生き方とか、社会の行くべき方向とか/『図書館の主』6巻と「ぼくらのへんたい」17話/トマティス・メソッド

Posted at 13/08/20

【生き方とか、社会の行くべき方向とか】

忙しくてなかなかブログの更新ができない。一つには、新しい文章を書こうと思っていてそれにずっと取り組んでいるということがある。考えてばかりでなかなか形にならないのだが、今朝は少し書くだけ書いてみた。原稿用紙があるはずなのに見つからないので、ワードの原稿用紙設定を白紙のまま何枚か打ち出してそれを使っていたら、もう6ページ目に入っている。書くことをとにかく文章にしてみると、もっと調べなければいけないことや、今まで眼中に入っていなかったことでもどういうふうに書くのか、それとも書かないのかについて考えなければならないことが結構あることに気がついたりして、やはり形にすることは大事だと思う。

書いているうちに自分の生き方とか、人間の生き方とか、社会の行くべき方向とか、人類の方針とか、なんだかそういう話になってきて、私は実はもともとそういうことを書きたいんだなということが明らかになってきたりしていて面白いんだがいいのかそれでとも思う。でも考えてみたらそういう大方針みたいなものが、少なくとも最近私は読んでないし、あまり話題にもなってないので、自分なりにそういうものを形にしてみるのも意味のあることかもしれないと思って書いている。読んでもらえるに堪えるような文章になるようにいいのを書きたいと思う。


【『図書館の主』6巻と「ぼくらのへんたい」17話】

図書館の主 6 (芳文社コミックス)
篠原ウミハル
芳文社

お盆休みなのであまり新しい本や雑誌も出ないかと思ったが、結構何冊も買ったし読んだ。17日に週刊漫画タイムズ。いつもの品だが少しペーソスのあるのが多かった気がする。それから篠原ウミハル『図書館の主』6巻(芳文社、2013)。最近少し昔ほど面白くないなと思ってなぜなんだろうと思っていたのだが、「児童書のレビュー」的性格が少なくなってきたのと、なんとなく暗いキャラクターの登場が多くなったことが理由なのかなと思った。なんとなく暗い人に児童書を手に取ってもらうきっかけになるならそれもまたいいとは思うのだけど、どうなんだろうなあと思う。難しいところ。

進撃の巨人 地下室の鍵ペンダント
ムービック

昨日は夕方出かけて、真渓涙骨の本を探したのだけど神保町でいろいろ見たが見つからなかった。まあ、新刊書店だけなんだけど。もう少し早く出かけて仏教書を扱ってる店で探してみるという手もあるなと思うが、取り寄せたほうが早いかもしれない。それで書泉ブックマートでマンガを物色していたら、『進撃の巨人』の主人公エレンが首からかけているシガンシナ区の「地下室の鍵ペンダント」というものを売っていて、面白いなと思ったのだが、頭の中でコミック雑誌発売のスケジュールを考えていて今日が(昨日が)19日だということにはっと思い当り、『コミックリュウ』を買ったら、それまでなんとなくもやもやと落ち着かないいらっとした感じがあったのがスカッと爽やかになって盛り上がってしまい、『地下室の鍵』も買ったのだった。(買ったのは上の写真とは違うもの))いや、「ぼくらのへんたい」の威力は凄い。わたし的に。

月刊 COMIC (コミック) リュウ 2013年 10月号 [雑誌]
徳間書店

「ぼくらのへんたい」は今月は亮介(唯)にスポット。先月までは裕太(まりか)がカミングアウトするまでの流れで、裕太の周りに新しい人の輪ができていく感じになっていたのだけど、亮介は声をかけようとしてかけられず、なんだかおいて行かれた感じで、なんか気になっていたのだけど、今月はまあなんというかどん底で、「ただ泣きたかった ただ泣いて 違うんだこんなはずじゃないんだ って叫びたかった」ということになって、じりじりしたまま成長だけはしていく、という当たり前の中学生男子の哀しさ、みたいなものとまりかへの思いの交錯。そしてラストでの三人の再会。来月はどんなふうに展開していくんだろう。ああ、大人になってしまう。本当に、亮介、君はよくやっているよと言ってあげたい。うまく道を進めなくても、それもまた人生には必要なんだよと。男の娘的世界の、何というかどリームとしての華やかさみたいなものと、傷つきやすい当たり前の男子中学生たちが織り成していく物語との、甘酸っぱい倒錯のようなもの。ありそうで、他にはない、作品世界。


【トマティス・メソッド】

フェイスブックで久しぶりに連絡を取り、ここ一年くらい交流があった友達(宗形憲樹君)から『耳と聲』という小冊子が送られてきた。読んでみると大変面白い。簡単に説明するのは難しいのだが、「トマティス・メソッド」という訓練法についてのパンフレットだった。もともとは声がうまく出せない人や、声楽家のための訓練法だったようだが、画期的なのはそれを声の訓練としてとらえることではなく、先ず耳の訓練としてとらえるという部分だと思う。「自分の耳を使って自分の声を聴き、それが自分に優しい生き方に、そして人と愛にあふれたコミュニケーションができるようになる」ということが、読んでいて非常に納得できた。送っていただいたのは『耳と聲』01号と02号なのだが、各論よりの02号より、原則に立って論じている01号が感銘を受けた。逆にレッスンの全体像としては02号の方が分かりやすかったのだが、そんなわけでネットでもトマティス・メソッドについていろいろ調べてみたりして、大変面白く思った。自分でもできる部分もありそうなので少し試してみようかとも思っている。また機会があったら話を聞いてみたいと思う。

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