ブログの書き方を考えてみる/川上量生『ルールを変える思考法』など

Posted at 13/10/23

【ブログの書き方を考えてみる】

ブログの書き方を、どうしようかなと。

いままで、基本的にどう言うノリで書いていたかというと、昔の文学者の書く随筆とかエッセイみたいなものの、より日記に近いような感じのものを、ヤマなし、落ちなしで淡々と書いていくよ、というつもりで、自分の考えの描写とかは自動書記的に、思いつたことをなるべくそのまま書くという感じで、また本の感想なども自分が感じたポイントを重点的に書く、という感じで書いていた。

特にこの書き方が面白いと思って書いているわけでもない。ウェブで日記を書き始めたのは1999年だったから、もう14年になるのだけど、その間も書き方はずいぶん変わってきている。この「Feel in my bones」は2005年にgooブログで書き始め、2007年から独自ドメインを取ってレンタルサーバーでムーバブルタイプを使う現在の形に移行した。そうしてみるともうすでに6年以上この環境で書いているわけで、ちょっと驚く。

1999年から詩のサイトの一部として書いていた日記と、2000年頃だろうか、「日記猿人」「日記才人」で受け狙いで注目を集めそうな話題を頑張って書いていた『第3の私』という題の日記。これらはすでにウェブ上から削除してあるので、自分で見ようと思ってもみられない(書いたときのパソコンは起動しなくなったまま放置されている)からどんな内容だったのかよく覚えていないのだが、でもまあとにかく話題になりそうな、注目を集めそうなことを一生懸命書いていたのにあまりアクセスが伸びなくてけっこう大変だったなという記憶がある。

政治的な話題を書くとアクセスが集まった時期があったが、そういう人は他の話題に振れると途端に読みに来なくなるし、いつもそういう話題についてだけ書いているのも大変だった。まあしかし、そういうことを考えてみると、これだけ長い間人目に触れる文章を書いてきたということが自分の文章の形を作ってきたことは確かだなと思う。

今のスタイルはいつ頃からか忘れたが、以前のように話題中心主義ではなくて、ネタがなくても書き始めるというスタイルになっている。花鳥風月ではないけど草刈りのことを書いたり電車の中で思ったことを書いたり思いつくまま書くときもあれば、この本のことを書こうとか、自分が考えたことについてあまり他の人に関係ないことも万一誰かの参考になることもあるかと一生懸命書いたりもする、という形。

ものを書くという行為にはおのずとフィクション性が伴う、というか書いているうちに正直に書くことで自分の内面がおのずと現れたり、逆に面白かったことを書いているうちに脚色が入ってきたりすることもあるし、何というか文章に書かれたことは事実そのものではないので何かが引かれたり何かがたされたりたとえが導入されたりいずれにしても元のままではない。

書いているうちに思いがけないことがはっきりしてくることもあるわけだけど、書く前はそういう考えはなかったわけだから書くことによって新しい考えを持つことになるわけで、つまり書くことによって新しい事実が創造されている。

ここのところそういうスタイルで、つまり自分という人間からなるべく離れないように書くようにしていた。だから、面白さというのはその点では犠牲にして、面白さよりも嘘のなさを優先して、自分の考えを形作ったりしながら書いてきた。

その書き方はたぶん、自分にはとても合っていて、でも嘘がないように書くというのは逆に言えば考え方が支離滅裂だったり言葉の使い方が洗練されてなくて灰汁があったり、論理展開がおかしくても実際に考えた考え方になるべく忠実に書いたりしているので、読む方としては何を書いているのか分からないと思われることも多かったのではないかと思う。

実際、内容を一つ一つもっと推敲して書けば、もっと読みやすくわかりやすくメッセージも明確な文章になると思うのだが、逆にそうすることで自分の考えとは違うなんだか立派な意見になったり、妙に洗練された気取った文体になったりするのが何かいやだなあと思うところもあった。『進撃の巨人』の諫山創がラフな描線が好きだ、ということを言っているけど、私もそんな感じのごつごつしたごとごと引っ掛かりがあるような文章を書きたいという気持ちもあって、そんなふうに書いているわけだ。

しかし、新しい魅力的なブログをいくつか読んでいると、そういうのもまた独りよがりかなという気もしてきた。

自分の生活や自分の考えを描写するのもいいけれども、自分の面白いと思ったもの、自分が楽しいと思うことを提供していく、という行き方にそろそろ変えようかという気がしている。

以前、そういう方向性で失敗したなと思っているのは、話題を提供しようというスタンスで、自分がそんなに面白いと思ってなかったり関心がなかったりしても、話題になるかなと思ったものを書く、というところがあったからだと思う。

いまはその程度の関心のものはツイッターでツイートしたりRTしたりすれば済む。そういう点で、面白いと感じそうなものを感覚的に伝えるだけならツイッターで十分。というところが昔とは状況も違うから、ツイッターで伝えきれないものを取り上げる、伝える、紹介するという形で、自分が本当に面白いと思うものを書くように心がけたいと思う。

ただ、そうなるとブログの更新の頻度は落ちるだろうなと思う。今の感じでは、毎日すごくいろいろ考えてモーニングページなどにはかなりたくさんネタのようなものを書いているのだけど、それをまとめて文章にするのは全然間に合わない感じになっている。

ネタと、自分の感じたこととの関係。以前は面白いと思うネタを取り上げても、自分がそれに関心を持って独自の意見を持ってるわけでもないということについて書いたりして、そうすると結局通り一遍のことしか言えず、本当にお前はどう考えているのかよ、と自分につきつけて見ると、実はよくわからない、はっきりした考えがないということが多くて、そんなこと書いても仕方ないなと思うようになってきた。

いまは自分の思ったこと、感じたことを自分の心の動きに沿って書くようにしているので、内的必然性はあるがそのことの一般性みたいなものにまで話が広がらない。というか、わざと広げないように書いている。

描写・説明と、心情ないし思想、考え方。客観性の部分と主観性の部分。宇宙性と生命性。その両方をなるべく手を抜かずに書くように心がけようと思う。


【川上量生『ルールを変える思考法』など】

ルールを変える思考法 (角川EPUB選書)
川上量生
KADOKAWA

最近買った本について触れてなかったのでメモ程度に。川上量生『ルールを変える思考法』(角川EPUB選書、2013)。これは面白い。まだ7章中2章しか読んでないが、いままでに書かれてないものを読んでいるという印象。この川上さんという人は、私がいままで見聞してきたネット関係者の中では一番おもしろい人なんじゃないかとこの本を読みながら思っている。ひろゆきの支援を受けて「ドワンゴ」を立ち上げ、「ニコニコ動画」で圧倒的な支持を得ながら、スタジオジブリに入社し、無給で鈴木敏夫プロデューサーの「鞄持ち」をやっている。その話を最初聞いたときは変わったことをする変わった人だ程度にしか思ってなかったが、そういう変わったことをある意味実に戦略的にやっているということがこの本を読んでよくわかった。

いままで一番関心があったのはDeNAの南場智子さんだったのだが、いままでの成功者の中でアメリカ留学系の人ではなく、ドメスティックにでも一発当ててやろう系でもなく、かといって社会不適応系が何か知らんうちに成功したという感じでもなくて、ひたすら自分の好きなことと自分のカンだけを信じ、IT会にさまざまある神話や思想に対しても実に冷静に見てそれをうまく自分の事業に生かしていく、凄く面白い人だと思う。本を読みながら数ページに一度は凄く感心する、なんてことは自分の40数年の読書経験の中でもそう何度もなかったことだと思う。

詩とファンタジー 2013年 12月号 [雑誌]
かまくら春秋社

ちょっと書き過ぎたが、あとは若林理砂『からだの教養12カ月』(技術評論社、2013)と岩田健太郎『主体性は教えられるか』(筑摩選書、2012)。この辺はまだ少ししか読んでないのでまたあらためて。あとamazonで取り寄せたのがやなせたかしの最後の編集になった『詩とファンタジー』12月号とマーケットプレイスでセオドア・ローザク『意識の進化と神秘主義』(1978、紀伊国屋書店)。

意識の進化と神秘主義
セオドア・ローザク
紀伊國屋書店

こうして書いてみると、変な話だが、本の選び方のセンスが上がってるなという気がする。最近、本当に本を読む時間がないなと思うし、本を読むことは仕事ではないという感じがするので、なるべく短い時間でなるべくいい本をちゃんと読むようにしたいなと思う。そのためには、自分なりにどういう本がいい本かという基準をもっと持たなければいけないと思った。自分の本の選び方は、けっこう人の評価に左右されているところが多いと思うし、自分のある意味スノッブな趣味みたいなものにも左右されてしまっているところもあるから、本当に読みたいものを読むということをもっと追求していかなければならないと思った。

いままでは読んでしまったものについては感想を書くという行き方だったが、基本的には面白かったものについてだけその面白さについて書いた方がいいなと思う。

面白いものを読み、面白い経験をし、面白いものを書く。ということ。

そう、マンガではツジトモ『Giant Killing』29巻(講談社、2013)を買った。椿の活躍は読んでいて楽しいが、後半はチームが泥沼にはまった描写が続き、辛いものがある。

GIANT KILLING(29) (モーニングKC)
ツジトモ
講談社

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by Luke Peterson

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