宮崎アニメが素人の声優を使うことについて

Posted at 18/07/18

連日暑い日が続く。昨日東京から諏訪に来たのだが、日中の暑さは東京より暑いくらいで、夜も冷房を目いっぱい効かせても暑いくらいだったが、朝夕は気温が下がり、今朝の最低気温は23度台。やはりその辺りが東京とは違うので、ありがたい。

宮崎アニメについてのツイートを見ていたら、宮崎駿監督が日本のアニメの地位を上げまくったのでアニメを馬鹿にする大人があまりいなくなった、というのがあって、それはその通りだなと思った。大人が見るにたるもの、というだけでなく、明確な戦後民主主義的な社会・人間関係観とそれに止まらない世界への目があることが大きく、またアニメ描写でも妥協のない実車に負けない描写がなされて日本のアニメの「質」を大きく上げたことは確かだと思う。

社会、とか人間、というものに向ける目というものの反映のされ方で面白いと思うのは、もちろんいわゆる声優も使ってはいるけれども、声の出演が俳優や、ないしは俳優ですらない人を使っていて、その使い方が戦後民主主義的な意味でのリアリティを生んでいる面があるということ。

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本名陽子
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2002-05-24



例えば「となりのトトロ」ではお父さんの声が糸井重里氏。「耳をすませば」ではお父さんの声が立花隆氏。そして最近では「風立ちぬ」で主人公・堀越二郎の声を庵野秀明氏がやったことが記憶に新しい。

この人選は意識すると面白いし、意識しなくてもその無骨な言葉、生き方が反映された言葉にある種の安心感がある。声優に素人を使うということには賛否両論はあるだろうけど、「アニメの世界」で声優が作ってきたものとは違う、現実に存在する人間との間の裂け目みたいなものを意識的に作ろうとして宮崎監督は素人の声を使っているのだろうと思う。

時間がないので発想だけ記した。

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