マイナス7度の草刈り/お悔やみ二件/幸せな夢

Posted at 13/12/25

【マイナス7度の草刈り】

今日はクリスマス。寝床の中で何かいい夢を見た。それがクリスマスプレゼントだったのかもしれない。モーニングページを書いて、支度をする。冷たい水を飲んで、コップに入った水の写真を撮る。気温はマイナス7.4度。少し寒いが、草刈りをしてみる。部屋の灯油のポリタンクが空になったのでそれを持って実家の屋外タンクまで持って行き、給油。霜柱が降りていて、写真に撮ってみたがどうもよくわからない感じなので残っている雪の写真を取ってアップ。寒い。

給油を終えて、ポリタンクを車に乗せて、上の畑へ。雪はもうだいたい融けているが、霜柱を踏む音がサクサクと足元で音がする。草は霜がついていて斜面が場所によっては滑る。畑に上っていくと、積んでおいた草がペタンとして、だいぶ嵩(かさ)が減っている。灌木の枝とかは嵩は減らないが、草は雪の重みでかなりしおれるからいい。見まわして、柿の木に蔓が絡んでいたのが枯れて簾のように垂れ下がっているのが気になったので、それを少し刈ってみる。しかしそれ以前に柿の木のまわりの草や灌木が気になり、その当たりから刈ることになる。狙いにしていたところを刈りきる前に時間になってしまったが、こんな気温でも身体を使うと寒くはない。ただ、なぜか手袋の中にある右手の親指だけ、すごく凍えたのが不思議だった。なぜなんだろう。


【お悔やみ二件】

家に戻り、朝食。お仏壇にごはんと水を供えたり、いろいろ打ち合わせをしたり。食べ終えて、灯油を運びがてら自室により、着替える。そのまま母を乗せて、同じ地区の亡くなった人の家に母の道案内でお悔やみに伺う。行ってみると、今日がお葬式で何となく人が走り回っている気配。玄関で声がして、開けると若い女性が出てきた。お孫さんだろうか。お悔やみを行って香典を渡し、香典返しをもらって車に引き返す。母はまだ松葉杖を突いていて、玄関先まで行くのも大変なので、結局私だけで(面識はないのだけどまあ母の代理ということで)伺った。

家に戻って母を下ろし、車を止めて自室に戻る。今日はこれから松本の整体道場に出かけ、母が操法を受けた後、高速で引き返して親戚のおばあさんのお悔やみに伺うことになる。急に寒くなったからか、クリスマスの朝からお悔やみが続く。古いいのちが終わりを迎え、新しいいのちに引き継がれていく。


【幸せな夢】

幸せな夢というのは、スキンシップの夢だ。もう何十年も前の風景。家にいろいろな人が集まって、ちゃぶ台のまわりで談笑している。背中を向けて座っている父の背中に、寝転がった私が脇腹をすりつけている。その私は、3、4歳の私なのか、今の私なのか分からない。でも触れあうということが大事なことなんだなと思った。

もう娘を持つ母となった娘が、その老いた母の膝枕で話をしている。孫娘が草原で遊びまわっている。母と娘はシロツメクサの咲いた草原でそれを見ている。

それはそう、あのダ・ヴィンチが描いた聖アンナと聖母マリアの絵。マリアがアンナの膝に座り、イエスをあやしているあの絵が、なんだかすごく不思議な構図だと思ったのだけど、あれはそういうことを描いているのだと思った。親子で大事にし合うのは、良いことだ。家族でいたわり合い、大切にし合うのはよいことだ、と。

子どもの頃、母に触れたり父に触れたりした記憶は今ではあまり残っていなかったのだけど、そんな夢を見るとそんなことがあった気がする。それを思い出している時の私は、今の私であると同時に子どもの頃の私でもある。それが恵みであり、幸せな記憶でもある。

人が親のことを本当に思えるようになるのは、子ども臭さが抜けてからだろう。子ども臭さが本当に抜けるのは人によって違うけれども、今ではもう40歳くらいになるかもしれない。親にしてもらうことを考えなくなり、親にしてあげることを考えるようになってからが、本当に子どもが独り立ちしたということで、そうなって初めて改めて親子として触れあうことが出来るようになるのだろう。

家族が触れあうのは、大事にし合うのはよいことだ。

父がなくなる前の何年か、そして今は母に、実家に居る時には愉気をしているけれども、そういう直接のいたわりを伝え合うことが大事なことなのだと思う。

と、クリスマスの日にふさわしいことを少し書いてみた。

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by Luke Peterson

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