで通り」に自分の人生を送ることが難しくなって、藁をも掴む状況にいるのだろうなあという気はする。

とはいえまあ自分にとってできるのは、みんな頑張ってるし自分も頑張ろう、という程度のことなのだけど、状況に対する自分のスタンスというものはツイッターで発言していくことになるだろうし、発言しながら考えていくという感じになるのだろうなと思う。自分が書くことがそれとどれくらい関連するかはわからないが、そういう状況に対する思いみたいなものが、衝動的にしろ感情的にしろ刹那的にしろ、あるいは幸運を生かしてもっと説得力のある形でつかめて表現していければいいなと思うし、それが状況を変える力になればもっといいなとは思う。

そう考えてみるとツイッターは自分の表現活動にとって土壌のようなものだしそこから昇華させて文章が書けていけばいいなということだなと思う。これは面白い部分もあるし危険な部分もかなりあるのだが、少なくとも一つの発想の源にはなるのだろうなと思う。

これだけ盛んに多種多様な言論や、むやみやたらに自分の知識や経験、知見が無料で垂れ流されている場所はなかなか他にないので、そこから何か生み出せなければ嘘なのではないかと思うし、書くというのは結局は個人的な営みではあるのだけど、それが世間に向かって反射され、時に大きくなって返ってくるものでもあるので、そういうものとの付き合い方・向き合い方を考えながら、書いていくことになるのだろうなと思った。

実際にはツイッターだけ読んでいてもバカになるのでやはり本を読まないとと思う。今はとりあえず井上寿一「戦争調査会」(講談社現代新書、2017)を読み始めたので、そういうことも読んだり書いたりしていきながら書くという活動そのものを立ち上げていきたいと思う。

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