オウム真理教と僕たちの時代/ロストジェネレーション/世の中を感じるということ/前向きにしか考えられない病気/タラのテーマみたいな頭の中

Posted at 18/07/07

昨日はオウム真理教の教祖・麻原彰晃を始めとして幹部たちの処刑が行われたことで「あの時代」のことを思い出し、どうにも浅い眠りの夜を過ごしてしまった。

最近はずっとロスジェネや経済状況のことを主に考えていたのだけど、オウム事件やあの時代のことを思い出すと、心はそっちの方にすっ飛んでしまう。ロスジェネは自分にとってジャストに降りかかってきた問題という感じがしないからで、オウムは本当に自分たち自身に関わってくる問題だと感じていたからだ。

ただ考えてみると1999年に退職・失業した私は結局そのあと正規でどこかで採用されたことがなく、結局非常勤講師を紹介してもらったり最後は親の仕事の手伝いをしてそれを引き継いで今に至ることになっているので、あの時代の就職の困難さみたいなものを経験していないわけでもないんだと思い当たった。

ただ、自分としてはかなり仕事の選り好みをした結果でもあったし、実際に面接に行って落とされたこともあったけどそのことの意味はあまり深くは考えなかった。非常勤講師も最終的には向こうに断られたから職がなくなったのだし、職がということは自分の身に関わる問題でもあった。親が自営でやってたからそういう選択もあったというだけで、そうでなければおそらくはかなり厳しい現実に直面せざるを得なかっただろう。いや、親の下で働いてもかなりギリギリではあったのだけど。

ただ、多分私はそういう意味で社会が寛容で豊かな時代に大学生活を送っているということは確かで、そこで形成されたものごとの感じ方がそう簡単には変わらないということはあるのだと思う。お金の問題よりも心の問題の方が響いてしまうのはそのせいで、でも本当にお金がなかったら心もまた荒んだ風を受けたことにはなっただろう。

だから、自分がストレートに受け取れること以外は、世の中をきちんと感じられているかといえばやはりそうではないところがあるわけで、そういう意味で人の話はなるべく聞かないといけないと思う。Twitterは玉石混淆ではあるが、私がストレートには感じられないことについて書いている人が多く、それもストレートには受け取れないけどいろいろな人の意見を読んでいるうちに自分の感じ方が形成されてくることはあって、そういう意味ではありがたいと思う。

なんていうか、私は本来かなりぐずぐずした人間ではあるのだけど、だけどものを考える時には前向きにしか考えられない病気にかかってるみたいなところがあって、まあ色々心をへし折られたりしながらでも、なんとか生き抜きたいとは思っている。

311以来鎮魂の曲しか書けない、という言葉を聞いて、私はどうだろうと思ったとき、やはりそれでも生きていくしかないとしか思えなかったし、人が生きられる場所を少しずつでも広げていくのがいいのではないかと思った。どう生きるかはまた別の問題なのだけど。なんかタラのテーマみたいだな、結局私の頭の中は。

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