自分の中で封印されていた、勝ちたいと思って勝つために戦った記憶のことなど。

Posted at 16/07/03

今日は昼頃一度ブログを書き始めたのだけど、自分が書いている内容についてちょっと考え込んでしまったりして、文章にならないまま銀座に出掛けたりしていたのだけど、帰って来て「真田丸」見たりしてもまだそのことについての自分の考えがまとまらないのでちょっとそのことについて考えるのをやめることにした。

というのは、ちきりん・梅原大吾「悩みどころ逃げどころ」(小学館新書、2016)という本を読んで考えてしまったことなのだけど、自分の中に結構封印されていたことが、言葉になって出て来てしまったからなんだ。




自分の封印されていたことというのは、梅原さんの言葉に共感して涌き出して来た部分もあるし、ちきりんさんの言うことに頷いて出て来てしまったこともある。ちきりんさんにはツイッターでブロックされているのでふざけるな的な感情もないわけではないのだが、でも面白い時にはやたら面白いのでつい読んでしまう。そういう読者を軽やかにブロックするところがちきりんさんらしいと言えばらしいのだが。

「何かを成し遂げた人」とか「恵まれている人」というのはそのことについて自己陳述すると必然的に周りから見たら「上から目線」の発言に聞こえてしまうのだけど、まあそれは仕方ないと思う。確かにそのことにおいてそうでない人に比べれば「上」にいるわけだから。でも、その人の目線から見えるものと全然違うものを見ている人というのはやはりいるわけで、そのことを理解しているかどうかというのは、その人が世の中を見る目の深さのようなものに関係しているので、目線の違う人の言葉には耳を傾けておいた方がいいことが多い。

EU離脱の問題などについていろいろ見ていると、意識無意識を問わず「離脱派」についてまともな思慮のある人間ではない、みたいなコメントやdisりが現地の報道を含めてずいぶんたくさんあって、そういうところが離脱派が勝利した理由なんじゃないかと思うし、それはアメリカにおける「トランプ現象」も同じだと思う。意識の上において、可笑しいくらいに2極分化が進んでいるのだ。これは日本においてよりも、ヨーロッパやアメリカにおいてより深刻な問題だと思う。

もうだいぶ昔のことになるけど、1990年代にアメリカに行った時、デモクラット支持の中の上くらいのインテリ家庭に呼ばれて話をしていたら、みんなで楽しそうに話していた内容が、聖書の登場人物のdisりだったのだ。あんなやつばかだよね、とか聖書のエピソードを取り上げてそんなことあり得ないよね、とか言って笑ったり。私はキリスト教徒じゃないけど、正直あまり気分が良くなかった。まあ、私の英語力では断片的にしかわからないから一緒にいた日本人に説明してもらってようやくわかったのだけど。彼らも決して悪い人たちではなくて、自分たちは本当によくしてもらったのだけど、ちょっとなと思った。

当時から、メガチャーチに通う経験なファンダメンタリスト、エヴァンジェリストみたいな人たちも知ってる人がいて、彼らは本当に教会で説教を聞いて涙を流したりする人たちだから、それもまたちょっと異様には感じていたけど、彼らがそれでいいならいい、くらいには思っていた。

それらは当時は頭の中で結びついてはいなかったけど、今になって思えば、すでにあの頃からアメリカは分裂していたのだと思う。

よい教育を受けて、宗教的にもフリーな考え方を獲得していて、デモクラットを支持して、インテリな人たちと、地域に根ざして、一日の最大の出来事がウォルマートで起こったことで、日曜日ごとに必ず教会に行って感動して帰る人たち。前者は後者を頭から馬鹿にしていて、後者は前者を信用していない。

アメリカを統治する、支配する立場になるべき人というのは、その前者と後者を結びつけて統合するだけの指導力のある人たちだったし、ケネディも、レーガンも、ブッシュジュニアも、オバマも、それぞれの仕方、それぞれの存在の仕方でアメリカを統合していた。

しかし今回の分裂は、ヒラリーとトランプのギャップは酷い。ブッシュ・ジュニアとアル・ゴアの2000年の大統領選もそうだったが、あのときはフロリダのリカウントでめちゃくちゃごちゃごちゃした。今年はどんなことが起こるのだろうか。

日本人を見ていても、リベラル・インテリの人たちは残留派の人たちになんだか極端なくらい感情移入している人が多い。同じ仲間だという意識ですらあるんだろう。彼らはいい人たちだと思うけど、でも離脱派の思いみたいなものは見えてない、と言うか最初から見ようともしていない。私たちは当事者ではないのだから、ヨーロッパで起こっていることを冷静に見られる特権的な立場があるのに、それに巻き込まれてよしとするのは納得できない。

話はずれたが、私が魅力的に感じるのは、自分のいる社会的なポジションみたいな物を、きちんと自覚している人だ。そういう人は、その人が今いる立場から、どういう風にどう言う内容を発信したら説得力があるのか、ということをきちんと理解している。上の立場にいるという自覚があったらしっかり上から目線の発言をする。というか、そういうことを自覚している人の言葉は、私などにはすんなりと納得できる。そういうのは上から目線とは言わない、と昔なら言っただろうと思う。今はそういうことがわからない人が増えてなかなか難しいなとは思うが。

梅原さんという人はそういう人で、とても話は面白かった。

勝ちたいと思ったら、勝つように頑張る。それは当たり前の話で、勝ったらそのことについて、あとに続く人に語るのはよいことだと思う。なんかそのシンプルなことがすごく心に響いて、私も実は負けたくない、差別されたくないから頑張って戦ったんだなということを思い出したりしたのだった。

あと、考えたことはいろいろあったのだけど、今日は敢えてまとめないで書きっぱなしにしておこうと思う。

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