自分はどんなふうに世界を知ろうとしてきたか/世界を把握しなおすために日本近代史に取り組んでみたが/「やりたいこと」から考え直してみる/もう一度、自分は世界をどう知ろうとしてきたか

Posted at 13/10/14

【自分はどんなふうに世界を知ろうとしてきたか】

コスモロジーの追究、ということについて考えてみる。自分はこの世界をどういう世界だととらえているか。自分はどんなふうに世界を知ろうとしてきたのか。

私にとって、社会というもの、世界というものは、子どもの頃、大きな謎だった。それは多分誰にとってもそうなのだろうけど、いろいろなものを学んで自分なりに「世界とはこういうもの」という感触をつかんでいく。

自分のやりたいことが先に立っていると、そこに世界との軋轢が生じ、そこをどう折り合いをつけて行けばいいかを実地で学んでいく。世界はどういうものか、というのはどこにも書いてないし、書いてあってもそれを理解できていればすべてOK、というものではない。世界はこういうものだから自分はこういうふうに行動する、と思ったところでその像と実際に起こることは必ずしも一致しない。世界は常に融通無礙な部分と、結構確実に結果が分かる部分があって、確実にわかる部分をうまく利用することができるとその部分では楽なのだが、そればかりに頼っていては自分のやりたいことはできないし、また誰でもそれがうまく利用できるわけでもない。

自分があるとき宇宙論的方向性よりも生命論的方向性を取った、ということを数日前に書いたのだけど、アートや趣味の好みとして生命論的方向性を取るというのは、自分の中で今ある世界に抗いたいというところがあったからだろう。まあその意味で、少なくともメンタリティとして少数者・改革派側の立ち位置を選択したということになる。

ただその中で自分なりに何とか世界や宇宙を把握したいという気持ちがあった。それが大学の時に専攻した「歴史を学ぶ」ということの中にはあった。しかしそこは不安定だった。自分はまず、やりたいことで行きたいと思っていた。でも生きにくいこの世界で生きるためには、この世界のことを知らなければとも思っていた。だから自分が生きる方向性を見出すために自分の心に忠実にアートや物を書くことや演劇に取り組んでいくという方向性と、歴史や社会学やそういうものを学んで世界の実態を把握し、どうして自分にとってなんだか生きにくい世界や宇宙になっているのかということを理解したいと思った。そうすれば何を変えて行けばいいのもわかるし、どう取り組んでいけばいいかということもわかると思っていたのだ。しかしそれは両方とも、なかなかうまくいかなかった。

世界を作り替えたいということに本気で取り組むなら、普通に考えて歴史を学ぶという行為は問題意識からは遠すぎる。ただ、当時はそうは思っていなかった。最初は中世史とか古代史、当時はあまり取り上げられることのなかったシルクロードなどの歴史について学びたいと思っていたのだけど、それを学ぶことが今の自分にどう関係するのかということがダイレクトに見えてきていなかった。それは自分の好み=趣味=好きなことに引っ張られ過ぎていて、仕事として学問に取り組むこととか、世界を変えたいという希望とかが適当にミックスされ、そのことがきちんと整理されていなかったのだ。

結局、そういうことが整理されないまま、それでも生き方を選択すべき時は来る。私は塾でのバイトなどで、自分が教えることは好きだということは理解していたので、教師なら大丈夫だろうと高校教師になった。

しかし教えている高校生たちの現実とか彼らがおかれている環境のようなものに向き合っていると、何かが根本的におかしいと思い始めた。どこがおかしいのかよくわからず、この社会の構成原理である民主主義自体に問題があるのではないかというふうに思い始めた。まあそんなふうに考えてみると私はいい年していつまでたっても中二病的だったんだなあと思うが、その時はそんなふうに思った。歴史というものをよくわかっていないという思いが、自分に強くあって、それと現実の病根を知らなければという思いが合体してしまったのだろうと思う。

今の自分がその時の自分にアドバイスするとするならば、その二つの問題は分けて考えたほうがいいと言っただろう。学校現場の問題を民主主義の根本原理の問題ととらえてしまうのは、いくらなんでも飛躍しすぎている。しかしその時の自分に、的確なアドバイスをしてくれる存在はなかった。まあそういう馬鹿らしい間違いを繰り返しているから、逆に「ちょっと待て」ということが言えるようになったのだなと赤面の思いで書いていて思う。

とにかく、民主主義自体を問題にして考えたいと思い、その原点としてフランス革命を研究しようと思って勉強を始めたのだ。まあ、仕事に余裕があるときにそういうことをやるなら、何らかの成果はフィードバックできると思うけれども、仕事で首が回らないときに大学に通ってやるということには無理があったなと今では思う。答えを出すには無理のあるところで、必死に答えを探していたのだ。馬券を買って宝くじの当選を待っているようなものだった。

フランス革命の研究というものはそれなりに面白かったし、大学の空気をすえたことはよかったと思う。大学というところについて、学生時代よりももっと知ることができたようにも思う。しかしやはりフランス革命というものも200年以上前の外国の出来事であって、いま置かれている状況に対する直接の答えが見つかるはずがない。

そして自分が本当にやりたいのは客観的な研究ではなく、その時は分からなくなっていたのだけど、自分の思いを何らかの形でぶつけることだった。仕事が忙しくなったことによって自分がやりたいことができなくなり、研究も初めてそれに輪をかけ、そういうことに対する飢餓感が高まって行った。今思うと変な話なのだけど、研究と創作の本質的な違いが自分でよくわからず、研究によって創作欲も満たされる気がしていたのだ。しかし当たり前の話だが、その二つの営為はかなり違うものだから、創作欲に対する飢餓的な状況に対してダイレクトに何かが響くというものは得られなかった。今考えてみればなぜそんなことに気がつかなかったのかと思うが、本当にそのころの自分は自分を客観的に見ることができていなかったのだ。ただひたすらに走り続けていた。間違った前提で間違ったゴールに向かって。

学校の仕事、教師の仕事をしてみてよかったこともある。仕事というのはこういうものだということとか、世の中とはこういうものだとか、国家とか公務員というのはこういうもの、とか世間というものはどういうことを基準に判断するかとか、そういうことは部分的に自分の中に刻み込まれてはいった。そういう認識は、実際に仕事というものをしてみないと得られない。しかしそういう認識が自分の生きる力になるかというとそういうことはない。

今考えてみると、当時やっていた仕事は、マイナス100をマイナス50にするような仕事だった。まあ当時からそういう認識はあったが、配置転換もままならないため、とにかくやるしかないと思いそれに取り組んでいたのだけど、それに精神力を奪われて、しかしマイナス100がマイナス200になるような結果が出たりしていた。結局完全に混乱し、方向性を見失ったのだった。

当時の自分は、自分がどういう人間かわかっていなかった。世界や宇宙がどういうものかもわかっていなかった。そして何に取り組めばそれがわかるかもわからなかった。仕事をやめたときには本当に手詰まり状態で、でもとにかくこれは続けられない、ということだけが分かっていたのだ。


【世界を把握しなおすために日本近代史に取り組んでみたが】

私はもともとそういう、自分の生きにくい世界を何とかしたいという希望があった人間なので、歴史と言っても本当は日本近代史をやりたいところが大きかった。しかしそこにはいわゆる「歴史問題」がある。結局そういう面倒に巻き込まれるのが嫌で、大学の時は専攻することを避けた。近代史は結局イデオロギーだ、ということは歴史学科の中で囁かれていたし、とにかく近代史をやるということはどういうイデオロギーを取るのかを鮮明にしなければならないと言うプレッシャーが強かった。それが分からないから勉強したいんだけどなあ、というような姿勢は許されそうもないなあと思い込んでしまっていた。

仕事を辞めてから自分なりに日本近代史を勉強し始めたけれども、教員をやっている頃から左翼・進歩史観には同意できないものを強く感じていた。そういう自分にとって、オウム事件のころから読み始めた小林よしのりの戦闘的な方向性には感銘を受ける面が多かった。とにかく、世の定説や良識にとらわれず、自分が正しいと思うなら、それに反する考え方もしていいんだという表現に強く自由さを感じた。北朝鮮拉致被害者の件にも衝撃を受け、集会に参加したりブルーリボンシールを年賀状に貼ったりもした。当時の日記やブログにはそういう記事も多いし、いまでも基本的に左派・進歩主義には一定の批判を持つとともに、保守思想にはある程度の共感を持っている。

しかし歴史観をめぐる華々しい闘争の結果勝ち取ったものは、様々な怪しい戦前戦中の事件について、それを否定する意見もあり得る、という当たり前のことを確認し、それを根拠に戦前の日本や日本人を攻撃する行為の嫌らしさみたいなものを確認しただけで、あまりに当たり前のことが以前より風通し良く言いやすくなったとは思うけれども、そこから先に生かせるものが結局私にはあまり得られなかった。

昔の日本人は素晴らしかった、と言ったところでそれと同じことが現代にできるわけでもなく、そういう戦後史観を押し付けられてしまったみじめなコスモロジーが明らかになるだけで、明日へ向けて行動するための思想基盤としての世界観・宇宙観としては弱すぎる。歴史はどこまで行っても歴史であって、現代でも未来でもない。

現代から未来にかけての日本人にとっての世界像を変えて行くためには、その基盤になっている憲法を変えるしかないだろうと私も思う。しかし現代の改憲勢力が本当の保守思想を理解しているとも思えない。昔はよかったから昔に戻そうではバックボーンになるべき思想基盤が心もとなすぎる。少なくともバークやハイエク、ヴィーコぐらいは語ってほしいが、せいぜい安岡正篤や吉田松陰ではこのグローバル社会での説得力がなさすぎる。

戦前の再評価については自分なりに理解を深められたし、また世の中でも様々な歴史家や評論家が取り組んできて、20年前の戦前戦中暗黒史観が支配的だった状況からはかなり脱却してきたのは喜ばしいとは思う。しかし、戦後レジームを批判しているのにそれを与えたアメリカに対して同盟という名の従属関係を無条件の前提としてそこに批判がないまま新しい体制を構想してもまったく説得力がない。

私は対米自立を中心に独立の海洋勢力としてのステータスを西太平洋に持つということが基本だとは思うのだが、しかしそれを構想したところで現在の時点ではそれ以上のことをいう考察の材料もないし、それを訴えていくにはあまりに無力すぎる。そして結局は自分がやりたいのはそういうことではなく、自分の思いや怒りを作品という形を取って表現していくことだったから、結果生命論的な方向の瘠せ方が甚だしくなってしまい、考え直さなければならないと思った。ようやくこのころ、自分を少しは客観的に見られるようになったのだ。遅いよ、という感じではあるが、一生気がつかなかったよりはましだと思うしかない。今となっては。


【「やりたいこと」から考え直してみる】

生命論的な不満に一定の答えを与えてくれたのが何度も書いている『ずっとやりたかったことを、やりなさい』だ。これを読んだのは2007年だが、そのおかげで自分の感じている姿のない不満や神秘性への憧憬のようなものを小説に書くことができるようになり、何本かの作品を書いた。

ほんとうは、うまく書き続けていられれば、作品を書く中で自分というものの全体像が見えてきたのかもしれない。しかしなかなかそうはいかなかった。小説がうまく形になりつつあるとき、書いているときは見えているものが、書き終えると見えなくなる。そして新しい作品になるようなテーマがなかなか出てこず、なかなか書けない。四苦八苦の末新しいテーマを見つけるが、書き終えるとまた見えなくなる。ということを繰り返していた。

【もう一度、自分は世界をどう知ろうとしてきたか】

さすがにこのままではよくない、ということが自覚できるようになってきたのが先月の9月12日ころからのことだ。もう一度客観的に自分を見つめ直してみなければいけない。でもどうやって。でもとにかく、自分自身を正面から逃げないで見つめてみようと言う感じになった。切り口は、今までたくさんのことをしてきたしやりたいと思うことをやろうとしてきたけれども、いったいその時に何を考えていたのかということをもう一度整理して、その中から自分がどういう人間なのかをとらえ直してみようということだった。

特にここ数日、自分がどういうことをしたい人間なのかということについてはだいぶ深めて考えることができたと思う。そして今日、これを書く前に思ったのは、自分を取り巻く環境・世界・宇宙はどういう世界なのか、ということを考えなければならないのではないかということだった。

しかし、書きながらその考えは変化した。この世界がどういう世界かという以前に、先ず自分がこの環境・世界・宇宙をどう見ているのか、ということを確かめなければならない、と思った。

本を読んだりネットで調べたりして、実際の世界がこうだということが少しわかることはあるわけだけど、その「事実」に激しく反発し、すごく抵抗する自分がいることがある。それは結局、自分の中にすでに確固とした世界像・宇宙像があって、それに抵触するということなんだなと思った。私は自分が世界をとらえきれてないと、世界を理解できてないと思ってきたけど、本当はそれなりの仕方で世界はどうあるべきだという意見を持っているし、実際に起こる現象がそれと整合性がないとすごく反発を感じるのだ。だからまず、自分が環境・世界・宇宙をどう見ているのかということを明らかにすることが先だ、と思った。

自分がどういう人間かということをテーマにして考えることは難しい。それは、自分を知るためにどうすればいいかという方法論とその方向性を、自分がどういう人間かという考察を加えると同時並行してその方法論について考えて行かなければならない。

これはアリストテレスが言ってることと同じなんだな、と思う。アリストテレスが『心とは何か』、現代に忠実に言えば「プシュケー」とは何かという問題について、それを知るための方法を吟味しつつ考えていかなければならないと言っている。自分自身を知るためにはそのための方法について同時に考えて行かなければならないのだ。

まだまだやることはたくさんある。しかし、自分のことが少しでもわかってくるということは、楽しいことだ。

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