無になる時間

Posted at 12/11/27

【無になる時間】

小説の感想をもらうのを楽しみにしている。昨日のブログの書き方は、いま読み返してみるとなんか感想を言ってもらうことのマイナスみたいな事ばかり書いたような感じになってしまっているが、全然そんなことはない。感想をもらうことで自分の内的な世界と自分以外の読んでくれる方との距離が取れるので、すごくありがたいのだ。昨日のブログはちょっとナイーブな感じになってしまったな。書くことを絞り出そうとするとそういう内容になってしまいがちだ。それもまたその時の現在ではあるのだけど、後で反省することも多い。感想をいただくことはとてもありがたいことなのだ。

読んでいただいた感想をいろいろと反芻して思い浮かべたりしながら、ゆっくりと直しをしたりブログを書いたりしたいのだけど、なかなか忙しい。今週末は特に日曜日に父の命日ということで兄弟が集まったりしたので東京にいる時間が少なく、普段なら余裕を持ってやれていることがやれていない。余裕を持ってやれば何でもないことでも余裕がないとあれこれと瑕疵が出てきてしまい、自分でも自己嫌悪を感じたりするのが困る。

とはいえちょっと「はしゃぎ過ぎ」の心理状態になってたことはある気がするな。昨日も書いたけれども、私は基本的に「いつもじっとしていられなくて、おしゃべりで、よく食べて、ぐっすり眠る」タイプの人間だなと思うのだけど、逆に言えば放っておくと自分自身がどういう本質なのか、今現在どういう状態にあるのかとか認識がおろそかになりやすい傾向がある人間なのだ。だから「一切はしゃぐのをやめて自分自身をしっかり見つめなければ」というふうに考える強迫観念がかなり強かった。最近はだいぶそういうのもなくなっているが、そういう強迫観念を持たずとも「自分はどういう人間か、自分は何ができて何ができないか、自分にできそうなことは何で出来なそうなことは何か、自分が頼りにできると感じているものは何か」というようなことを考えられるようになっては来ているのだけど、ただ少なくとも無意識にそうはならず、定期的にそういうことを意識しないと自分がどこかへ行ってしまう感はあるし、常に、あるいは一日一度はこの世の中での自分の位置を確認しなおさないとなんかとんでもない勘違いとかをしてしまうことがあるなあと思っている。

今朝もいくつか雑用めいたことが降ってきたのだけど、それもやらなければならないと思っていたけど引き伸ばしてペンディング状態にしておいたことを詰める必要が出てきたものと、手の入れ方がおろそかになって現在の状態を勘違いしていたことから起こったものの二つがあって、やはりしっかり落ち着いて自分の状態を振り返る時間は確保しておかないといけないと思った。郷里にいるときにはいつも半分動いている状態なので完全にニュートラルにはなれないので、東京にいるときに体調も精神状態もニュートラルな時間を確保して自分を振り返らないといけないと思う。

というか、今まで10年ほど毎週東京と郷里を往復しているし、仕事も郷里でやることの方が中心になっているのだけど、それでも自分が何とかやっていけているのは、東京でそういうニュートラルに、つまりは「無」になる時間が確保できているからだと思った。

まあそういうことがあるからこそ、最近ようやくはしゃげるようにもなってきたんだなあと思う。私は常に生き生きと楽しくやりたい人間で、じっとしているのはほとんど書いているときと何か読んでいるときくらいなものなのだが、(考えて疲れて横になっている時間も実際にはもちろんあることはあるのだけど)逆に言えば何か原則があって動いているわけではないから、というか今はとにかく「小説を書くしかない」と思っているがそれは原則というよりはともしびというか自分の生きていくための導きの糸みたいなものとしてはあるのだけど、何か強いプリンシプルを持って生きている人とはやっぱり違うなと思うので、その分常に調整していかなければいけないことが多く、必然的に口八丁手八丁にならざるを得なくなっていくところがあるなあと思う。だからこそ無になることで、自分の360度の前後左右上下斜め捻じれの位置をきちんと感じ、確認できる時間が大事なのだなと思った。

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