おかざき真里さんの「阿・吽」第6巻を読んだ。

Posted at 17/06/13

おかざき真里さんの「阿吽」6巻を読んだ。

阿・吽 6 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)
おかざき 真里
小学館
2017-06-12



このところ毎日のように新しいマンガを読んでしまうのでなかなか流されて行きがちだが、この作品は本当に単行本が出るのが楽しみな作品の一つ。月刊スピリッツで時々覗くときはあるのだけど、なんだかすごい世界が展開しているので前後関係がわからないとかなり面食らうことがあった。

しかし、その垣間見るだけの描写であってもなんだかむちゃくちゃすごいので、こんなテーマの作品がこんな風に視覚化できるというのはちょっとすごいなと思う。

経文だとかサンスクリット語の言葉が管になってまるで巨大魚の髭か蛸の足のようにインドから来た高僧の口から伸びている描写などは、どこかで見たという既視感を遥かに超えて、音楽が形を持って現れるという共感覚者の世界のように、言葉や概念が形を持って現れるという今までにない描写であるように思われる。

同じ場所にいないのにその概念の奥底で出会う空海と最澄だが、「運のない」最澄は桓武天皇の不例によって帰国せざるを得なくなり、空海は一人で未知の密教の世界へと飛び込んでいく、というラスト。この抜き差しならない二人の関係の描写は、あまたある二人の対立を描いたものの中でも、本当に心の痛みを伴う描写がなされていて、そうだったのだろうなあと思う。

どこまでも知の欲望に忠実に突き進んでいく空海と、衆生救済のための仏道に専念する最澄とではやはりいつまでも同じ道を歩くわけにはいかない。しかしその最澄の運のなさが結局は比叡山を新たなたくさんの宗派を生み出す源泉のような場所にし、空海が孤独に一人真理への道を突き進んだ結果、空海という巨人のみが燦然と輝く印象に真言宗はなっているように思われる。

興味深いのは霊仙や橘逸勢が不遇の死を遂げることまでが描かれる中、一人空海のみが屹立している、その道の深さのようなもの。そしてもう一つは絢爛豪華な長安の描写と、そこに現れる魅力あふれる人々。

ほぼ実在の人物が描かれる中、契丹の男装の少女・リィフォアやゾロアスター教徒の男・アーラシュなど、どう描かれていくのかわからない人々が日常の部分を彩っていくのも面白い。特にリィフォアと橘逸勢の絡みは楽しいし、こういう部分は好きだな。

一つ贅沢な、サービスに関していうと、橘逸勢が妓楼で支払いに困っているところを詩人の白居易(白楽天!)に助け舟を出され、橘逸勢の字を見た白居易が見返りにラブレターを書いてくれと言い、逸勢がそれを空海に頼みに来るというなんだそれという超オールスターキャスト。詩文を空海が考えてやると三筆の一人である橘逸勢が同じく三筆の空海に文字も書いてくれという。それでそれを白居易が縁を切ろうとする妓女のところに届けるという展開。

しかし白居易はそれを読んで「あれは我が書くはずだった言葉たちだ!」と空海に食ってかかるという展開がもう良くて良くて。まあそりゃそうなんだよな、「梨花一枝春帯雨」って「長恨歌」じゃん。(笑)

まあこういうご馳走は本当に歴史的フィクションの楽しみの一つだが、もし平安朝の宮中を席巻した白楽天と空海が実際に打ち解けて歓談してたりしたら、本当に楽しいなと思う。

ここからは違う道を行く空海と最澄が、どんな関わりを為して行くのか、どのように描かれて行くのか、楽しみでならない。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday