纒向遺跡と箸墓古墳

Posted at 19/10/15

昨日は車で帰京したのが、今日は郷里で仕事があるのでこれからまた車で郷里に戻る。

夕方は地下鉄で大手町に出かけて丸善で本を見た。最近、Twitterで時々読んでいた纏向遺跡のことが気になったのでその辺りのことが載っていそうなものを探した。

考古学もそういえば興味があった時代があったのだが、小学生の頃だな。登呂遺跡の発掘の話とか明石原人の話とかを読んでいたのだけど、それに対する興味がだんだん薄れたのは、書かれた歴史との関わりがあまり感じられなかったからだろうなと思う。それから数十年経って、九州では吉野ヶ里遺跡、そして畿内では纏向遺跡という邪馬台国に関わると考えられる遺跡が発見・発掘されていって大きくクローズアップされてきたことにはそんなに関心を持っていなかったが、(むしろ長野県の遺跡との縄文つながりで三大丸山遺跡とかの方が関心があったかも)大和朝廷との関わりが出てくるとその辺の関心もまた違うものになる。
纒向遺跡が箸墓古墳との関わりが深いらしいというのもとても興味深くて、そうなると卑弥呼と大和朝廷との関わりも具体的なものになる可能性もある。纒向が人工的に作られたいわば都市であってその前に唐子・鍵に銅鐸を作る集団の都市があり、そこから移住したのではないかとか、大和川渓谷から東へ行って尾張との関わりとか、様々な具体的に考察できる遺物が発見されていたりするというのもとても興味深いなと思った。
ただそれだけ論争もあるようで、纒向遺跡を発掘している桜井市教育委員会の仕事に対して批判的な人もいるというのを昨日丸善で読んだ本の中でも見た。そのあたりのところはまた読み進めていくうちに確認することになるのだと思うが、やはり伝統的な畿内説と九州説の対立というのはいまだに続いていて、またそれぞれが纒向と吉野ヶ里という有力候補地を見つけたこともあって、さらに突っ張りあっている感じもあって興味深い。

私はどちらにあってもいいのだけど、上代の編年史がより明らかになってきたら面白いなとは思うので、それぞれの論考等を読んでみたいと思っている。というか、改めて興味が出てきた。

とりあえず今回は纒向のあたりということで、新泉社の「シリーズ遺跡を学ぶ」から清水眞一「最初の巨大古墳 箸墓古墳」(2007)と石野博信「邪馬台国の候補地 纒向遺跡」(2008)を買った。あと、石野氏の論争集が2冊あったので、その辺の議論もそのうち読めたらいいなと思う。

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by Luke Peterson

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